55人が本棚に入れています
本棚に追加
/67ページ
どんな結婚をしたいですか?
「サンブラント殿下。お元気そうで何よりです」
「お招き頂きましてありがとうございます」
挨拶をする両親の後ろで、カスミラは黙って裾を持ち上げた。その内の誰に満足したのか、他の時には無かった笑みを浮かべてサンブラントは小さく頷く。その対応は優越感に値するものだった。この家族が挨拶をすれば、サンブラントはいつも機嫌が良い。そんな事が貴族間で囁かれていた。
「サンブラント殿下。僕も来年から学校に通います。将来は殿下のお役に立つ優秀な官僚になりたいです」
辞そうとした時に、隣から弟の声が聞こえてくる。後ろにも順番待ちをしている挨拶の途中で。と、居心地が悪くなったカスミラは、サンブラントの視線に気付かない。「まぁ、この子ったら」と、両親の元で笑う弟に、サンブラントは小さく頷いて言った。
「そう。頑張って」
夜会の時は、いつも両親の機嫌が良い。自分も放っておいて貰える。有り難いけれど無駄な時間。そう思いながら人目に触れない様に、隅でカスミラはじっと立っていた。あと二時間は立ちっ放しか。頭の中で地図でも思い出そうか。そう思って目を細めたカスミラに、サンブラントの声が聞こえてきた。
「やっぱりここにいた。お前、隅っこ好きだな」
「…」
放っておいて。そう思って黙って見上げたカスミラに、サンブラントは直球でこんな事を言う。
「なぁ。前から思っていたんだけど、お前家族仲悪いの?」
「…」
だから放っておいて。そう思いながらカスミラは黙っていた。見れば分かるだろうに。原因も分かるだろうに。どうして敢えてそんな事を聞くのか。
「なぁって」
「何よ」
「何か食べた?」
「…」
ううん。と、カスミラは首を横に振る。自分がここで目立つ事を両親は嫌がるだろう。でも、自分の事を知っているこの夜会の参加者は、自分が何かすれば注目するに決まっている。だから人目につかないところに逃げてじっとしているしかない。
「じゃ、別の部屋で何か食べよう。俺も行くから」
「え…」
有り難いけど、ちょっと怖い。サンブラントと一緒にいると目立つ。そもそも今だっていつ注目されるかって心配しているのに。
「あとで侍従をよこす。俺は先に行くわ。じゃあな」
そのカスミラの気持ちは察していたらしい。サンブラントはそれだけ言って、さっさと会場の中心に戻って行った。
「…」
そのサンブラントの背中を見ながら思った。どうして彼は私に優しいんだろう。と。
「お前、ちゃんと食ってるのか?」
と、食事をするカスミラを見ながらサンブラントは言った。彼の前の皿は既に空だ。少し少なめの同じメニューがカスミラの前にも並んでいて、まだ半分くらい残っている。
「…うん。食べてるよ」
カスミラは小さく頷いて言った。家では夜に一度だけ、スープとパンを貰える。スープを夜に。パンを朝に食べる。それが彼女の家での食事だった。けれど食事を抜かされたことはない。だからこの回答は間違っていない。今日みたいな日は用意されないから食事抜きになるところだった。この食事は心底有り難い。ちなみに平日のお昼は学校の学食が無料で食べられる。本当に学校様様だ。休日も学校に行って仕事。お給料の代わりとレンデストに御馳走になっている。仕事を貰えていて本当に良かった。
「それ、全部食えよ」
「…うん」
残すの勿体ないし。でも食べるのが遅くて。と、もそもそと食べていたら、それを見ていたサンブラントが遠慮もなくこう言った。
「で、さっきの話だけど」
「ん?」
「お前、家族仲悪いの?」
「…」
本当に人の心を察する事の出来ない王子様ですこと。と、思いながらカスミラは遠まわしに答えた。
「今更それを気にするの?」
「いや、そろそろはっきり聞いておこうと思って」
「…」
何で? と思った。最近めまぐるしく色々な事が起きて落ち着かない。試験、将来の事、仕事、家族、除籍。ああ、もしかして。と、それを思って気付いた。このタイミングだからサンブラントはこんな事を自分に聞くんだろうか。
「良くはないわよ。しょうがないよ。可愛がる理由がないもの」
「親が子どもを可愛がるのに理由が必要か?」
「優秀な子どもを生む為に夫婦になったのに、そうじゃない子どもが生まれたら失望するわ」
「愛がないから?」
「…そうかもしれないわね」
愛がない結婚でも、理由と結果があれば人は我慢できるんだろう。それなのに、我慢の上に結果がないだなんて確かにやりきれなくても仕方がない。
「愛があれば乗り越えられるのかな」
「…どうかしら」
もしも両親にお互い愛情があれば自分は可愛がって貰えたのか。そうだと言える根拠もない。だから前向きな答えは言えない。
「俺は好きな人と結婚したいな」
「…できると良いね」
そう言いながら少し安心した。ガーベラなら大丈夫。そう思えるからだ。能力的に問題がなければ、平民でも王族に入る事は難しくない。ガーベラは多少の苦労をするかもしれないけれど、それこそ愛があれば乗り越えられるだろう。
「お前は?」
「…」
一瞬、何の事を言われているのか分からなかった。だから黙ってしまったカスミラに、サンブラントは質問を口にする。
「お前はどんな結婚をしたい?」
「…結婚なんて」
できる筈がない。相手を不幸にしてしまう。それこそ相手を選ぶなんて身の程知らずだ。
「考えた事無いの?」
「ある訳ないでしょう。そんな」
「何で?」
「何でって…」
「じゃあ、お前の事を好きだっていう男が出てきたらどうすんの?」
思ってもいなかった事を言われて、カスミラは再び絶句した。そんな事ある訳がない。と思う前に、その状況を想像してしまう。もしも自分を好きだと言ってくれる人が現れたら。
「…」
「…食事中、長々話して悪かったな。お前、それ全部ちゃんと食えよ」
「わ、分かったわよ」
逃げ道みたいなサンブラントの言葉に我に返った。そのカスミラの前で立ち上がりながらサンブラントは言う。
「食ったら自由にしてろ。侍従を置いていくから何かあれば言え。お前の家族は見ておく。帰りそうだったら何か適当な理由付けて戻してやるから、それまでゆっくりしてな」
「…」
「じゃ」
そう言って、返事も待たずにサンブラントは部屋から出て行ってしまった。その彼を見送る。そしてサンブラントの優しさ、残して言った言葉、全部飲み込む様に、ゆっくりとカスミラは食事を口に運んだ。
それから暫く休んでいたカスミラは、思い付いて侍従を呼ぶ。
「はい。どうされましたか?」
彼はサンブラントが自分に接している様子を見ているからなのか、明らかに他の使用人よりも好意的に接してくれる。笑顔でそう言ってくれた彼に、カスミラは我儘ともいえるこんな事をお願いした。
「あの、今図書室って入る事できますか?」
「図書室ですか? 閉まっていますが入ることはできますよ。ただ、司書がいないので貸し出しはできませんが」
「それでいいです。すいませんがちょっと調べたい事があるので入れて頂けませんでしょうか?」
「承知致しました。鍵を持ってまいりますので少々お待ち下さい」
そう言って下がった侍従の後姿を見送って、カスミラは小さくガッツポーズをした。国中全ての本や資料が集まっている王宮図書室。ここでリメート地帯の事を復習しておこう。何か新しい発見もあるかもしれないから。
最初のコメントを投稿しよう!