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不快な接触
「レンデスト殿下」
そんな日々を過ごして完全に一目置かれるようになった時期のこと。不意に声を掛けられて視線を向けた。男女二人がこっちを見ていて、目が合うと礼をしてこんな事を言う。
「お目にかかれて光栄です」
「お初お目にかかります。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」
そして、親の時にはなかった自己紹介をされてうんざりとした。よくこんなところで声をかけてきたな、と不快に思う。普通に考えれば、まだ仕事中の時間。自分も例にもれずだ。約束も無しに人の時間を潰す振る舞い。そして他人も行きかう王宮の通路。あらゆる意味でこのタイミングで声をかけてきた神経を疑う。
「娘が大変お世話になっております」
「娘?」
と聞き返した声は、自分でも信じられないほどに冷たかった。一体自分はどんな顔をしているのか。それに気圧されたらしい。カスミラの両親だった二人は僅かに青ざめた。それ以降は口を開く事も心が拒否をした。その対応にさらに二人の顔色が無くなっていく。
「で…殿下。あの、娘というのはカスミラの事なのですが」
「彼女に親はいませんが」
「でも、あの、あの子は私が産んだ子です」
「そうですか」
それで? と言いたげなレンデストの態度に二人は震え始めた。思っていた以上の冷たい対応に、体が恐怖を覚えているのが手に取るように分かる。
「で…殿下。あの、娘に、会わせて頂けませんか」
「誰のことですか?」
「カスミラに会わせて下さい! お願いします!」
「嫌です。赤の他人に会わせる気はありません」
「そんな事を仰らないで下さい。娘を心配する親の気持ちを察して頂けませんか!?」
「心配?」
その男の言葉に思わず眉間に皺を寄せる。不快というよりは理解不能で。
「何が心配ですか? 寒空に一人で放り出すよりも今劣悪な環境にいるとでも?」
「い、いえ、そういう事では」
じゃあ、どういう事なのか。突き詰める気もなく、レンデストはため息をついた。
「あの…殿下。カスミラは元気なのでしょうか?」
「さっきから思っていましたが、カスミラは私の妻です。赤の他人に呼び捨てにされる覚えはありません」
「赤の他人だなんて…」
「殿下! あんまりです! 私は母親です! カスミラは私が生んで育てたんです!」
「分かりました。カスミラがあなたの産んだ子供で、あなた達がカスミラの両親だった事は理解しました。そしてあなた達はカスミラを除籍した。つまり家族ではなくなった。それで私に何の用です?」
「…」
事実を並べられて、何も言い返すことができない。絶句した二人に、レンデストは一言こう言った。
「話は終わりましたか? では」
「殿下!! 本当に申し訳ございませんでした!! でも、でも…私達の気持ちも御察し下さい! 私達もどんなに辛かったか…!!」
「私に謝る必要はありません」
「無能力者の子供を産んで、社交界では後ろ指さされ、親族には馬鹿にされ続けてきました! 私達も被害者なんです! できれば私だって、健康で普通の子供を産みたかった…!」
「その子どもを除籍して、すっきりされて良かったではないですか。今更その子どもに関わっても、また辛い目に遭うだけですよ」
「そんな…殿下!」
「どうなっても構わないと外に放り出した彼女に今更何の用です? 商売人の癖に礼儀もなっていない家の息子と結婚していたから勝手な事をするなと文句でも付けるつもりですか?」
「…!」
「…あれは…」
覚えのあるその言葉に二人は黙った。そしてしばらくの沈黙の後、小さな声で謝罪を口にする。
「本当に申し訳ございません。ご両親には大変失礼な事を」
「こちらの認識不足で…」
「謝罪は必要ありません。親も私もあなた達のことを今後付き合いが必要な対象と捉えていませんので」
「殿下…」
「もういい加減にしてもらえませんか」
と、レンデストは冷たい声でそう言った。
「この場でこんな話をする事も、あなた達の態度も言っている事も全て非常識です。これ以上付き合いきれないので失礼」
そう言ってレンデストは躊躇いもなく背を向けて歩き始めた。そこに残された二人。歯を噛みしめて屈辱に顔を赤くした。
それからカスミラの両親は何度も何度もレンデストに接触しようと試みた。あらゆる手段を使って話を聞いて欲しいと持ち掛けてきた。人の目があろうとお構いなしだ。寧ろ、人の目があった方がレンデストの対応が甘くなるとでも思っていたのかもしれない。弱々しく、懇願するような態度で声高に迫ってくる。その目に映る物欲しげな感情は、日に日に強まっている気もした。どんなに恥ずかしい思いをしようと、相手の不快を買おうと、カスミラを取り戻せば自分達に明るい未来が訪れると思っているのが手に取るように分かる。それを手に入れる為なら文字通り手段を択ばない執念を感じた。
それを、全て碌に話も聞かずに突っぱねた。それ以外にできる事がない。相手を見ていると諦めさせるのも難しそうだし、説得なんてもっと無理だろう。そもそもそこまで相手に配慮する気も起きない。どうして相手への義理を考えなければならない? この結果は全て自分達のせいなのに。それでも生物学的に親の自分達がカスミラの近くにいるべきだと主張してくる彼らに心底呆れてしまう。
本音を言えば権力でも何でも使って全て切り落としてしまいたい。でも、できない。サンブラントから王族への不敬で罰を与えても良いんじゃないかという言葉も貰っていたけれど、今の自分の立場でそれをする事には躊躇いがあった。あまりに目に余る行動に見かねた国王も同意してくれているらしいけれど、人の受け取り方は千差万別だ。こちらの主張で相手を罰した場合、その評価が周囲にどう映るか分からない。そんな事で王族に影響があったら。
でも、どうしたら良いんだろう。手詰まりの状態でレンデストはため息をついた。もしかしたらその内、本当に家にまで押しかけてくるかもしれない。そうなったらカスミラには絶対に気付かれないように対処しないと。本当の事を知ってしまったら彼女がどうなってしまうか分からない。そんな事を考えると庭園にさえ出せなくなってしまう。どんどん狭い場所に閉じ込められてしまうカスミラを思ってレンデストは憂いに沈んだ。
思えばこの時想像していた事は、自分なりに最悪の事態だった筈だった。だからそれを想像し対応を考えれば、それ以上の事は起こらないと思っていた。けれどそれすら甘かったと判明したのは、それから一カ月も経たない日の事。
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