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深く深く
言葉少なく見つめ合って、一時間過ぎるのは長くて短かった。もっとこうしていたい気もする。我慢すればする程、この後の感情が爆発的に大きくなる事を知っているから。初めて解放したその感情に溺れてみたい。どれだけ苦しくて重いだろう。苦痛にも似たそれが、やがてより大きな充実に変わるのも知っている。
一時間後。メッセージを受け取って、内容を理解できなかったからそれで見るのを止めた。そして忘れた。頭を空っぽにして、全部をカスミラで満たしたい。そう思った。
ああ、そう言えば。
ふと、彼女の境遇がこんな状態じゃなかったら。と、考えた過去を思い出した。その時に、この逆境が自分の気持ちに作用していることを否定した。そうじゃなくても自分はきっとカスミラに惹かれた筈だと。その答え合わせをする時だ。自由になった自分達は今まで通り思い合っていけるのか。
自分は? そしてカスミラは?
「カスミラ」
と、部屋に入って手を引いた彼女の名前を呼んだ。ドアが閉まるまで待てない。やっと二人きりになれた。彼女を抱き締めて唇を重ねると、まるでぴったりとピースが嵌まる様にカスミラも自分を抱き締めて受け入れてくれる。深いキスにも躊躇わずに応えてくれて求めてくれる。背伸びをして、必死に。どんなにきつく抱き締めてももっととせがむように。
「ん…ん、ん…」
少し体に触れただけで、そんな声を漏らして震えた。彼女の反応は敏感だ。いつもよりもずっと。それを怖がっていたのを知っている。逃げたがっていたのも。でも、それも全部見せて欲しいから許さなかった。大人気ないのは分かっている。けれど、そうやって自分の気持ちを確かめたかった。理性では辿り着けないところまで。
「せ…先生…待って…」
「…分かった」
躊躇いがちな彼女の拒否をちゃんと受け取る。そこまで無理をさせる気も獣になる気もない。けれど、もう少し。
彼女を抱き上げてソファに下ろした。そしてもう一度唇を塞ぐ。体には触れないから、もう少し満たされるまで。
それは彼女も同じだったらしい。目を閉じて自分を抱き締めて、何回も何十回も求めたそのキスに応えてくれた。
「…シャワー浴びる?」
どの位唇を重ねていたのか。やっと少し冷静になってそう呟いた。
「…」
涙目のカスミラは震えたまま答えない。自分よりずっと感情に捕らわれているのが分かる。自分がそうなってしまったら止められないから我慢したのに。狡い。だから意地悪をした。
「それともこのまま先に進んでも良い?」
「ん…んん」
必死に首を振ってカスミラが答える。じゃあ。
「動けない?」
「…」
それもあるのかもしれない。けれど、そうじゃなくて。
自分の服が、ほんの僅かに引っ張られた。
「もっと?」
顔を近付けたらカスミラが顎を上げた。もっと。そう答えた彼女の唇をもう一度塞いだ。
「…シャワー浴びてきます…」
満足したのか、やがてカスミラがそう呟いた。名残惜しい。そう思ってそのままでいたレンデストを見ていたカスミラは、やがてレンデストにすり寄って呟く。
「狡いです。先生…」
「何が?」
今までそんな事を言われた事がなかった。そう言われない様に必死に自分を制してきた。晒け出したら狡いと言われるのか。カスミラに気付かれない様に笑った。理解できなくもない。急に態度を変えた自分は確かに狡い。
「嫌?」
「…」
そうではない事が明確に伝わってくる。さっきから自分達はおかしい。言葉じゃなくても確実な感情が伝わってくる。離れ難い。二人きりでいるのに少しも離れたくない程相手を求め合っているから求められたら拒めない。
「ごめんね」
相手もそうだと分かると安心する。だから額をくっつけて笑ってレンデストが囁く。
「シャワー浴びておいで」
お酒に酔っているんだろうか。カスミラはベッドに座り、本気でそんな事を考えた。瞼が重い。熱があるみたいに頬が熱い。目が潤んでいるのも感じる。アルコールのせいじゃなければ風邪でも引いたのかもしれない。動悸もするし、何となく息切れも。苦しい。胸に手を当てて、意識的に大きな呼吸を繰り返して泣きそうになった。
違う…。
自分を誤魔化す様に考えていた事を、とても認められなくて否定した。アルコールや風邪のせいだと思い込めば、この体調不良が良くなると思った? そうではない事を知っていても、そうではない理由に当て嵌めれば自分の頭を冷やしてくれると思っていた。けれど全然治まらない。そんな抵抗は何の慰めにもならなかった。だって本当は分かっているし、もう理性なんかで抑え付けられる筈がないから。
「カスミラ」
と、声が聞こえてきた。驚いて震えた肩に動じることもなく、彼が後ろから抱き締めてくれる。ああ、もう駄目だ。と、カスミラは涙目で諦めた。
シャワーから戻ったら、カスミラがベッドに座り込んでいるのが見えた。何となくソファにすら座れる状態じゃないことが分かる。そういう状態のカスミラがたまらなく愛おしい。困って戸惑って怖がっている。それくらい自分に反応してくれている。嘘みたいだ。
「カスミラ」
と、声をかけて後ろから触れた。震えた体が拒まずに自分に大人しく収まる。けれど彼女は泣いていた。酷く怯えてる。過敏に反応している体と心に。それを刺激している自分が今までと違う。苦痛にも似たこんな事は絶対にさせなかったのに。
「あ…」
強く抱き締めてうなじにキスをしたら、自分の腕に爪を立てるくらいに強張った彼女が声を漏らした。もしもいつもの自分に戻って欲しければ、絶対に聞かせてはいけない声だったのに。
お互いに足を引っ張り合って泥沼に嵌まっていく。抜け出せなくなるような恐怖を覚えながらカスミラの唇を塞いだ。
「…あ…ん……ん、ん…」
やだ。もう、やだ。
気が狂いそう。目が回る。それを分かっている癖に、こんな風にした癖に、自分を更に追い詰めるレンデストに苛立ちに似た何かを覚えた。それが本物の苛立ちだったら良かったのに。そうだったら拒めたのに。その強い感情は苛立ちとは同じ様で対極にあるもの。
「せん…せ…」
手を取って指にキスをしてくれたレンデストに抗議の視線を向けた。自分がどれだけ泣いているか、苦しいか分かっていても彼は助けてくれない。それを引き伸ばして更に強めるようなことばかりする。酷い。こんなに酷い人だったなんて知らなかった。
「何で…?」
「何が?」
いつもの静かな声でそんな事を言う。涙に触れて、それを優しく拭ってくれて、更に私を泣かせる酷い人。
ベッドの上で抱き締めてくれた後、キスをしてくれてゆっくり横たわらせてくれた。それから何度もキスをくれて、優しく自分を刺激した。耳や、首や、手や腕まで。まるで紳士的にその先には進まなかった。紳士的に見えて途轍もなく酷い事をしていると知りながら、そうやって私をずっと見ている。
「もう…嫌…です…」
そんなに焦らされたら感覚だけが研ぎ澄まされて、体に触れられるのがどんどん怖くなってくる。自分の反応を見ていれば分かる筈なのに、最初からそうだと知っていた筈なのに、ひたすらささやかに触れて刺激し続けた。優しい振りして、どうしてそんな酷い事。
先生?
「ごめん。まだ眠りたくなかったから」
その答えを、少し笑いながら彼が言う。
「俺だけを見てくれるカスミラを見ていたかった。他の事を考えられなくなる位、俺しか見えていないカスミラを」
「…」
思っていた以上に残酷な回答だった。自分は彼の手の平で転がされていたと知った。確信犯だ。この人は優しい愛情に晒されて、泣くほどもどかしい思いをしていた自分を見ていたんだ。
「もう限界? ごめんね」
さっきまで軽いキスしかしてくれなかったのに、そう言ってくれた次のキスは深くて激しかった。急にそんな事をされて震える自分に彼が言う。
「カスミラ」
「…っ」
耳元で囁かれた声にすら体が反応する。もう無理。今からこれ以上の事をされたら。
「好きだよ」
「や…やだ…」
「どうしようもなく好きだ。関係が変わっても、状況が変わっても、ずっと限界を越えていくくらい」
「あ…だ…駄目。嫌…」
ずっと求めていたのに、あっさりと一線を越えた彼の手を思わず拒んだ。触れた場所の血液が熱くなって体に流れていく感覚をはっきりと感じる。体がおかしいくらいに反応する。言葉でもはっきり渡された愛情は、心の奥も刺激した。
「嫌?」
「あ……え? 先生…?」
そう言いながら彼の手は止まらない。そうじゃない事を知っているから、それを与え続けてくれる。それなのに言葉だけがそれを否定する。
「怖い?」
「や…やだ…あ…」
「止める?」
「…先、生…もう、許して…」
意地悪。本当に意地悪。でも、彼の気持ちはよく分かる。だって自分も全く同じだから。この上なく愛を伝えてくれる優しい愛撫を、本当はずっと感じていたかった。彼だけを見て、彼だけを感じていたかった。怖いくらいに敏感に。
でも自分は我慢ができなくなった。もっと沢山欲しい。もっと濃厚なあなたを。
「早く…下さい…。意地悪、しないで…」
いつかの様に縋るように手を伸ばしたら、いつかの様にその手を取って受け入れてくれる。その時には見れなかった彼の嬉しそうな表情を、この時ははっきりと見ることができた。
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