時期国王の決意

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時期国王の決意

「あいつら、裁判を起こしたぞ」  よ。と、王宮の通路でたまたま会っただけの筈のサンブラントはそう言って笑った。そこにいた事に気付いていなかったレンデストはその言葉に顔を上げる。 「裁判? あいつら?」 「もうなりふり構わずだな。カスミラの籍を戻すようにって申し立てがあったってさ」 「…」  思ってもいなかった言葉に驚いて、レンデストは目を見開いた。 「もう結婚もしているのに籍を戻すっていうのも変な話だけど、つまり親子関係を取り戻したいんだと」  その言葉を聞いてうんざりする。まさかそこまでやってくるとは。 「しつこいな…」 「無理もない。カスミラにはそれだけの利用価値がある。ただ、ここまで行動に移せるというのも正直呆れるな」  裁判になれば今迄自分達がしてきたことも周知の事実になる。それが自分達の首を絞める事になると気付いているのかいないのか。まぁ、相手の事はどうでも良いけれど。  裁判か…。  レンデストは少しだけ唇を噛んだ。判決によっては最悪の結末になってしまう。けれどその可能性は低いだろう。まともに考えれば向こうの主張は通らない筈だ。勿論、それに対してはこちらも万全に準備をする必要もあるけれど。  ただ、最終的な落としどころがどうなるか分からない。完全勝利できなければ結局今よりも状況は悪化してしまう。そう考えると状況的には最悪だ。それにカスミラも関わらせないとならないのか? 少し考えただけでも頭が痛くなってきた。そのレンデストにサンブラントが言う。 「それで覆面裁判を要求してきやがった」 「…覆面裁判? まだやってるの?」 「法的には有効みたいだな。でも普通ここまでやるかね」  苦笑して、サンブラントはレンデストの驚きに同意する様に頷く。  覆面裁判は裁判官ではなく傍聴人の多数決によって判決が下る特殊な裁判だ。傍聴人が覆面を被って参加することから覆面裁判と呼ばれている。覆面を被る理由は、申立人とその要求を受ける王族を一般人が裁く為、身分による圧力が判決を左右するのを避ける為だ。  簡単な説明をすると、一つの内容に関して裁判は一度きり。判決が不服だとしても二度と同じ訴えを起こす事はできないし、通常裁判も認められない。それは受けた王族側も同じ。申立人の要求と王族の回答を一般人が傍聴し、最後は申し立てを通すかを多数決で決める。ここまでが表向きの覆面裁判の概要である。しかし通常と違うことはこれだけではない。  この裁判は傍聴を希望した一般人が参加する為、完全に違法だが息のかかった者を潜り込ませることもできる事、必ず反対意見は出る事から完全勝利はどちらにもありえず、その結果判決よりも緩和された処理が下る事も多い事、情に訴えれば申立人が勝てる可能性が高い事から申立人に甘い裁判と言われていた。ただ、申立人に有利と言われる覆面裁判も、弁護人を立てずに準備もやりとりも全て本人達が行う事、傍聴人に不正があった過去がある為、著しく不当な判決をした者は素性を明かす事、王族への不敬と取られる事もある為、その後の家門に影響が出る可能性がある事等から起こす者は皆無だった。そもそも真っ当な申立人が覆面裁判を選ばない最も大きな理由は、冷静な判断を求めるに不足のある一般人に判決を委ねられる為、とても曖昧な裁判だからだ。裁判を起こす程の要求を持っている者は、普通は弁護人に依頼し情報を整理して冷静な判断ができる裁判官に判決を委ねる。そうしなければ人生を大きく左右するであろう決断に納得ができる筈がない。しかしカスミラの両親にしてみればそれが狙いなのだろう。常識的な判決が下れば自分達の要求が通らないと分かっているのだ。 「それにしても、本当に何も見えなくなってるみたいだな。王族がカスミラを受け入れた事実と自分達のしたことを天秤に掛けて異議を申し立てるっていうんだから正気を疑う。まあ、カスミラを取り戻せば全てチャラになると思っているんだろうけど」  恥ずかしくないのかね。と呟いてサンブラントはため息をつく。 「ここまでやってくると、はっきり言って不敬そのものだ。さすがに現国王が怒り心頭で自分が出るって言ったのを止めた。もしも万が一負けたら王政が滅茶苦茶になる可能性があるからな」  国王の気持ちは有難い。けれど、やはりそれは危険すぎる。サンブラントの言った通り、万が一があれば国王の信用が傾く。でも、じゃあどうしたら? 「それでなくてもカスミラの家の名前が出る事で、もしかしたら学校関係者が来るかもしれない。同級生とかな。あいつらカスミラの事を馬鹿にしまくっていたからその後も気になってるだろうし、自分達を正当化する為にも親側に付く可能性が高い。それが過半数を超えたらそれだけで負ける。そんなところに国王を出す訳にはいかない」  確かに、あの時カスミラを侮辱していた人間は今でもそのままだろう。今は王族入りしたカスミラを妬んでさえいるかもしれない。その足を引っ張ろうとする事は安易に想像できた。 「だから俺が出る事にした」 「…え?」  普通は王族と言っても、こういった場合は年配者が出るのが普通だ。裁判のような場所に、人生経験が圧倒的に不足している若い者が代表として出る事は普通は考えられない。言葉を失ったレンデストにサンブラントは笑う。 「あいつら、風の噂では喜んでいたらしいぞ。俺を舐めているのか、自分達は俺にとって特別な存在だとまだ勘違いしてるのかもな。優越感に浸らせておけばカスミラの風当たりも弱くなると分かってから、表面上カスミラには構わずにあいつらにそれなりの対応をしてやったから無理もないけど」  サンブラントの言っている言葉は、多分後者が当たりだろう。でなければ切り札のカスミラを除籍する筈がない。 「これがどう影響するかは分からないけど、まあ俺は突っつかれて困る事はないから心配するな。それに俺なら万が一負けても傷が浅くて済むから」 「いや…」  そこまで殆ど言葉も出せずにいたレンデストは、次に強い口調でこう言った。 「駄目だ。止めておけ。っていうか、止めてくれ」  サンブラントが出て、もしも負けたらその後の彼の人生が困難になる。いずれ王位に着いた時に辛い思いをするのは目に見えている。裁判で貴族に負けたサンブラントに誠心誠意尽くす人間がどれだけ現れるか。そんな事を今から背負わせる訳にはいかない。ましてやこんな曖昧な裁判で。 「でも、俺以外が出れば王族は多分負ける」 「…」  その言葉に唾を飲んだ。確かに事情を良く知らない者が出れば、情に弱い傍聴人の心を申立人が掴み、負けるだろう。自分はカスミラの夫だから出ることはできない。もしも勝てるとすればサンブラントしかいない。けれど、やっぱり駄目だ。 「俺は、お前とカスミラを天秤にかける気はない。けど、頼むから本当に止めてくれ。お前の人生が壊れる」 「俺が出なきゃ、お前とカスミラが壊れるだろ」 「…」 「俺、前に言っただろ。お前達の為なら何でもするって」 「…」 「そんなに心配そうな顔をするなよ。負けるって決まった訳じゃないだろ」  それでも敗色濃厚だ。あまりにも条件が悪過ぎる。そう思って何も言えないレンデストに、サンブラントはこんな事を言う。 「能力至上主義の奴らに、これから世界が変わる事を伝えるいい機会だ。もしもこれで負けるならそれが民意だ。それなら俺が王位に着いた時にはどちらにしても辛い思いをする。遅かれ早かれ結果は同じだ」 「…」  それでも何も言えない。自分達のせいでどれだけのものを背負わせてしまったのか。  そして立ち尽くしてしまったレンデストにサンブラントは言う。 「裁判は一週間後。あいつらに余計な時間を与えたくないし、入れ知恵する奴が現れても困るから最短で申請したらそれで通った。で、ここからが本題だ。お前は今からすぐに視察に行け」 「え?」 「カスミラにはこっちから連絡を入れておく。このまま帰宅せずに地方に一週間。国王命令だ」 「ちょっと…」 「カスミラには絶対連絡をするな。この件だけじゃなく、他の事も。どこから何が漏れるか分からないからな。お前が不在の間はガーベラを行かせるし、ロメリアもいるから何も知らなきゃ寂しい思いもしないだろ。お前も仕事をしっかりして来いよ。一週間で終わる量じゃないから夜も働け。それでこの事は忘れろ」 「…」  これ以上この話に関わるな。と言われている事に気付いてレンデストは言葉を失った。でも、やっぱり自分には何もできない。あの時と同じだ。カスミラを助けたいのに助けられなかった無力感が同じ。  けれど、それは本人によって否定された。 「最後に言っておくけれど、これは俺の意志だ。俺が決めた事なんだから口出しするな。ま、時間があったら土産でも買って来いよ。無理だと思うけど」  最後に軽口を叩いてサンブラントはその場から去った。
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