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 もやもやした心地は五時間目の授業中に少しだけ忘れた。  だって給食の後の五時間目って、まさに拷問だよ。眠くて、眠くて……。  どうにか目を開けてこらえたけど、数学の授業が終わったとたん、私は席に突っ伏して目を閉じた。  わずか十分の休み時間でも眠りたい! ……と思っていたのに。 「なあなあー、こっちの藤崎いる? あいつ席どこ? あ、これ? 寝てんのがそう?」  そんな声がどんどんこっちに近づいてくるんだけど……! 「おい、藤崎!」 「…………」 「ふーじーさーきーっ」 「…………っ」  寝たふり、寝たふりっ。  寝たふりすれば、そのうち諦めていなくる、きっと……たぶん。 「花凜ーっ!」  え、今度は茉凛の声? 「ごめーん、歴史の教科書貸してー……って、あれ? なんで三木君がいるの?」 「あ、藤崎妹。おまえの姉貴ってネボスケだなあ。この距離で叫んでんのに。耳遠いんじゃね?」 「……もう、聞こえてるわよ!」  我慢できなくなって、結局私はがばっと身を起こした。 「うっわ、なんだよ。起きてんじゃん」 「なんなの? さっきから――」 「なあ、ダンスやんね?」  私がしゃべろうとするのもお構いなしに、三木が言った。 「……は? なに?」 「文化祭の有志。この前、メン募の貼り紙見てたろ?」 「あ、それ私も見たっ」  茉凛が三木の隣でうなずく。まただ、なんだろう……いやな気分になる。  私は首を横に振った。 「私、パス。やらない」 「えーっ、なんでだよ。経験者の戦力、ぜってー欲しい」  三木はわかりやすく憤慨する。 「経験者だなんて勝手に決めつけられても困るわよ」 「え。おれ聞いたもん。おまえら小学校のころ、ダンス教室通ってたって」 「……え」  ……おまえ?  ってことは、もしかしてしゃべったのは。  茉凛のほうに目をやると、茉凛は屈託なく、えへへっと笑った。 「…………」  茉凛のおしゃべり! つい、茉凛をにらんでしまった。  そういえば、茉凛と三木は同じ二組だ。クラスが一緒なら、それなりに言葉を交わすことがあったって不思議じゃないことくらい、わかるけど……。  気を取り直して、私は言った。 「通ってたのは小学生のときの話。もう辞めたんだから」 「経験者には変わりねえだろ。メンバー、ぼちぼち集まってはいるんだけど、 ダンスやったことないやつらも多いんだ。俺も習ったことはねえし。経験者いれば百人力じゃん」  ダンスが嫌いなんじゃない。でも、踊りたくない。  踊ればまた、いやなこと思い出しちゃうに決まってる。 「三木君、ダンスって何人くらい集まってるの?」  茉凛は興味津々みたい。 「まだ俺入れて十人ちょっと。どんな曲でどんな振り付けにするかとか、これからメンバーで決めてくんだ。ステージ全部、俺たちで作ってくんだぜ」 「へえ、面白そうっ!」  好奇心をむき出しにして、茉凛はせがんできた。 「ねえ、花凜。やろうよっ。ダンス面白そう。私また、花凜とダンスやりたいっ!」 「…………」  とたんに、胃の中に氷が落ちてきたような感触がした。  急にわずらわしくなって、私はつい語気を強める。 「やらないって言ってるでしょ! 出たいなら、茉凛やればいいじゃない」 「…………」  そっけなく言い放つと、茉凛は口をつぐみ、思い直したようにあいまいに笑った。 「そ、そっか……。花凜がやんないなら、私もやめとこっかな……」  気まずさを感じる間もなく、チャイムが鳴った。  黙って私が歴史の教科書を渡してやると、他の生徒の波にまぎれて、茉凛も慌てて教室を出ていく。  黙っていた三木はちらっと私を見てから、なにも言わず教室を出ていった。  同じ家に生まれたんだから、住んでいるところも同じ。  通う幼稚園も、小学校も、中学校も同じ。ついでにダンス教室も。  茉凛はいつも一緒だった。そう、生まれてくるその瞬間から。 「待ってよ、花凜ーっ。置いてかないで!」  毎朝いつもの時間に私が玄関を出ようとすると。  いつもちょっとトロい茉凛は決まってドタバタと追いかけてくる。 「ほら、茉凛。早くしないと遅刻するわよ」  通学用の靴に足を突っ込むようにして、茉凛は慌てて玄関を出てきた。  学校まで、十五分くらい。通いなれた道のりを茉凛と並んで歩く。茉凛は思い出したようにあっと声を上げた。 「そうだ。私、今日から放課後残るから、遅くなるんだ。母さんに言っとくの忘れてたっ」 「文化祭のクラス展示?」 「うん! 私、クラス展示のリーダーになったの。二組は模擬メイド喫茶やるんだ。男子も女装メイドやるのっ。面白そうでしょ?」 「へー。茉凛はメイド服、似合いそうだよね」  白いふりふりのエプロンにヘッドドレスの茉凛を想像した。  うわ、それ絶対、似合うやつだよ……。 「一組は何やるの?」 「うちは模擬縁日。って言っても、ヨーヨーと射的だけだけどね」  茉凛はきっと、二組の中心になってうまくやるんだろうな。  甘え上手で、どこかあぶなっかしい茉凛は、周りがつい世話を焼いちゃう子だし。  ウワサじゃ、茉凛は上級生にも下級生にも、男子にもモテるとか。  ……ほんと、私と大違いだよ。  いつもの坂道を上がり、学校の通用門を入るとフェンス越しに広い校庭が広がった。  はつらつとしたかけ声。あちこちで運動部が朝練をしている。 「あ、三木君だ」 「えっ」  茉凛の声に、私は思わず視線の先を追った。  サッカー部の朝練の中に、三木の姿があった。部員同士でパス練習をしている。 「三木ってサッカー部だったんだ」 「あ、知らなかった? 私、三木君と出席番号が前後なのっ。一学期は席も前後だったんだけど、サッカーの話は男子とよくしてるね」 「へえ?」  茉凛はウワサ好きな女子そのものみたいな笑いかたをして、声をひそめた。 「三木君ってさ、ちょっとイケメンだよねっ。結構女子に人気あるんだよー」 「ええ? そう? あの三木が?」  なんだか意外……。  三木って妙に押しが強くて、強引そうなイメージしかないけど。  他の部員と声出しをしながらボールを追う姿は、真剣そのもの。  ふうん。あんな顔もするんだな。  その日の昼休み。  また窓の外からアップテンポの曲が聴こえてきて、私はそっと校庭を見下ろしてみた。  三木と、ダンス有志の子たちがポップコーン・ステップの練習をしてる。  楽しそうだけど……見ていて、ちょっとじれったいな。  もっとリズムを意識して、上半身も使わないと!  ダンス教室の体験クラスに参加したあの日。  先生に習って初めてステップを踏んで、興奮してわくわくしたんだったな……。  ポップコーン・ステップはヒップホップの基本のステップで、小学校のとき通ったダンス教室で、私と茉凛が初めて教わったステップ。  毎週教室に通って、家でも夢中で、狭い部屋で夜もステップの練習をして、父さんたちにうるさいって怒られたな。  ダンス教室に通って、楽しくて、毎日がキラキラしてた。  がんばって、がんばって、いっぱい練習したけど……。 「あ……」  いつのまにか、私は校庭から聴こえてくる曲に合わせて右足の踵でリズムを刻んでいた。  全然気づかなかった……無意識だったんだ。  ダンス、本当はやりたいよ。  それでも踊ったらきっと、またダンスを辞めた時のことがのしかかってくるに決まってる。またあんな苦しい思いはしたくないよ……。  けど、その日の放課後。三木は予想外なことを言った。 「おまえ、ダンスのメンバーに入れといたから。有志の」 「ええっ?」  な、なにそれ。人になんの断りもなく!   と私が言う隙を与えずに、三木は続けた。  「だって藤崎、やりたそうな顔してたし」 「し……してないわよ」 「なんでそんな無理してんの?」 「む、無理なんて……」 「ほんとはやりたいんじゃねえの? 今日も見てたじゃん、昼休み」 「ま、茉凛を誘えばいいじゃない。三木と同じクラスだし……」 「あのさ。おれはおまえを誘ってんですけど」  それって、私を誘えば自動的に茉凛も入ってくるって思ってるの?  そんないやな考えもよぎったけど、三木は意外なことを言った。 「誰かがやるなら私もやるーなんて言うやつより、自分の意思でやりたいって思うやつじゃねえと困るんだよ。有志ってそういうモンだろ。文化祭までの一か月だけとはいえ、チームになるんだから」 「チーム……」 「チームワークってのはイコール集団行動じゃねえんだよ。それぞれ自分で考えて動いて、そんで連携できることを言うんだよ。サッカー部じゃ、そこ厳しく言われてんぞ」 「…………」 「明日からはダンスの朝練もやるんだ。もう準備期間だから、俺も有志の朝練に入る」  そうだ、学校の決まり。  文化祭準備期間は、運動部の練習より文化祭を優先していい決まりだったっけ。 「無理に来いなんて言ってねえからな。メンバーに入れといただけ。来るか来ないかはおまえに任せる。べつに来なくたって、うらんだりしねえよ」 「ちょ、ちょっと、三木」 「七時四十五分からだぞ!」  じゃっ、と三木は廊下を去っていった。  三木の姿が見えなくなると、私はちょっとびっくりした。  いつのまにか、胸がドキドキ高鳴ってる。  なんでダンスのことになると、ドキドキするんだろ……。  その答えなんて、本当は、わかってるくせに。
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