雨と救い

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 (まど)の外の公園にある、よくわからない金属(きんぞく)のオブジェクトを見つめていた。時間によってはあのオブジェクトが太陽の光を反射(はんしゃ)させて僕の部屋に光を(そそ)()もうとしてくる。  前は(すべ)り台があったのに、その前はジャングルジムがあったのに。幼い僕がそこにいたのに。  そうして、窓ばかり見ている自分。ふと、その行為(こうい)が無意識に雨を期待している心の(あらわ)れではないかと思った。  まさか、そのようなことがあるわけがないと思ったが、よくよく思い返せば昨日栗原(くりはら)と別れた後、おもむろに来週の天気を確認していた。僕は特に来週予定があるわけでもなく、また雨が()ることで都合が悪くなることもない。  勝手に心に()()ってくる(よこしま)がある事を薄々(うすうす)自覚(じかく)している。しかし、それから目をそらすように、再び窓の外に目を移す。  一見、遊具(ゆうぐ)のようにも見えるが、可動部(かどうぶ)はどこにもなくただただそこに存在しているだけの、金属のオブジェクト。あんなものをデザインした人がいて、それを公園に設置することを決めた人がいて、金属を加工した人がいて、設置作業を行った人がいる。  そんなオブジェクトが雨にさらされて次第に()ちていく様子を想像する。  思ったよりもそれは気持ちのいい光景だった。むしろ、そうしてボロボロになって近隣(きんりん)住民から「撤去(てっきょ)して欲しい」と声が上がるそのオブジェクトのほうが僕は(あい)せる気がした。  さて、栗原が作品を完成させたというニュースは僕にとっては重大なことであった。彼とは藝大(げいだい)で知り合い、ともに中退(ちゅうたい)した仲である。  僕は藝大中退を機に、芸術から足を洗うことを決めた。趣味(しゅみ)で絵を描くことはあっても、決して芸術を意識することは無かった。  反対に栗原は、作品に向き合い続けた。彼は「大学では、教授たちに()びる作品を作らないといけない。彼らの評価がすべてのあの世界では俺の作品はつくれない」という理由で辞めた。  僕の考えは(こと)なっていた。教授たちは自分の好みで評価しているわけでは決してなく、経験や見識によるある程度客観(きゃっかん)的な評価を下している。彼らからの評価を()られない限り、自分自身の芸術を追及するなんて、(あさ)はかであり逃げでしかない。  僕にはその評価を一生受けることができないんだと(さと)った。だから中退した。  当然、栗原は自分の作品なんて描けるわけがなかった。僕が思うに、彼は大義名分として「自分の作品」なんて言っているが、結局は僕がいなくなったから描けなくなったのだと思う。大学中退を先にしたのは僕だった。
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