雨よ降れ

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 奥山(おくやま)達也(たつや)は、従業員が50人ほどの中小企業の社員であり、製造部に所属している。まだ入社3年目であるが、高校時代、野球部の主将を努めた経験が活きて、若手のリーダー格、といった存在であった。  達也の会社は、日本有数の大企業の下請け会社になっている。この大企業との取引の行方が自らの社運を左右するといっても過言でない。その大企業の担当部長は無類の野球好きだ。プロの試合観戦にとどまらず、自身も30歳のときから地域の草野球チームに所属している。しかし、50歳を越えたあたりから、年齢による体力の衰えは隠せず、若い選手にポジションを奪われて、ベンチを温めることが多くなった。今後、プレイヤーとしてグラウンドに立つことが厳しいと感じた部長は、現役を諦めて、コーチ就任をチームに打診する。しかし、“御大”と呼ばれ、長らくチームを率いてきた首脳陣に、けもほろろに断られてしまった。  どうしても、引き続き、野球に携わりたい部長は、乱用すれすれとも捉えられかねない職務権限を最大限に駆使して、職場内の野球好きを集めてチームをつくってしまった。とはいえ、野球人口の減少もあってか、結成時のメンバーは僅かに11人にすぎない。しかも、野球を見るのは好きであっても、自分でプレーするのは未経験という者もおり、まったくの急造チームであった。結成当初は、しばらくの間、練習を繰り返していたが、未経験者も、ある程度のメドがついてくると、対外試合の相手を探すようになる。まず最初に、打診をしたのが、達也の会社であった。  上層部は大いに慌てた。このとき、社内に野球クラブなど存在していなかった。しかし、会社の運命に影響するような取引先からの依頼は、絶対に断るわけにいかない。業務命令として、意外なプロジェクトが動き出す。そして、当然ながら、経験者である達也に白羽の矢が立ち、達也を中心にチームを結成することとなった。接待ゴルフならぬ接待野球のはじまりである。  達也も、意外な形ではあったが、再び野球に関わることに、嬉しさを感じていた。小規模な企業であるが故に、こちらも人数集めには苦労したが、本格的な経験者3人を含め、12人の精鋭が名を連ねることになった。
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