18人が本棚に入れています
本棚に追加
売れない老嬢
『花水木』の事務所はO駅南口、天祖神社前の商店街を抜けたマンションの一室にある。
三部屋あるうちの二部屋をぶち抜いた大部屋が女達の待機部屋。残り一部屋が事務室であり、芳恵の仕事部屋だ。
その事務室で、芳恵は正座をしながらじっと電話を見つめていた。
先週面接をした沙都子は今、店のホームページに載せる写真を撮影している。沙都子には撮影が終わったら電話をするように言ってあった。
芳恵はその電話を今か今かと待っている。
「コンビニ行くけど、なんか買ってこようか?」
芳恵の後ろで、筋ばった足に赤いマニキュアを塗っている美神が声をかけてきた。
「マニキュアなんか塗って、すぐお仕事が入ったらどうするんですか?」
「このあと、予約入ってんの?」
「……今日はまだです」
言いにくかった。芳恵はちらりと美神を見る。
美神は骨張った背中を丸めて、無言でマニキュアを塗り続けていた。
美神にはここ数日、仕事を与えられていない。いわゆるお茶を引かせてしまっている。
今日も他の女達は仕事に出ているのに、美神だけまだお呼びがかからない。
待機部屋に一人でいるのに飽きたのか、芳恵の仕事部屋にやってきて、美神はマニキュアを塗り始めたのだ。
美神は『花水木』最古参の嬢だった。
先代のママ、雪乃が吉原のソープにいたときからの知り合いらしいから、五十はとっくに過ぎているはずだ。
(いい年してこんな仕事をしなくちゃならないなんて、みじめだなあ……)
顔には出さないが、美神を見ていると体を売る仕事をしなくてよかったと、芳恵はつくづく思った。
稼げないのに、風俗の仕事をし続けなければならない女は哀れだ。
年齢は関係ない。
『花水木』で最年長の香奈は、店年齢は四十八歳と偽っているが、実年齢は五十七。孫が三人もいる。
それでも太い客を何人も持ち、店のホームページに出勤日が上がるとまたたく間に予約が入る。
香奈は夫と一緒に居酒屋をやっているとかで、店に出るのは週に一日か二日程度だが、出勤のたびに複数の客につき確実に稼いで帰っていく。
香奈のような稼げる女からは、哀れさを感じることはなかった。
それに比べて、美神は……。
十八からピンサロで働きだし『男のモンをくわえる以外の仕事をしたことがない』とケラケラ笑う。
辞めたい辞めたいと口では言いながら、今さら他の仕事につける気がしないとグチる。
美神は、芳恵が最も関わりたくない種類の女だった。
電話がなった。
芳恵はすばやく受話器を取る。
待っていた沙都子からの電話だった。
「沙都子ちゃん? 終わったの? 松田さんから何か言われた?」
「新人さん、今日撮影なんだ」と、美神が足を投げ出して芳恵を見てくる。
芳恵は、沙都子に労いの言葉をかけた後、おつかれさまと電話を切った。
顔がにやけてくる。
意地悪を顔に浮かべた美神と目があった。
「松田さん、なんだって? 何か嫌味言ってきた?」
芳恵より長くこの店にいる美神は、写真屋の松田の事をよく知っている。
「何も言ってこなかったみたいです。ご苦労さまって、言われただけですって」
芳恵が言うと美神は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「私が、面接して入れた女の子で、松田さんが文句を付けなかった子は初めてです!」
最初のコメントを投稿しよう!