売れない老嬢

1/1
前へ
/14ページ
次へ

売れない老嬢

『花水木』の事務所はO駅南口、天祖神社前の商店街を抜けたマンションの一室にある。  三部屋あるうちの二部屋をぶち抜いた大部屋が女達の待機部屋。残り一部屋が事務室であり、芳恵の仕事部屋だ。  その事務室で、芳恵は正座をしながらじっと電話を見つめていた。  先週面接をした沙都子は今、店のホームページに載せる写真を撮影している。沙都子には撮影が終わったら電話をするように言ってあった。  芳恵はその電話を今か今かと待っている。 「コンビニ行くけど、なんか買ってこようか?」  芳恵の後ろで、筋ばった足に赤いマニキュアを塗っている美神(みかみ)が声をかけてきた。 「マニキュアなんか塗って、すぐお仕事が入ったらどうするんですか?」 「このあと、予約入ってんの?」 「……今日はまだです」  言いにくかった。芳恵はちらりと美神を見る。  美神は骨張った背中を丸めて、無言でマニキュアを塗り続けていた。  美神にはここ数日、仕事を与えられていない。いわゆるを引かせてしまっている。  今日も他の女達は仕事に出ているのに、美神だけまだお呼びがかからない。  待機部屋に一人でいるのに飽きたのか、芳恵の仕事部屋にやってきて、美神はマニキュアを塗り始めたのだ。  美神は『花水木』最古参の嬢だった。  先代のママ、雪乃が吉原のソープにいたときからの知り合いらしいから、五十はとっくに過ぎているはずだ。 (いい年してこんな仕事をしなくちゃならないなんて、みじめだなあ……)  顔には出さないが、美神を見ていると体を売る仕事をしなくてよかったと、芳恵はつくづく思った。  稼げないのに、風俗の仕事をし続けなければならない女は哀れだ。  年齢は関係ない。 『花水木』で最年長の香奈(かな)は、店年齢は四十八歳と偽っているが、実年齢は五十七。孫が三人もいる。  それでも太い客を何人も持ち、店のホームページに出勤日が上がるとまたたく間に予約が入る。  香奈は夫と一緒に居酒屋をやっているとかで、店に出るのは週に一日か二日程度だが、出勤のたびに複数の客につき確実に稼いで帰っていく。  香奈のような稼げる女からは、哀れさを感じることはなかった。  それに比べて、美神は……。  十八からピンサロで働きだし『男のモンをくわえる以外の仕事をしたことがない』とケラケラ笑う。  辞めたい辞めたいと口では言いながら、今さら他の仕事につける気がしないとグチる。  美神は、芳恵が最も関わりたくない種類の女だった。  電話がなった。  芳恵はすばやく受話器を取る。  待っていた沙都子からの電話だった。 「沙都子ちゃん? 終わったの? 松田さんから何か言われた?」 「新人さん、今日撮影なんだ」と、美神が足を投げ出して芳恵を見てくる。  芳恵は、沙都子に労いの言葉をかけた後、おつかれさまと電話を切った。  顔がにやけてくる。  意地悪を顔に浮かべた美神と目があった。 「松田さん、なんだって? 何か嫌味言ってきた?」  芳恵より長くこの店にいる美神は、写真屋の松田の事をよく知っている。 「何も言ってこなかったみたいです。ご苦労さまって、言われただけですって」  芳恵が言うと美神は面白くなさそうに鼻を鳴らした。   「私が、面接して入れた女の子で、松田さんが文句を付けなかった子は初めてです!」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加