歓喜の出迎え

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歓喜の出迎え

 目が覚めたら一瞬で覚醒した。深く充実した睡眠がとれた。なんて心地良い目覚め。体はほんのりと温かくて軽い。  同時に目を覚ましたのか、それとも既に目覚めていたのか、肌が触れ合った彼女が少し動いた。 「カスミラ。おはよう」  髪を撫でて言うと、彼女は甘えるようにその手にすり寄った。 「…おはようございます」  そう言いながらカスミラは自分に抱き付いてくる。随分大胆だ。でも納得する。目が覚めても残るくらい、昨日は深く愛し合うことができた。 「よく眠れた?」  自分も彼女を抱き締めて呟く。 「はい。…先生も?」 「うん」  睡眠もカスミラも昨日過ごした時間も朝日も、全てが自分を癒してくれた。そして裁判の結果も。やっと彼女を完全に安全な場所に連れて来られたと改めて実感する。人並みの、ずっと切望していた自由をとうとう手に入れた。 「カスミラ」  顔を見たくて手を緩め、名前を呼んだ。けれど彼女はぴったりと自分にくっついたまま離れない。それを見て笑ってしまう。 「恥ずかしいの?」 「…」  その質問に彼女は答えない。何でもない、答えても構わない質問に。そういうものを無視したりしない彼女が。だから違うと分かる。 「離れたくないの?」 「…」  その質問に暫く沈黙していたカスミラは、やがてはっきりと頷く。甘えてくれていると分かった。離れ難いほど。  そして自分はまた遅かったんだと気付いた。周囲が気付いていた事を、きっと自分だけが通り過ぎていた。与えれば彼女は受け入れて、安心するし喜ぶのに。  結婚してもう結構な時間が経つのに、初めてこうして甘えてくれた。いつも自分を気遣ってくれていた彼女が。いや、本当は甘えたかったのに自分がそれを受け入れる合図を出せなかったのかもしれない。もう本当の事は分からないけれど、確実に二人の距離は近付いた。だからこの時間を終わらせたくないと表現してくれるカスミラに言う。これから何度でも。 「またデートしよう」  二人で過ごす時間が楽しいことに変わっていく。安らぎや救いから、心が浮き立つような喜びに。 「約束通り、旅行も行こう」  いつかの様に額にキスをした。彼女の幸せを願う気持ちが、いつかと同じ行動に繋がる。手に入れたいと焦がれていた彼女は、手の中でこの上なく愛おしい存在になる。取り巻く環境が緊張から安心に変わっても、彼女だけは変わらない。 「でも、先生…お仕事…忙しいじゃないですか…」  抗議の様な彼女の言葉に笑ってしまった。この会話一つする事をどれだけ待ち望んでいたか。 「…ごめん」 「カスミラちゃん! おかえりなさーい!!」  昼食まで外で済ませて少し買い物をしてから帰宅すると、待ち構えていたようなタイミングで母親が外に飛び出てきた。ぎゅうう、と、力いっぱい抱き締められてカスミラは動けない。随分大層な出迎えだな。と、呆れた顔で見ていたレンデストの視界に父親とロメリアも入ってくる。二人は嬉しそうに母親とカスミラを見ていた。ロメリアに至っては涙ぐんでいる。何もそこまで、と思って気が付いた。  もしかして。  多分、裁判の結果が届いたんだ。自分は裁判の前に帰宅もせずに視察に行かされたからどういうやり取りがされていたか分からない。昨日、両親の様子が変わらなかったことを考えると、もしかしたら本家で話を止めていたのかもしれない。裁判の情報は勿論一般公開されるけれど、特に興味を持っていなければ耳に入らない情報だ。自分だってサンブラントに言われるまでまさか裁判にまで発展しているとは思っていなかった。覆面裁判という特殊なものだったこともあり、その結果がまずは一族に届いたのだろう。結局詳細は分からないままだけれど、サンブラントの様子から理想的な結果になったと思っていた。それが三人の様子を見て裏付けられる。良かった。本当に良かった。 「た…ただいまです…」  ぷは。と、解放されたカスミラがやっと答える。そのカスミラに、小さい子どもが初めてのお使いから帰ってきたのを迎えた親の様に髪を撫でて母親は言った。 「楽しかった? プレゼントいっぱい買って貰った? 美味しいもの食べさせてもらった?」 「は、はい。とっても楽しかったです。あと、皆さんにお菓子を買ってもらいました。これ…」  と、嬉しそうに手に持っていたものを見せると母親が本気で泣いてもう一度カスミラを抱き締める。 「いい子…! なんていい子なの!! 良いのよ。こっちの事なんて気にしないで。カスミラちゃんが欲しいものを本でもお菓子でも服でも宝石でも土地でも何でも好きなだけ買って貰いなさい。どうせ碌に家にも帰らずに馬車馬みたいに働いてお金だけは稼いでくるんだから、それで好きな事をすれば良いのよー!」 「…ちょっと」  さすがに聞き捨てならない。でも、その言葉は誰も聞いていない。父親だけでなくロメリアまで嬉しそうに頷いている。仕方がないか。今日は無礼講だ。 「デートはどこに行ったの?」 「あの、町のお店を見て回りました。知らなかったお店もいっぱいあって、色々なものを見れて凄く楽しかったです」  素直にそう答えたカスミラは笑顔だ。その表情が嬉しくて仕方がなかったらしい。母親は心底愛おしそうに頷く。 「そうなの。そうなの。お茶を飲みながらゆっくり聞かせて頂戴」  そう言ってカスミラを連れて行こうとする。 「はい。…あ…」  その、全員の嬉しそうな顔を見ていた自分の袖が引っ張られた。 「せ、先生も…」 「…」 「…」 「…」 「…」  そのカスミラの行動に、全員が目を丸くした。今迄だったらきっと違う行動をした筈。全員がそう思った。  やがて母親が泣きそうな顔で笑う。 「…あら。そう」 「カスミラちゃん。そうかそうか」  こちらも泣きそうになりながら、父親がうんうんと頷く。そしてレンデストの背中を気持ち強めに押した。 「余程楽しかったんだなぁー。しょうがないからこいつも連れて行こう」 「…」  言いたい事はあるけれど、親の気遣いに感謝した。カスミラが恥ずかしい思いをしないようにしてくれた事は分かる。お互い素直にはなれないけれど…まぁ今日はつまらない事を考えるのは止めよう。 「あー…。そう言えば、この輪っかとじゃがいもは何なのさ。意味が分からないんだけど」  五人で歩き始めて、思い出した様にレンデストは言った。昨日の夜、受け取ったメッセージ。そこに書いてあったのは意味不明な絵だった。そうしたら不機嫌な声が返ってくる。 「輪っかって何よ。こうやって両手で大きな丸を作っているところ以外にどう見えるのよ」 「…え?」 「じゃがいもって何だ。親指立てている手の絵だろ」 「…ええー?」  そう言われて紙を一回転させて色々な方向から見てみる。…けれど見えない。 「こっちから見るの」 「俺のはこっちだ」 「ちょ…せめて見る方向位合わせてよ…」 「しょうがないでしょー。二人で一緒に書いたんだから」 「っていうか、この返事ならいらない」 「お前はっ。親からの手紙になんて事を!」 「だって、そもそも何で絵で描いたの? 文字なら一言で済むのに」 「文字なんかよりも気持ちが伝わるでしょうが!」 「結果、何も伝わってないんだけど…」  そんな親子のやり取りの間にカスミラとロメリアの笑い声も混ざる。庭園に咲き乱れる彩り鮮やかな花達は、五人の楽しそうな声に柔らかく揺れた。
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