雨が降る夜だった

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 その夜、僕はめちゃくちゃ落ち込んでいた。  煌びやかなネオンが街を飾る時間帯、六月も終盤の金曜のことだった。夜の序章に突入したことで彩度が落ちた空からは、頬を叩くような激しい雨が降りしきっている。  皆が、カバンや肘を雨除けにして急いで駅へと走っていくが、電車を降りて駅から出た僕は、駅前で一人、雨に打ち付けられながら歩いていた。  雨水が染み込んで深い色になったスーツのジャケットが、重く肩にのしかかり、濡れてセットが崩れた前髪が視界の端をちらついた。   ――申し訳ないんだけど、私、(やなぎ)くんみたいな弱々しい男は好みじゃないの。仕事もできないし、そのうえ下戸で、趣味が料理と家事だったかしら? 私はね、自分よりも仕事ができてお酒に強い男らしい人がタイプなの。だから、ごめんなさいね。  ほんの三十分ほど前の佐藤主任の言葉を思い出す。ミーティングが終わった後に、二人きりになった会議室で勇気を振り絞ってした告白だったのに、あっさり振られてしまったのだ。  転職してきて約一か月。彼女の堂々とした立ち居振る舞いと、サバサバした性格に僕はかなり惹かれていた。意気地がない僕とは真反対で、かっこいいと思ったからだ。でも。 ――悪いけど、好みじゃないのよ。  でも、振られてしまった。自然と足が止まって、ため息が出る。 「うわ、何だあれ」  ふいに揶揄うような若い男の声が聞こえた。そりゃ、大雨警報が出てるなか、傘も差さずにずぶぬれで外に突っ立っているリーマンがいたら揶揄いたくもなるだろう。特に若い年頃の子は。  彼らの顔なんか見たくもなくて、僕は振り返ったりなんかはしなかった。 「何やってんだろーな。声かけてみる?」 「やめとけよ、あれは絶対訳ありじゃん。めんどくせーって」  連れがいるのか、引き気味の男の声も聞こえた。 「でも、なかなか顔は可愛いかも」 「いや、あれ未成年だろ。家出少女とかだったら色々だりいって。警察とか」  ん?  可愛い、未成年、家出少女。  そのワードはどう考えても僕に似つかわしいものではなかった。違和感を覚えて顔を上げると、数メートル先に、セーラー服を着ている髪の長い女の子がいるのが見えた。  傘もささずに路肩にぼうっと突っ立っているので、彼女は全身ずぶ濡れだった。文字が書かれたプレートを持っているようだった。 「でも、何か気になんねえ? ちょっと話聞いてやろうぜ」 「やめろって、もうすぐ瀬名先輩とか来るし、急がないと怒られんぞ」 「うわ、それはだりーわ……まあ、しゃーねえか」  男二人の足音は、遠ざかっていった。  一方で僕は、その女の子から目が離せなくなった。何をしてるのかが無性に気になったのだ。持っているプレートに何が書かれているのかも。  けど、このときはまだ声をかけるつもりなんてなかった。  僕は、彼女の前を通り過ぎようとして、ちらりと横目で彼女の顔と、持っているプレートを確認した。  瞬間、思わず目を見張った。彼女はとても綺麗な顔立ちをした、色白な女の子だった。  そして、プレートには。 『優しい人、拾ってください』  と、黒のペンで書かれていた。  この豪雨のなか、文字が1ミリも崩れていない。きっと油性なのだろう。  彼女は、そのボードを持ったまま空虚な瞳で俯いていた。 「ね、ねえ」  思わず僕が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。濡れた髪が、白い頬に黒々とした筋を数本つくっていた。綺麗な瞳に正面から真っ直ぐに見つめられて、その破壊力にたじろぎそうになる。 「寒いでしょ。風邪ひいちゃうよ」  僕が、何とか精いっぱい大人らしい言葉をかけると、彼女はまじまじと僕の体を見つめてきた。スーツのジャケットもスラックスも、全身濡れている僕。たしかに人のことは言えない状況だった。 「あ、えっと、僕は雨に濡れたい気分だったから……。君は、家に帰らないの?」  彼女はゆっくりと頷いてみせた。表情がどことなく暗い。  絶対訳ありじゃん、と若者たちが言っていたが、あながち間違いではなさそうだ。僕は彼女が持つボードを見た。 「これ、誰かにやれって言われたとかじゃないよね? いじめられてない? 大丈夫?」  そう尋ねると、彼女はまたしてもゆっくりと首を縦に振ってみせた。ひょっとしたら、彼女はいじめを受けていて雨の中こんなことをやらされてるのではないかと案じたが、杞憂だったようだ。  でも、どうしたものかな……と僕は声を発さない彼女を前に、途方に暮れる。こんな雨が降る夜に、未成年の女の子をここに放置して万が一なにかあったら大変だ。さっきの若い男たちのような輩だっているだろう。かといって、僕の家に泊めるわけにも……。警察に通報するのは可哀想な気もする。 「お兄さんが傘、買ってあげようか」  迷って、結局そう打診するのが精一杯だった。警戒心をいだかれないように、好青年っぽい笑顔を彼女に向ける。笑顔だけは昔からよく褒められる。  彼女は、ぱちくりと大きな瞳を瞬いて、僕を見つめ返してきた。意外、とでも言いたげな反応だったが、ちょっと不安げな感じに眉を八の字にさせてみせた。 「何もしないですか……?」 「もちろん」  笑いかけると、彼女はややためらいながらも「それなら……」と頷いた。  無論、僕は彼女に傘を買い与えるのと引き換えに何かを要求しようなんて下衆な考えは毛頭なかった。もし仮にあったとしても、そんなことをするような度胸はないし、女の子を傷つける趣味もない。さらに言えば、僕が好きなのは年上で短い髪のクールビューティーだし、この子とは真反対のタイプだ。まあ好みの女性だったとして何かするわけでもないんだけど……。  僕は、近くにあったコンビニで傘を買ってあげることにした。この雨のせいか、傘はほとんど売り切れていて、大きなビニール傘が一本しか残ってない。  会計時に店員は、全身びしょびしょの僕を一瞥して、「もう傘さしたって手遅れだろ……」と言いたそうにじろじろ視線を向けてた。僕が使うんじゃないんです……。  傘を買って店をでると、コンビニの屋根の下で、女の子はぼんやりと空を見上げていた。相変わらず雨は降りしきっていて止む気配が全くない。 「お待たせ。傘、買ってきたよ。すごい雨だよね今日」  言いながら、僕は笑って傘を彼女に差し出す。彼女は会釈して、僕から傘を受け取って開いた。僕が予想してたよりもだいぶ大きく、二人で入っても広々と使えそうなサイズだった。 「……傘、一緒に使いますか?」  傘が一本しかないのを気にしてか、彼女が尋ねてきた。 「大丈夫、僕の家ここから近いし。えっと、君も気をつけて帰ってね。親御さんも心配するだろうし、こんな夜にずっと外にいたら警察に補導されちゃうよ」  じゃあね、と僕が言って、背を向けて歩き出そうとしたとき。 「本当に帰れないのに……」  そんな彼女の小さな声が背中にかかって、思わず振り向いた。彼女は、泣きそうな顔をしてこちらを見ていた。 「………………家に来る?」  良心が鋭く痛んでしまって、僕はつい口走っていた。  相合い傘をして小さなアパートの一室に帰ってきた。女の子と一つの傘を分け合ったのなんていつ以来だろう。  ちょっと待ってて、と僕は玄関に上がり洗面所からバスタオルをとって戻った。彼女の髪をそれで包んで拭いてあげる。あっというまに乾いたタオルが濡れて、つめたくなった。一瞬、指が触れた彼女の頬は、氷のように冷たい気がした。 「寒いよね……シャワー浴びてきていいよ。風邪ひいたら大変だから」 「……ありがとうございます」  明るいところで見ると、彼女の顔色が良くない気がして、少し心配になった。彼女を、奥の浴室まで案内して、リビングに干していた僕の服を着替えとして持っていく。一応、脱衣所の鍵がかけられることを説明して、扉を閉める。  やがて、浴室からシャワーの音が遠く聞こえてきて、ドッと体から力が抜けた。  女の子を家に連れて帰ってきてしまった……。  その事実の深刻さがのしかかってきたのを感じた。いくら彼女が困っていたとはいえ、やっぱり置いて帰ってきたほうが無難だったのではないか……。いや、でもさすがに可哀想だし……。  連れ帰ってきておいて今さらうじうじ悩んでいるなんて、やはり僕は男らしくない。  僕はリビングに干していたバスタオルで体を拭いて、着替えた。だいぶ胃がへこんでいるのに気づく。きっと、彼女もお腹を空かせているだろう。  僕は、エプロンをつけて台所に立った。冷蔵庫にあった材料で野菜のスープをつくることにする。  あとは昨日の夜にポテトグラタン。それをオーブンに入れた。  誰かのために、こうして食事を用意するのはずいぶんと久しぶりのことだった。  ややあって、湯上がりの彼女が大きめのサイズの服を着て現れた。 「あ、お風呂上がった?」 「はい……温かかったです」 「そっか、よかった。えっと、そういえば……名前は?」 「結良(ゆら)、です」 「結良ちゃんか。僕は、柳一純(いずみ)」 「柳さん……」 「うん。結良ちゃんってグラタン好き?」  彼女は、僕の問いかけにこくりとうなずいた。目がきらきらと輝いている。 「グラタン、食べ物のなかで二番目に好きです……!」 「え、一番は?」 「エビフライです」  輝かしい笑顔だった。ちょっと拍子抜けしてしまう。  いや、でも数ある食べ物のなかで二番目って、かなり上位に食い込んでるし。うん。  僕は、「そっか……グラタンもうすぐ出来るから待ってて」とリビングに促した。  それから十分ほど、彼女はテレビをぼんやりと眺めていた。オーブンからグラタンのいい匂いがするので、時折、台所の方を気にしている。  やがてポテトグラタンが出来上がり、僕はそれに野菜スープと一緒に結良ちゃんに出した。 「た、食べていいんですか」 「うん。結良ちゃんのだよ」 「ありがとうございます……!」  彼女はスプーンで、グラタンのチーズの表面をすくって口に運んだ。ぱあ、と表情が明るくなる。 「おいしい……!」  結良ちゃんは、とても幸せそうにグラタンを食べていた。スープも飲んで、「あったかい」と笑みをこぼす。それを見て、僕も何だか胸がほっこりと温かくなった。やっぱり、彼女をあのままあの場に放置して帰ったりしなくてよかった。 「明日の朝になったらちゃんとお家に帰るんだよ。家の人にも、連絡してあげてね」  嫌だと言われたらどうしようかと思ったけど、意外にも彼女はすぐに頷いた。納得してもらえたようで少しホッとする。けど、彼女がみせたのは切なげな笑みだった。  きっと、家の人とよほど激しい喧嘩や言い争いでもして、帰るのが気まずいのだろう。  でも、僕もずっと彼女をここには置いておけない。彼女の家の人だって心配するだろうし、未成年を誘拐したとか言われて警察につかまってしまいかねない。  僕も、彼女と同じメニューの夕飯を一緒に食べた。誰かと食べるというだけでいつもより美味しい気がした。 「ごちそうさまでした」  綺麗に料理を平らげた彼女が言った。 「おそまつさまでした」  僕は笑って会釈した。 「柳さんって料理上手ですね、家庭的で素敵です」 「そうかな……」  弱々しい男は好みじゃない、と言われたのを思い出して、素直にその褒め言葉を受け取ることができなかった。  やや複雑な思いをかかえたまま、僕は二人分の食器を片付けた。結良ちゃんは手伝うと言ってくれたけど、「お客さんなんだし、座ってていいよ」とやんわり断ると、なぜか彼女は感動していた。 「うち、ベッド一つしかないから、結良ちゃんが使って。僕は床で寝るから」  と言ったのにもかかわらず、彼女は「二人で使いましょう」と譲らなかった。さすがに、未成年女子と添い寝はできない、と思ったのだが、あまりにも結良ちゃんが頑ななので仕方なく僕は同じベッドに入ることになってしまった。彼女が寝たら、速攻でベッドから抜け出そう……。やましい気持ちがあるわけじゃないけど、でも何だかあまりよろしくない状況ではある。 「シングルに二人はちょっと狭いね……」  遠回しに「やっぱり僕は床で寝るよ」、という意思表示だったのだけど、僕のすぐ隣に寝転んだ結良ちゃんは「修学旅行の夜みたいですね」とはしゃいでいる。伝わらない。 「修学旅行の夜といえば、恋バナですよね」  にこにことして彼女は言った。恋愛の話がしたいのかもしれない。 「僕は恋バナは、話せることが無いよ」 「どうしてですか」 「……今日、振られちゃったから」  刹那、彼女は困った顔になった。 「何でですか」 「男は優しいだけじゃダメなんだって。……僕もそう思う」 「……」 「仕事ができて、綺麗でかっこいい人だったなぁ」  天井を見上げて、独り言のような声量で呟いた。  昔から、僕が好きになるのは、そういう感じの人ばかりだった。僕は頼りない性格だから、頼りがいのある女性に惹かれることが多いんだと思う。  結良ちゃんは、黙っていたがやがて手を伸ばして僕の髪を撫でてきた。驚いた。 「え、なに……なぐさめてくれてるの?」  尋ねると、彼女は隣でこくりと頷いた。よく見ると、彼女は涙目だった。 「……ありがとう」  僕まで目頭が熱くなってきてしまって、涙を閉じ込めるように瞼を閉じた。  優しさに、心が溶けそうだった。  窓の外ではまだ雨が降っていた。  雨音に耳を傾けているうちに、いつのまにか眠りに落ちていた。  翌朝、目が覚めると、隣に彼女の姿はなかった。  リビングのテーブルの上にメモが置いてあった。「ありがとうございました」と書いてある。  もう帰っちゃったんだ……。  名残惜しく思っている自分のことが意外だった。ずっと彼女を匿っておけるわけでもないだろうに。  けれど、昨日はとても楽しかった。失恋して心に傷を負っていたところに結良ちゃんと楽しく過ごしたせいだろうか。思い出深い。  仕事も休みだったので、散歩をしに外に出てみた。  駅前まで行ってみると、結良ちゃんが立っていた場所にはもう彼女はいなかった。当たり前だ。彼女は無事、家に帰れたのだろうか。  そんな思いを巡らせていると。 「マジ、瀬名先輩やばかったよな」  昨日の若い二人組の男を見かけた。結良ちゃんに話しかけようか否かと迷っていた人たちだ。彼らは、僕のことなど気づいてないようで通りを歩いていく。 「そういえば、昨日あのへんに立ってた女の子いたよな。やっぱ声かけりゃよかったー」 「あれは、やめといて正解だったって」 「なんだよ、お前。そんなノリ悪かったっけ?」 「いや、知り合いから聞いたことあるんだよ。雨が降る夜にだけ会える女の話」  僕は、その言葉の続きが気になって耳を澄ました。連れの方の男が口を開く。 「今から十年くらい前、毒親から逃げるために家出した女子高生がいたんだって。その夜は大雨が降ってたんだけど、駅前でその子は誰か泊めて下さいって言ってたんだけど誰も女の子を泊めてやらなくて、その子、しかたなく一人で冠水した道路を歩いて帰ろうとしたらしいんだけど、途中で足を滑らせて増水した川に転落して、そのまま死んじゃったんだって。それから、雨の降る夜になると、駅前に『拾ってください』ってボード持った制服の女の子の霊が出るって」 「は? まじ? じゃあ俺らが昨日見たのって、幽霊だったってこと?」 「そうかも。ガチで気味わるいよな。ゾッとするわ」  彼らは、青ざめた表情で「超こええ」と呟きながら立ち去っていってしまった。  ああ、あの子、人間じゃなかったんだ。  彼らは露骨に怖がっていたけれど、でも不思議と、僕は昨日の彼女が異形の存在だったと知っても恐れる気持ちはなかった。  結良ちゃんはきっと、寂しかったんだ。愛してくれない親がいる家から勇気を出して飛び出して、それでも、つめたくて暗い夜にひとりぼっちで……、誰か優しい人に手を差し伸べてほしかったんだ。  僕の料理を口にして喜んでいた彼女のことを思い出すと、胸が締め付けられたように切なくなった。  雨の降る夜にだけ会えるという話が本当なら、また彼女に会いたい。  いつのまにか、僕は夜が迫ると「雨よ、降れ」、と窓越しに空を見上げるようになっていた。けど、一週間が過ぎても、夜の間に雨が降ることはなかった。 「柳くん、最近ぼんやりしてるわね」  ある日の夜のこと。人がまばらになってきたオフィスで、僕はタイピングの音を響かせつつ残業をしていた。暗い窓の向こうを眺めていると、主任がそう心配そうに声をかけてきたのだ。業務連絡以外で主任と話すのが告白をしたとき以来だったので、僕はキーボードを打つ手を休めてたじろいだ。 「えっと……すみません」 「別に怒ってないわよ。そうやってすぐ謝るところ、相変わらず男らしくないというか……。いや、今この話は関係ないわね。それより、この前から空ばかり眺めてぼんやりしてるようだけど深刻な悩みでもあるの?」 「いえ、そんなことは……」 「私がこっぴどくあなたを振ったせいかしら?」 「え、あの主任のせいではないです」  僕は、あわてて両手と首を振って否定した。 「あ、そう。なら、誰のせい?」 「ちょっと……この間会った女の子のことを考えていて」 「女の子? もう新しく好きな子ができたの?」 「まだ一度しか会ってないので、好きかどうかは自分でもよくわかりません。でも……」  一人ぼっちで、さみしく亡くなってしまった結良ちゃんのことを考えると、こんな言葉が口を衝いた。 「彼女のことを、守ってあげたいと思ってるんです」  それを聞いた主任は、やや意外そうに目を瞬かせてみせた。 「あなたも、意外にちょっとは男らしいとこがあるのね」  主任が口の端を持ち上げて笑った。やるじゃない、とでも言いたげな表情に何だか気恥ずかしくなる。 「あら」  主任が、ふと窓の外を見て声を上げた。 「嫌ね、傘なんて持ってきてないわよ」  つられて、窓の外を見る。  空が曇り始め、雨が降り出してきたところだった。  僕は、残業を早めに切り上げて駅前へ急いだ。  もしかしたら、というかほぼ確実に彼女がいるような気がしたからだ。  会社を出た時は小雨だった雨が、電車で目的の駅に着くころには、この前の夜のような本降りになっていた。  雨水を吸い込んだスーツが重い。セットした髪もくずれかけている。結良ちゃんと邂逅した夜もこんな夜だった。  願うような気持ちで改札をくぐり、駅前に急ぐと――。  前と同じ制服を着て、同じ文言が書かれたボードを持った彼女がいた。腕や鞄を頭上に掲げて、足早に通り過ぎていく通行人のうち何人かが横目で彼女のことを気にしていた。  彼女の姿は、全員に()えるわけではないのかもしれない。 「結良ちゃん!」  僕が叫ぶように言うと、彼女が顔を上げた。走って彼女のそばへ寄る。 「や、柳さん、どうして……」 「会いたかった……!」  抱きしめたい衝動を何とか抑え、それだけ伝えた。こちらの熱のこもった声音に、何かを察したのか、彼女は戸惑ったように眉を八の字にさせた。 「だまして、ごめんなさい。私、本当は人間じゃないんです」 「知ってる。幽霊なんでしょ。あ、でも触ったりできるよね……不思議」 「雨の日だけ、力が強くなるからです。晴れの日や曇りだと、霊力が弱まって触ることも姿を見せることもできないんです。私、雨が降る日にしか会えないんですよ」 「うん、でも、また会えてうれしい」  そう伝えたら、耐えかねたように彼女は涙をこぼした。 「あんなに優しくしてくれたの、柳さんが初めてでした……」  その一言で、感極まって、僕は思わず彼女のことを強く抱きしめた。つめたい腕が背中に回される。雨が僕らに降り注いでいた。  人間の僕と、雨が降る夜だけこうして会える幽霊の君。  うまくいくかはわからない。でも、僕はこの子のことを、冷たくて寂しい夜から守ってあげたいのだ。そして、彼女の笑顔を見たいし、一緒に過ごしたい。 「今日の夕飯は、エビフライにしよう。あと、いろいろ話きかせてよ」 「はい」  彼女は笑って頷いた。  今日の夜が明けて、この子が僕の前から消えたとしても、また君に会えるまで、僕は何度でも空に願うだろう。  雨よ降れ、と。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加