家族のこと

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家族のこと

 町の外れまで歩いてきた時には夕方になっていた。ゆっくりと寄り道をしながら歩いていたら結構な時間が経過していたらしい。 「私、こんなにゆっくりとここを歩いたの初めてです」 「俺も」 「知らないお店、沢山ありましたね」 「うん」  その後も、特にカスミラは欲しいものを言わなかった。でも、彼女が遠慮をしていない事はそう言った時の笑顔で良く分かる。満たされているのならそれでいい。 「戻りますか?」  と、町の端まで来てカスミラは笑った。 「ん…」  頷きかけて店のショーケースに飾られていたものの光に気付いた。カスミラの手を取ってそこに近付く。不思議そうな顔をしていたカスミラは、店の前で目を細めて笑った。 「綺麗ですね」  と、カスミラが呟く声が聞こえた。貴金属の店だ。大きな原石の装飾品。小さなイヤリングやネックレス、指輪が飾られている。 「…指輪も買わなきゃね」  それを見ながらレンデストが呟いた。その言葉に、カスミラの手がほんの少し反応する。それを感じながら、独り言のように呟いた。 「今買っても良いけど…やっぱり少し時間をかけて考えようか。一生ものだし」  そう言ってカスミラを見ると、真っ直ぐに自分を見上げている彼女と目が合う。 「それとも今日の方が良い?」 「…え…いえ…」 「まだ実感がない?」 「…」  図星を言われて、カスミラは今度は赤面して俯いた。そのカスミラに言う。 「ごめんね」 「…?」 「夫婦らしいこと全然できてないから無理もないよね」  そう言ったらカスミラの手が強張った。何を考えたんだろう。分からない。ただ、不安が伝わってくる。 「カスミラ」  呼んだら泣きそうな顔を上げてくれた。その顔を見せてくれてほっとする。いつかと違う。自分に全てを見せてくれる。夫婦らしいことはできていなくても、彼女と深く繋がっている事を感じる。 「これからゆっくり、色んなことを経験しよう。二人で」 「…はい…」  ほんの少し強く握りしめてくれた手を、応える様に強く握った。  夕食を食べて行こうか。そんな話をして二人でレストランに来た。学生時代に食事をしていた場所とは格が大分違う。そんな事にも二人の間柄の変化を感じる。緊張するような、嬉しいような、何だかもどかしいような。 「カスミラ」 「はい」  御馳走様でした。と、手を合わせたらレンデストの声が聞こえてきた。丁度食後のお茶が運ばれてきて一瞬話は切れたけれど、店員が離れてレンデストはこんな事を言う。 「一つだけ、聞きたいことがあるんだけど」 「はい」 「カスミラは…」  そこまで言って、何故か悩むようにレンデストは小さく唸った。それを黙って見ていたら、彼のこんな言葉が聞こえてくる。 「もしも答えるのが辛いなら言わなくて良いんだけど」 「…はい」 「家族に未練はある?」  家族。と言われて思い浮かべたのは、レンデストと彼の両親だった。そこから広がる様にロメリアや他の従業員の顔も出てくる。けれど未練? そう言われて誰の事か理解した。どうしてそんな事を聞くんだろう。 「あの、先生。もしかして何か…」  レンデストの家に何か失礼な事でもあったのだろうか。自分のせいで。言われてみれば十分にあり得る話だ。でも。 「いや、何も」  その即答に心底ほっとした。そして、ただ自分の心の内を問われていると気付いた。自分が落ち着いたのが分かってそんな質問をしてくれたのだろう。確かに家を追い出された後と今は全然違う。 「…」  カスミラは暫く無言だった。そして考えた。気持ちの整理をして、言葉を選択して、やがて口を開く。 「上手く言えるか分かりませんが…」 「うん」 「…私は実の両親の事を…家族の事を、何とも思っていません。恨んではいません。未練もありません。冷たいと思われるでしょうが、それが正直な気持ちです」 「…うん」 「家にいた時や、もっと子供の頃には色々と思う事もありました。でも、その時ですら親に振り向いて欲しいと思うことはあまりなかった気がします。私は……親と私は『合わない』と、ただそう思っていました。この体質に生まれた私と受け入れられない両親は、ただ合わなかったんです。それだけです」 「…そっか」  端から見ていても、それは事実であると感じる。本当に、手の施し様が無いほど相性が悪いんだろう。でも、それならそれで子供心に寂しさを感じても良い筈だ。それなのにどうしてカスミラは何もかも手放せたのか。  そう疑問に思ったけれど確認するつもりはなかった。自分が勝手に遠ざけた実の両親の事、カスミラが今どう思っているのか気になった。ただそれだけだ。彼女にとって、本当にこれで良かったのか。もしもそうでないのなら、それを理解した上で守りたい。そう思った。どちらにしても二度と接触させるつもりはない。建て前の愛情で、彼女をもう一度傷付けるなんて絶対に許さない。 「先生」 「ん?」  きっと話は終わった筈なのに、聞こえてきたカスミラの声に顔を上げた。その彼女は穏やかな声でこんな事を言う。 「これだけは知っておいて下さい。達観した様な事を言いましたが、私が今の気持ちを言えたのは先生のお陰です」 「…?」 「先生に助けて貰う前の私は、ただ全てを諦めていただけでした。この体でいる限り、親からも周囲からも認められることはないと言い聞かせて、時間が過ぎて一生を終える為だけの人生を過ごすつもりでした」  だから親に振り向いて欲しいと思うこともなかった。寂しいという感情も不要だった。その全ては、自分の人生を豊かにするための原動力だから。 「それなのに先生が私の事を……」  そこで言葉が止まった。カスミラは言い辛そうに口を噤む。いつかを思い出す。言いたくないのか、と思ったけれどそうじゃなかった事。その二人の経験は、この時に確実に生きた。もしもレンデストが何か言ったら言えなかった言葉を、カスミラはやがて口にする。 「…愛して下さって、大切にして下さって、生まれてきて良かったと心の底から思えました。今振り返ったから両親の事も決別して大丈夫だとはっきり思えたんです。もしも家を出た直後だったら、同じ事を言えたか分かりません」 「…」  うん。と、頷いた。カスミラの幸せが自分を包み込んだ気がした。でも、それは違うとすぐに気付いた。これは自分の中にある多幸感。それをカスミラが刺激したんだ。そのレンデストにカスミラが言う。 「さっき先生に家族と言われた時、最初に思い浮かんだのは先生と、お父様とお母様とロメリアさん達でした。私を心まで全部家族にして下さって、本当に感謝しています」  ずっとひとりぼっちだった。その自分を、親がいるのに家族になれない自分の全部を、あなたが家族にしてくれた。こんなに心地良くて安心できる毎日をありがとう。  その喜びが声と一緒に伝わってくる。誰よりも幸せにしたいと思った彼女が、誰よりも幸せだと言ってくれている。いつかの感覚を思い出した。
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