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職員室にいる
「参ったな。まさか当校で、しかも受験を控えた学年でこのような問題が起こるとは」
職員室の一角で汗を拭きながらため息をついたのは三年生の主任教師だった。周囲に集まっていた数人の教師が深く頷く。主任たちは直前まで、学校に抗議に来た駒場の母親の対応をしていたのだった。
「駒場君の母親がやってきたとか?」
他の学年の教師が近づいてきて尋ねた。どうやら母親の声は他学年の教室にまで響いていたようだった。
「そうなんだよ」
主任がうんざりした顔でそう答えると、他の学年の教師が前のめりになる。
「警察が彼の死について調べていたとも聞きましたけど何か関係があるんですか?」
「シッ、そんなこと誰が言った?」
主任は慌てて話を止め、周囲の教師たちに近寄るよう指示した。職員室には誰かがいれたコーヒーの香りが漂いのんびりとした雰囲気であったが、主任たちのいる一角だけは緊張の空気で包まれる。
「月曜日に警察から学校に連絡がありました。駒場の学校生活や交友関係について聞かれたんです」
「いいか、その話は二度とするな。警察というのは遺体が見つかれば事故なのか自殺なのかを調べるものだ。しかしそれは念のためというだけで、特別な事じゃない。なのにあの母親ときたら……だいたい、最終的には警察も駒場が夜中に散歩に出かけて川に落ちた、つまり事故だったと判断している」
主任は教師たちに言い聞かせると、さらに声を潜めた。
「ただ、駒場の母親は納得していない。金曜の夜、他の生徒に誘われて家を出たと言い張っているんだ。だから学校まで押しかけて来て……今日の通夜には学年主任として顔を出す義務はあるとは思うが、とても近づけそうにない」
「他の生徒というのは、我がA高校のですか?」
「そうだ。駒場には夜中に一人で外に出るような習慣はなかったと母親は言っている。それに川で泳いだのもおかしいと。駒場は水泳部だが、日ごろから川で泳ぐのは危険だと話していたらしい。それから、発見された駒場は服を着ていたが、彼が着衣で泳ぐはずはないと。衣服が水を含み重たくなれば、いくら水泳が得意であっても溺れてしまうことを彼は知っていたと母親は言っている。だから、母親としては、その場に誰か他の人間がいたのではないかと言っている。例えば、複数人で遊んでいて川に入ることになり、駒場は乗り気でなかったが断れずにそうした結果事故になってしまったのではないかと」
そこまで話したところで担任が職員室に戻ってくる。背を丸め、憔悴した様子であった。
「もう大丈夫だ。駒場のお母さんは帰った」
「お手間取らせました」
主任の呼びかけに担任は弱々しく頭を下げる。
「どうした? 顔色が良くない」
「生徒から、通夜や葬式のことを聞かれました」
「話したのか?」
「いえ。分からないと答えました」
「そうすべきだ。生徒が行けば、駒場の母親からあれやこれやと詮索されるに違いない」
「はい」
担任はそう答えて項垂れたまま立っていた。主任は担任の様子を見て顔を覗き込む。
「まだ何か気になることでも?」
「実はお通夜や葬式のことを質問をしてきたのは高田佳代なんです」
「高田佳代……校長ご推薦の彼女か……少々面倒そうだな」
「納得していなかったように感じました」
「駒場の母親といい、おばさんというのはたちが悪い」
主任が言うと女性教師たちがぎろりと睨んだ。
「いや、冗談だが……高田佳代は生徒の死をワイドショーのネタくらいに捉えているのだろう。どちらにしても他の生徒たちに影響してはまずい。なにせ受験生なのだからな。どうだ、うまくコントロールできそうか?」
「実は一つ心配事が」
「なんだ?」
「駒場のことです。駒場はここ最近浮かない表情を浮かべることが多くて、もしそれを高田佳代が知れば、今回の事故と結び付けるに違いありません」
「浮かない顔か……原因は何だ?」
「どうも友人たちとの関係性に何か悩みを抱えていたのではないかと……思っています」
「友人、というのは」
「川畑たちです」
担任の回答に主任たちが緊張したのが周囲にも分かった。一瞬の沈黙の後、主任が確かめる。
「トラブルがあったと?」
「なんというか……彼らのやり取りにちぐはぐさのようなものがあったというか、駒場と川畑が睨み合う瞬間があったというか」
「はっきりしなさい。トラブルがあったのか、なかったのか? あったのならば証拠が必要だ」
「……断言できるだけのことを目撃した訳では」
「あったのか、なかったのか、どちらかで答えなさい」
「……ありませんでした」
「よろしい。問題ない。目撃もしていないのであれば、クラス内のトラブルを定める教育委員会のガイドラインにも抵触せず、逆に明らかでないことで騒ぎ立てるのは人権問題になる。しかも相手は川畑となれば分かっているだろう? だいたい先生は甘すぎる。ひとつだけ注意してもらいたいが、駒場の母親への過度な斟酌は控えること。同情的になるのはしかたないが、学校として立場をはっきりさせておかないと後々面倒にもなりかねない。本件はあくまで校外で発生した事故である。学校での生活や指導、他の生徒たちとの関係性に起因するものではまったくない。どれだけ親御さんから迫られようとも、一歩たりとも妥協してはいけないラインだと心に刻んで頂きたい」
「分かっています。駒場が死んでしまったのは、彼がひとりで散歩に出かけた時に起こってしまった不幸すぎる事故によるもの。大丈夫です。分かっています」
担任が声を絞り出してそう言うと、主任は担任の背中を叩き激励した。
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