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特訓中の内緒話
それから一ヶ月後に開始する試験に向けて、カスミラとガーベラは特訓を始めた。ガーベラは基礎は全て綺麗に習得していたからカスミラも話をしやすかった。
「ガーベラ。この部分に風を起こせる?」
「どちらに向かってでしょうか?」
「どっちっていうか、この地点。この場所に」
「…」
そのカスミラの言葉に、ガーベラは困った様に口を噤んだ。そして言い辛そうにこんな事を言う。
「カスミラ様。お気を悪くされる様な事を言ってしまったらすいません。風は流動的なものなので、この部分に起こす、という事はできません」
無能力のカスミラに、能力についての意見を述べるのは心苦しい。そう思いながら言うガーベラの声は自然に小さくなった。
「そうよね」
しかしカスミラはすんなりと頷いてガーベラを見た。「え?」と聞き返したガーベラに、カスミラはこんな事を言う。
「じゃあ言い方を変えるわ。この部分からこの部分の間に風を動かして」
そう言って、カスミラは親指と人差し指でその範囲を示した。なるほど。確かに点ではないけれど、限定的な部分に風を起こすという意味ではさっきのカスミラの言葉は合っている。考え方が変わると、力の動かし方も変わる。カスミラの二本の指に集中し、ガーベラは空気を動かした。
「わっ」
直後、カスミラの声が聞こえてくる。カスミラの手を包み込む風の渦。失敗した。
「すいません」
「大丈夫。きっと設定範囲が狭かったのね。でも、最初にこの大きさで限定できるのは凄いと思うわ。自分に近い方が安定するからガーベラの手の中でやってみて」
「はい」
と、両手を出して範囲をイメージする。すると、さっきよりも小さな風の渦がそこに浮かんだ。
「そう。できた!」
「…」
こんな風の形は知らない。一歩方向に放出するだけだった風が、自分の手の中でいつまでも回転している。旋風とも違う。こんな軌道は見た事がない。
「それを離してみて」
「…はい」
繋がりを切って手を離してみる。するとそれは緩やかに遅くなり、広がり、やがて消えた。
「もっと工夫すれば、もしかしたら投げたり何かを捕まえたりもできるかもしれないわ」
「…」
凄い。確かに今の感覚で風を起こせば、まるで糸のように操れる。見えもしなかった自分の力を、一気にコントロールできる気がした。
「も、もっと練習をしても良いですか?」
「勿論」
と、カスミラは笑った。
また別の日にはこんな事もあった。
「ガーベラ。火を二つ出せる?」
「二つですか? …はい」
両手に、まるで大道芸人が使う道具のような火が二つ。
「じゃあ、一つの火を二つに分割することはできる?」
「え? え、っと…」
そう言われて戸惑った。そんな事、試した事が無い。必要もなかった。思い付きもしなかった。けれど、確かに言われてみるとどうしたら良いのか分からない。一つの火を片手に持ったまま、あーでもないこーでもないとガーベラは色々とやってみる。でもできない。手の中で炎は形を変えたものの、結局一つの塊のままだ。
「…できません」
単純に思えるけど、どうしてできないんだろう。出すことは幾つでもできるのに。
「うん。火って言うのは燃えるのに条件があるの。酸素と熱と、可燃物」
「可燃物?」
「そう。能力で出した火って、本人以外にとっては普通の火なのよね。熱いし、燃えるし。でも、本人に繋がっている時だけはその干渉をしない。熱を感じはするって聞いたけど…。という事は、本人の何かが可燃物になっていると思うの。それは何だか分かる?」
「…」
今まで熱だけを感じていて、そんな事を意識したこともなかった。けれど自分の中にある熱に改めて向かい合う。熱の中心へ。
そして初めて知った。熱の中は温度が低いんだ。その、もっと奥。中心にあったもの。何だか分からない。けれど感じる。それを、そっと割ってみた。
「ガーベラ! できたわ!」
カスミラの声に我に返る。見ると、自分の手の中に二つの炎が燃えていた。こんな事ができるなんて。
「凄いわ。ガーベラ。あなた、本当に感覚が優れているのね」
「…いえ。考え方一つでこんなに力が変わるなんて、こちらの方が驚きです…」
今まで何となく放出していた力を意識して管理すれば、自分の疲労も効果も飛躍的に改善する。でも、その思考すらなかった。こんな事、授業でも教えて貰えなかった。優秀な能力者になる為の授業は、どうやって火を生むか、大きな火にするか、幾つも出すか。そんな練習ばかりだったのに。失礼な本音を言ってしまえばカスミラに期待していたのはここまでの事じゃない。ただ、教科書に載っている事をもう少し掘り下げる程度のことだと思っていた。
ただ大きな力を持っていただけの自分に、カスミラはコントロールする術を授けてくれる。きっと感覚が分からないからこそ、自分なりにそれをかみ砕いて理解し、それを言葉にして渡してくれるのだ。カスミラだからこそできるこの指導は、彼女の努力の賜物に違いない。けれど一体どれだけの努力をすればその域に達するんだろう。ガーベラはそれを思って泣きそうになった。
「ガーベラ。随分夢中になって練習しているね」
「先生」
と、火の専門教師に声をかけられ、ガーベラは涙を隠し、嬉しそうにカスミラを見ながら言った。他の人にも知って欲しいと思う。こんなにも勤勉で優しい彼女の事を。
「カスミラ様にご指導頂いているんです。私、こんな風に力を使えるなんて知りませんでした」
「うんうん」
と、その教師はカスミラの方を見て言う。
「君は、真面目にレンデスト教授の元で学んでいたようだね。人を導く力があるというのは素晴らしい。頑張りなさい」
「は…はい!」
その様子を、校内の誰もが一度は目にしていた。ある者は顔を顰め、ある者は不思議そうに、ある者は興味深く観察していた。
「順調そうじゃん」
「カスミラがあんなにすんなり受け入れるとは思わなかったな」
研究室の窓から外を伺って、サンブラントとレンデストは頷いて笑った。そして席に戻って仕事を再開したレンデストに、サンブラントは窓の外を見ながらこんな事を問いかける。
「カスミラの学校残留の件、本気なのか?」
「うん。今のところね。ここが彼女にとって一番安全な居場所だと思うから」
この校内では力の無断使用を禁止されている。今カスミラとガーベラが練習できるのもレンデストの許可が下りているからこそ。こういう場所なら無力者も安全に生きていける可能性が高い。それはサンブラントも納得だったらしい。ただ。
「学校が認めるかねぇ?」
「それは今回の試験次第かな。まぁ、既に効果が出ていると言えなくもないけれど」
「それは…うん」
ガーベラの反応や手元を見ていて、本当は気になって仕方なかった。何をやっているんだ? そう思いながら親指と人差し指を思わず擦り合わせる。
「おい。ここで火は出すなよ」
「…おっと」
悪い。と、呟いて、サンブラントは窓から目を離す。それを見てレンデストは笑った。
「お前もカスミラに指導を仰いだらどうだ? カスミラの為にも悪くないと思うぞ」
「やだ。プライドが許さない」
まぁ、あと一押しで学校の残留が決まるくらいまで話が進んだら、その体で教えを請うてみても良いかな。とは思った。本当はそれ位気になる。その様子を見てレンデストは笑った。
「でも、あれだろ? ぶっちゃけガーベラがいれば楽勝のコースなんだろ?」
「どうだろう」
カスミラにも言ったけれど、試験は天気にも気候にも運にも左右される。そして、学生にしてみればクリアできるかどうかのギリギリの設定になっている事は間違いない。おまけに彼女たちは女性だ。体力的なハンデもある。
「同じコースをただ歩いてクリアした人間が言っても説得力ないけどな」
「四時間歩いてからものを言ってくれ」
「まぁ、運の良い人間の言う事を参考にしても仕方がないか」
ため息をついて呟いたサンブラントにレンデストが笑う。
「運だけじゃないけどね」
「え?」
「俺は元から力を使わずに歩いてクリアするつもりだったよ。だからそれだけの準備をした」
「え…。なら、同じ事を二人がすれば」
「ただ歩いてゴールできるかもね」
「じゃあ…」
焦った様子のサンブラントを見てレンデストが笑う。
「言える訳ないよね。俺、教師だよ?」
「…俺が伝えようか?」
「…」
まんざら冗談でもなさそうなサンブラントを見て、レンデストはため息をついてから、からかう様に言う。
「お前はいつから彼女にそんなに甘い男になったんだ?」
その言葉にむっとして、しかしここでは意地を張る必要もないと思ったのか、こちらもやはりため息交じりにこんな事を言う。
「ずっと前からそうだろ。でなきゃ今ここにいない。そっちだってそうな癖に」
「まぁね」
そして二人の間には暫くの沈黙が訪れた。冗談ではあったものの、レンデストが試験のヒントでもくれないかと思っていたサンブラントは諦めてこんな事を口にする。
「この試験がもしもクリアできなかったら、色んな事を一から仕切り直す必要が出てくるな」
「脅しても無駄だよ」
「違う。そういう意味で言ったんじゃない」
けど、そういう意味に取られても仕方がないか。と思って肩を落としたサンブラントに、レンデストは聞こえるか聞こえないか、分からない位の小さな声で言う。
「でも、まぁ、カスミラは気付いているみたいだけどね」と。
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