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担任の動揺
「変ねえ……」
席に戻った佳代は、改めて担任を眺めてポツリと呟いた。
「誰のこと?」
近くにいた美優が涙を拭いながら尋ねる。
「先生がね……。お通夜もお葬式も把握していないだなんて……。職員室ではお通夜やらの話が出ていて当然だと思うのよ。担任は必ず参加するでしょうし」
「ショックなんじゃないかな。私も佳代さんが言うまでそんなこと思いつきもしなかった。先生も私たちも今は混乱していて……佳代さんもそうでしょう? 今はちゃんと考えるなんてできないよ」
「でも大人だから、そういうことは社会人としてね。一番ショックなのはご家族なのだし」
佳代は駒場の死に対して当然悲しい気持ちを持っていたが、あまり感情が起伏しないのは、スーパー時代から、いや、もっと昔、佳代が十代の頃、高校に通っていたときからだった。
高校を中退することも母親を介護することも、大変なことで嫌ではあるのに妙に冷静で騒ぎたてることなく淡々とこなしたし、そういう性質は、投資をやる際に、株価が大きく変動するような混乱があってもいつも冷静にいられたという長所につながっていた。
そんな佳代は引き続き、担任教師を観察していた。彼はいつもと違ってやたら貧乏ゆすりをし、そのうち扉をチラチラと気にしたり、時計を頻繁に確認したりと落ち着かなかった。しかも彼の表情は悲しそうでありつつ、よくよく観察していると、やけに汗をかいていて、うろたえさえ感じさせる。
「なんだか後ろめたいことでもあるんじゃないかしら」
佳代は美優に耳打ちした。美優は少々嫌そうな顔をした。
「佳代さん、もうやめよう。私は辛くて……聞いていられない」
「そうね、ごめんなさい。だけど、人の行く裏に道あり花の山っていってね、大勢が行く道ではないところに大事なことがあるっていう投資の格言があるの。皆が悲しんでいるからこそ、私は冷静でいたいなって思う」
佳代が言った格言は、スーパー時代ひょんなことで親しくなった魚売り場の職人田所から――投資を佳代に教えたのは田所である。なお本人は損をしてばかりだった――教わったものだった。
「佳代さん、先生をあまり困らせちゃ駄目だよ。先生も悲しいんだよ」
美優が担任教師を庇うのは、彼が超がつくほどの有名大学出身で極めて教え方がうまく、しかも受験に向けて生徒たちの気持ちをまとめあげる手法にも長けていたことで、美優も含め、生徒たちが信頼していたからだった。
コソコソと話す佳代と美優に気が付いたのか担任が視線をやった。美優は慌てて目を反らしたが佳代はそうしなかった。
「大丈夫ですか?」
担任が悲しむ生徒を心配している様子でありながら、視線を少々泳がせているのに佳代は気づき追求したくなったが、美優に止められたこともあって迷う。
「先生、授業を始めてください」
声が発せられたのは教室の後方だった。そこには成績優秀者のグループがいた。駒場の属していた生徒会長川畑を中心としたグループだった。川畑が席に戻り教科書を開く。
「皆も座ってください。僕たちは受験生です。駒場のことは残念でしかたがないですけど、今は受験勉強をさせてください」
川畑の意見には説得力があった。しかし、突如廊下に慌ただしく揉める音が聞こえ始め、そのうち女性の怒号が響き始めた。
「うちの子の友達たちに、クラスの子たちに、話を聞きたいだけです!」
一体何事であろうかと教室中が耳を澄ましていると、数人の大人が教室近くに到達した気配がし、どうやら押し問答しているようだと認識できた。
「まだ授業中ですので、とりあえず職員室でお待ちを」
「絶対におかしいんです。うちの子が誘われもせずに夜中に外出するなんてあり得ません」
「どうか落ち着いて、授業中ですので」
佳代は立ち上がって、廊下側の窓まで駆け寄り騒動を確認すると、教師たちが一人の保護者を囲んで強引に職員室のほうへと連れて行く姿があった。
「駒場君のお母さん?」
佳代は廊下に向かって声をあげた。その声に気づいた保護者が教師たちの間から顔を出し、佳代には小さく頷いたように思えた。
「高田佳代さん、授業中です。席に戻ってください」
担任はそう言って窓を閉め、佳代を席へと促したが、生徒たちの中には立ち上がり廊下を伺っている者がいたり、周りの生徒とコソコソ会話している者がいたりした。
佳代はその場ではそれ以上何もせず、指示された通り席に戻ると教科書を開いた。そしてこっそり川畑の様子を確かめた。彼はうつむき、シャープペンシルを力いっぱいノートに押し付けていて、それがまるで感情を抑えているようだった。
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