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風俗嬢に惚れた写真屋
芳恵が『花水木』に面接に来たのは十年前。三十八の歳だった。
もちろん最初は、風俗嬢として面接に臨んだ。
当時の芳恵は、北関東から出てきたばかりの野暮ったい小太りな女だった。
今の芳恵の年だったら採用は難しかっただろう。
だが三十八なら客には三十で売りつけられる。四十代、五十代が主力のこの店で、芳恵は若い嬢で通る。多少容姿に難があったとしても、戦力になるだろう。
当時の『花水木』のママ雪乃は、芳恵を見てそう判断した。
ところがネットに上げるための写真撮影が始まると、カメラマンの松田は下着姿の芳恵に渋い顔をした。
『そのお腹のキズ、雪乃ママは知ってるの?』
松田は芳恵のキャミソールから透けて見えるキズ跡を指して、冷たく言い放った。
松田は雪乃が吉原のソープに勤めていた時の客だ。
雪乃に惚れていた。
もう客は取らないと袖にされたが、松田は雪乃から離れなかった。
雪乃の役に立ちたい一心で、素人カメラマンだった松田は駅前にスタジオを構えると、雪乃の店の女達に破格の値段で写真を撮ってくれるようになった。
他の店の女なら、タトゥーをしていても大きな傷跡があっても、松田は指摘などしない。
だが雪乃が出した『花水木』で働く女に関しては、そうはいかない。
松田は雪乃と一緒に、自分も店の経営に関わっている気になっていた。
雪乃の店に勤める嬢が写真撮影にやってくると、仔細に女を検分し、逐一雪乃に報告した。
挨拶がなっていない。
靴を揃えない。
香水がきつい。
下着が安っぽい。
ムダ毛の処理が雑だ。
——当然、芳恵のキズ跡も松田によって、雪乃に知られることとなった。
芳恵は帝王切開で三人子供を産んでいる。
芳恵は知らなかった。
事情があり、風俗店に勤める決心をしたが、あまりにも世間知らずだった。
体に傷のある女は客前に出られないとまでは、考えが至らなかった。
松田からの報告を受けた雪乃は芳恵を事務室に呼んで、他の女たちに聞かれないよう小声で謝った。
「本当に、ごめんなさいね」
芳恵を雇うことはできないと、雪乃は心苦しそうな顔をした。
「私の知り合いのママに頼んであげようか? ここよりは、だいぶ安いお店になってしまうけど……」
芳恵はうなだれた。
体が小刻みに震えてくる。
自分の無知が恥ずかしかった。
お金の問題も頭をよぎる。
(お母さん、いい仕事見つけたから大丈夫だよ。心配しないで)
そう子供達を安心させたばかりだった。
黒くて重たいものに頭を押さえつけられて、芳恵は顔を上げられなかった。
「電話番として、働いてみる?」
突然、雪乃の声が降ってきた。
芳恵が顔を上げると、源氏名通りの白く細い、柔和な顔が笑っている。
雪乃には、額の中央にホクロがある。
そのせいなのか、芳恵には雪乃が神々しくさえ見えた。
芳恵は深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
そう言ったつもりだったが、喉の奥が詰まって言葉にならなかった。
あれから十年。今では芳恵ママと呼ばれて、店を仕切るようになっていたが、いまだに新人の初撮影は緊張する。
芳恵にとっては苦い思い出のある口やかましい松田だが、沙都子に関しては何も言ってこなかった。
あの松田の目から見ても、沙都子は非の打ち所がなかったのだ。
芳恵は気がかりがなくなり、安堵した。
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