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卒業試験対策
二人が部屋を出て行ってから置きっぱなしだった仕事に取り掛かったカスミラは、火の能力のページに手を止めた。ガーベラは火と風を使う。自分にどんな手伝いができるだろう。そんな事を思いながら思わず本に夢中になってしまったカスミラを見て、レンデストは小さく笑った。
「…あ、あ。すいません。仕事はきちんとやりますので」
「いや、いいよ」
そう言って、仕事の為のノートを持ち上げる。
「学生の本分は勉強だからね。仕事を優先されても困る」
「…」
そう言われて気が付いた。そうか。自分はここで学生として勉強をしても良いんだ。今迄勉強してもどう活用して良いのか分からなかった知識が初めて役に立つかもしれない時が来た。それを実感できて途轍もなく嬉しい。少し体が震えた。
「あの…先生」
「ん?」
「試験の事、聞いても良いですか?」
「答えられることならね」
「あの、はい。あの、お恥ずかしい話なのですが、私、自分には関係ないと思っていたので試験の詳細を把握していなくて…」
そう言って赤面を俯いて隠すと、またレンデストの静かな笑い声が聞こえてきた。
「うん」
「試験はどんな風に行われるんですか?」
「四種の試験はスタートとゴールだけが定められているよ。どういうルートを辿っても構わないけれど、リタイヤせずに時間内にゴールできれば合格」
「…ちなみに他の試験は?」
「試験官の前で実技を行う。確か十問位あって、クリアできた問題の数でレベルの判定がされる。全てクリアすればその分野ではかなりの能力者と認められるよ」
「複数受ける事もできるんですか?」
「できるけど…何でそんな事を聞くの?」
「…」
そう言ったレンデストと目が合って、カスミラはゆっくりとそれを逸らした。何故なら、ガーベラは二つの力を使うから。もしも自分が駄目だと判断した場合、彼女にはその試験でできるだけ優秀な成績を修めて欲しい。その気持ちが外に出てしまった。
そのカスミラの前にレンデストは静かに座った。そしてこんな事を言う。
「君は本当に優しい子だね」
「…」
声があまりにも優しくて、カスミラは思わず顔を上げる。失言してしまった後とは思えない程穏やかな声で、レンデストはこんな事を言った。
「それなのに強い子だ。そんな事を思いながら、良くガーベラの申し出を受けたね」
「…嬉しかったんです」
まるで子どもに話しかける様なレンデストに、子どものように素直にカスミラは答えた。
「初めて人から求められて、自分が役に立つかもしれないって思えて、精一杯頑張りたいって思ったんです」
「…うん」
「もしも私が足を引っ張ってしまうと分かったら。それが努力でも覆せないとしたら、試験はキャンセルするつもりです」
試験は合格だけでなく、不合格の実績も残る。ガーベラにそれを一生負わせる訳にはいかない。
「でも、ぎりぎりまで頑張ります。ガーベラの気持ちに、できれば応えたいと思っています」
「…」
うん。と、またレンデストは頷いて笑った。そして呟く。まるで独り言のように。
「そうか。初めてだったのか」
「え?」
「俺は君に、いつも感謝しているつもりだったけれどね」
「…あ…」
初めて人から求められて。自分が役に立つかもしれないって。そう言った自分の言葉を思い出す。
「あの…」
「君に何かの力があったら、俺は君にこんな仕事を頼まなかったよ」
それは強い断言だった。仮定の話ですらない事に違和感を覚えるけれど、そのカスミラにレンデストは言う。
「何かの力があれば専門外の事は難しくなるからね。総合的な研究をするのに、君はうってつけだった」
「…」
こんな自分で良いんだと、今の君だから良いんだと、そう言ってくれる彼の言葉は心地良かった。それが嘘じゃない事も伝わってきたから。
「いえ…先生には私の方こそ感謝しています」
沢山勉強をさせて貰った。そのおかげで試験に挑戦できるかもしれない未来が開けた。もしかしたら自分の将来も。頑張ろう。と、改めて思う。
そうだ。
「先生」
「ん?」
「あの、試験の場所って決まっているんですか?」
「ん? …うん」
その質問に、レンデストは思わず笑う。カスミラが本気でやる気なのが伝わったらしい。嬉しそうにそう言って頷いた。
「場所は時々変わるみたいだけど、今年はリメート地帯で制限時間は四時間だったかな」
確か去年は違う場所だった筈。と思いながらレンデストは答えた。試験官でもなかった自分は、教師でも詳細が分からない。
「リメート地帯…」
詳しくはないが知ってはいる。密林や砂漠が混在した一帯。その地域の寒暖差は異常だ。体調管理や悪路対策、それだけではなくそこに生息する生き物と遭遇する可能性もある。そういう全てに対応してゴールするのがこの試験の意図なんだろう。
「先生。さっき、ルートは自由っておっしゃっていましたよね?」
「うん」
じゃあ、そこには自分の工夫が効く。最短ルートと安全なルートを比較しよう。それからガーベラには今までに自分が考えた力の使い方を試して貰って…実現するかは分からないけれど。
「もう色々と考えているみたいだね。でも、これは運も大きく関わってくるテストっていうことも覚えておいて」
「運?」
「当日の天気にも気候にも大きく左右されるし、生物の繁殖は思った通りとは限らない。考えていたことが全部無駄になることもある。だけどやるだけやってそうなってしまったら、ただ運が悪かったんだと受け止めて。学校の試験として曖昧でどうかとは思うけれど、それも人生にはついて回るものだから。勿論、それを克服したりリカバリーする強さも含めてだけど」
「…そうですね」
「何年か前、一度も力を使う事なく四種をクリアした子がいたらしいよ。それも運なんだろうね」
「…」
それは結果論でしかない。駄目元で自分が挑んだとしても、そんな幸運は起こらないだろう。それは力があって挑んで、結果使う事が無かっただけだ。でも気になる。
「その人は何の能力をお持ちだったかご存知ですか?」
「え? …何だろう…。…水、だったかな。噂みたいな話だから良く覚えてないや」
「その時のコースはお分かりになりますか?」
「…いや」
真剣なカスミラの表情に笑ってしまってからレンデストは言った。
「ごめん。本当にぼんやりとした噂でしかないから、予想で口にしても君を惑わしてしまうだけだと思う。さっき言った水の話も忘れて。コースも分からない。でも、今回みたいな多様な要素のコースだった事は間違いないよ」
「…」
だとしたら、どの力を持っていたか仮定しても無意味な気がする。きっと何の力があっても工夫無くてはクリアできない。いや、逆に工夫すれば力が無くてもクリアできるという証明なんだ。そこに力の加え方を考えれば、もっと確実にクリアできる筈。そこに自分が役に立てるヒントがある気がする。そんな事を難しい顔で考え込んでしまったカスミラに、レンデストは窓を見ながら言った。
「もう暗くなってきたね。今日はここまでにして帰りなさい」
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