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無能力者の令嬢は教授秘書
この世界には特別な力が存在する。火の力、風の力、水の力、地の力。火は熱に、風は血流に、水は思考に、地は心に連動すると言われ、人間の体にはこの内の一つか、稀に二つが存在し、その力の強さによってそれまでの地位すらも覆した。強い力を持った者は平民でも優遇され、貴族でも冷遇される。だからこの力を弱めない為に貴族達は力の強い者を求め、政略結婚は当然の如く行われていた。特定の力を強めようと同じ力を持つ同士の結婚を進める家門もあれば、子孫に与えられる選択肢は多い方が良いと異なる力を持つ者同士を結婚させる家門もあった。その大人達の都合に子供達は振り回され、そして大人になっていく。
子どもは生まれると、すぐにその属性を確認する。隔世遺伝もあり、親とは違う力を持って生まれてくる子どもも少なくない。力の使い方は体の使い方と同じくある程度は自然に覚えられるものの、応用や理解も必要なことから、この世界の子どもは貴族も平民も属性も力の強弱も関係なく、必ず共通の学校に通う。そこは大人の以上の能力至上主義の世界でもあった。
十八年前。そんな世界の貴族の家に、ある一人の女の子が生まれた。名前はカスミラ。貴族の家の出生は上記の理由からもとても望まれ、そして博打の様な意味合いも強くあった。その子に何の属性の力があるか、成長するにつれその力がどこまで強くなるか。その結果によっては家の繁栄も没落もあり得るからだ。
カスミラの属性は「土」だった。
その結果を聞いた両親は絶句した。聞いた事のない属性。一体どういうことなのかとその場で鑑定士に説明を求めた。鑑定士はとても言い辛そうにこんな事を言った。
「つまり、その…この子の力は『地』以前という事です」
「以前?」
「地の力を持つ子どもは、必ず『芽』を持っていると言われています。土の属性はそれが欠けた状態ということです。私にも詳細は分かりません。そう言い伝えられているというだけの知識です」
赤子の微細な力でも反応すると言われている「風の風鈴」「火の蝋燭」「地の植木鉢」「水のコップ」。それを前に鑑定士は言った。親には見えなかったけれど、植木鉢に何かの反応があったらしい。普通ではない反応が。
「それで、地の力は使えるの?」
「使えません」
「…他の力は?」
「ありません。この子は『土』のみをもって生まれました。これはもう…どうしようもありません」
つまり無力。何の力も持っていない貴族の子ども。そもそも愛情があって結婚した同士ではない親に、この子を愛する理由はなかった。
「カスミラー。おーい」
呼ばれて振り返ると同級生の姿があった。足を止めると彼は近寄ってきて、持っていた本を半分持ち上げる。
「まーた雑用させられてるのか」
「お仕事です。返して」
と、両手が塞がっているので手は出せずにカスミラは言った。何の力も持たない彼女は孤独だった。他の生徒が助けてくれる事も、話しながら歩く事もない。これが貴族令嬢である筈の彼女の周囲の扱いだった。
しかしこれが押し付けられた事ではなく、仕事というのも本当だった。彼女は学生の傍ら、一人の教師の秘書を勤めていた。生涯結婚もできずに最悪の場合は家を追い出されてしまうかもしれない彼女の為、学校が温情で用意した職だと密かに囁かれている事を彼女も知っている。実際は知り合いの教師に軽い気持ちで頼まれたんだけど。
「相変わらず真面目だな」
そう言って彼は一足先に進み始める。「ちょっと、返して!」とその背中に声をかけたカスミラの耳に、聞こえるように小さな声が聞こえてきた。
「聞いた? サンブラント殿下にどういう口の利き方かしら」
「助けて貰ったからって調子に乗って」
「殿下もお優しい方ね。あんな無能に手を貸すなんて」
「…」
はぁー。と、カスミラは大きなため息をつく。そして、黙って本を運んでいるだけも気に入らない癖に。と、陰口を無視した。どうせそれ以上の事は学校ではできない。
「ほら。早く行くぞー」
そう言いながら前を行くサンブラントが振り返った。
「本を返してってば」
「俺もレンデスト教授の研究室に行くんだよ」
「…」
あ、そう。と、カスミラは諦めた。それなら自分に止める理由はない。
教授の部屋はそう遠くはない。けれどその間ずっと生徒達の視線に晒され、陰口言われ、それでも顔色一つ変えずにカスミラは歩いた。
「失礼します」
ノックして研究室のドアを叩いて中に入る。部屋には二人いた。
「サンブラント殿下。カスミラ様」
まず聞こえてきたのは女の声だった。席から立ち上がり、二人に笑顔で手を振る。それを見て察した。ああ、この人はこの部屋に逢引きをしに来たのか。と。
「ガーベラ」
隣で嬉しそうな声が聞こえてくる。そして持っていた本を望み通り戻してサンブラントはさっさと中に入って行った。一瞬ひどく重くなった本に「うぐ」と声が漏れたけれど、カスミラは頑張って耐える。
「王子として問題ありな行動は慎んだらどう?」
そんな声が聞こえてきて本が再び軽くなった。見ると、この研究室の教授がさっきサンブラントが持っていた本を持ち上げている。カスミラの持っていた本は再び軽くなり、おっとっととよろけかけた。
「だって本を返せ返せってずっと言ってたんですよ」
「君はもう少し、言葉の裏側を察する能力を身につけた方がいいよ」
そう言ってレンデスト教授はため息をついた。そしてカスミラに礼を言って本を自分の机の隅に置くように言う。カスミラは頷いてそれに従った。
「お茶を入れます」
そして手が空いてそう言ったのはカスミラだった。この四人の中で最も能力のない者だから。この研究室の秘書だから。何もかもの理由が令嬢である彼女が作業をする事を求めている。
「わぁ。カスミラ様のお茶、大好きです。私、お菓子を用意しますね」
ガーベラが言った。平民の彼女は火と風を使いこなす、この学校で最も優秀と評価されている生徒だった。
「確かにカスミラのお茶は美味いよなー」
と、素直に同意したのはサンブラント。この国の王子でもある。王族だけは特別で四つの力を保持し、幼い頃から専任講師をつけて教育を受けている為、本当はこの学校に通う必要はない。ただ、本人の希望で通学する事になったそうだ。風の噂では花嫁を探す為だと聞いた事がある。それが本当か嘘かは分からないけれど、期せずしてそれは成功したようだ。はっきり聞いた事はないけれど、ガーベラと恋仲に違いない。少なくともサンブラントがガーベラの事を好きなのは間違いない。…と思う。
「うちの秘書は君達のお世話係じゃないんだけど」
そう言ったのはレンデスト。この研究室の主である。教授にもかかわらず、まだ年は二十歳を超えたばかり。三人が入学した時、彼は三年生だった。頭脳明晰で、卒業後どこに行くのか注目されていたらしいけれど学校に残ることを選んだそうだ。研究の内容は多岐に渡り、彼の能力を推測することは難しかった。普通は専門が分れているのに、他の教授が欠勤などの際に穴を埋める彼はどの教科も請け負っていた。それだけを考えても彼が優秀な事が良く分かる。
そんな三人に無能者の自分。少し場違いな気もするけれど、この三人と一緒にいるのは心地良かった。
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