アオノヒカリ

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 その日、やっと松葉杖を取れた光咲は、たまたますれ違ったヒロに話しかけられた。 「足、もう大丈夫なの?」 「はい、とりあえず松葉杖はなくても歩けるようになりました」 「良かった。大変そうだったから」  ヒロはそう言って優しく笑う。それから少し逡巡するように視線を上に逸らし、少し言いにくそうに口を開く。 「この話、嫌だったらごめんね。……光咲ちゃん、本当に凄いセッターだったんだね」 「えっ」  光咲はヒロの言葉に驚く。天才セッターとは言っても、それは極一部で呼ばれていただけで、かつては中学生から日本代表入りした選手もいる。しかもアンダーではなくシニアの、ワールドカップやオリンピックに出場する、「日本代表選手」だ。  本当の『天才』はそういう人たちのことを言うのだと光咲は思っていて、自分に言われてるのは本当に一部の狭い世界だけであり、本当に「天才」と思ってると言うよりは、単に「上手だね」というような褒め言葉だと受け取っていた。だから、バレーを知らない人間が知ってるような知名度もない。  不思議そうにする光咲に、「実は」とヒロは続ける。 「妹がね、ちょっとバレーをやってて。光咲ちゃんの話をしたら、同世代でバレーをやってる強豪校の選手なら知らない人はいないって」 「妹さんが……」 「妹も、セッターをやってたんだ。で、『杉原光咲を見たときに絶対に適わないと思った』って言ってた」  光咲も知ってる人だろうか、と考えるが、思えばヒロの苗字は知らないし、教えてもらうわけにはいかないだろう。 「本当に余計なお世話だと思うけど、本当に辞めちゃうの?」  最初に来たときに、心春に「バレーは辞める」と言ったのを思い出す。本当に自分でも情けないと思うが、あれは勢い半分で、当然光咲は退部届も出していなかった。今後の話を、顧問とも両親ともしていない。松葉杖が取れたから、そろそろちゃんと話し合わなきゃならない。ただ、それが光咲にとっては恐怖以外の何物でもなかった。もう、バレーを辞める。それを言うことが、二度と引き返せない闇に入り込んでしまうかのように。  黙り込んだ光咲を、ヒロはやっぱり言わないほうが良かったかと言わんばかりに心配そうに見ていた。「ごめん、言わなくていいよ」と言われたが、光咲は口を開く。 「私は、天才じゃないんです。事故に遭った時、そう思いました」  全く知らないヒロの妹のことを考える。  プレーができなくなるような怪我をした天才より、怪我をしない普通の選手が勝ちだよ、と光咲は思う。 「そうかな、どんなに実力があっても、ケガや病気になる人はいる。それは『天才じゃなかった』ということじゃないと思うよ、俺は」 「そう、かもしれません。でも世の中は結果なので。特にスポーツの世界は、結果がすべてなんです」  思わず言い返すと、ヒロははっとしたような顔をして、そうか、と視線を下げる。その姿を見て、光咲は言葉が強かったか、と後悔する。 「才能って、音楽の世界でもよく考えるよ。結果が全ては確かに、そうだよな」  ヒロの声のトーンが下がる。 「音楽も、才能の世界ですもんね。私はヒロさんの曲も、歌も、才能に溢れてると思います」  それはお世辞ではなく本心だった。しかし、そう言われたヒロは少し悲しげな表情をして、ぽつりとこぼした。 「みんなが同じじゃないと意味がない……」  そう言ったヒロの声を聞いて、光咲はしまった、と思う。まさに今光咲が言い返したことを、同じように返してしまったのだ。違う世界のことはわからないのに、才能があるとかないとか、天才とか、軽々しく言っていいものじゃなかった。きっと、ヒロだってそれに気づいて声を落としたのに、光咲はその意図に気づかず思ったままに返してしまった。  自分では反論しておいて、他人には言うか、と思われたのではないかと恐る恐るヒロの表情を伺うと、その瞬間ヒロは噴き出した。 「俺ら、きっと同じこと思ってた」  笑いながらそういうヒロ。光咲は一瞬、何を言われているのかがわからなくて、怪訝な顔をしてしまう。 「他の世界のことはわからないよな、才能とか天才とか、好き勝手に言ってごめん」 「私も、まさにそう思ってました、ごめんなさい!」  ほら、やっぱり同じだ、とヒロはまた笑う。失言をしてしまったと考えていた光咲は、ほっと胸をなでおろす。 「才能とかっていうけど、裏では努力するよな。アスリートなら当然、そうだろ」 「あまり努力と考えたことはないんですけど、今まではバレー一色でした。お陰で友達の作り方も、こうやって遊ぶことも知らずにいました。心春にここに誘われるまでは」 「それはすごいな。俺も、才能がないとしても好きだからやってる、それだけだな」 「ヒロ、なにやってんだよ、行くぞ!」  ヒロの後方から蒼のベースのシンが、ヒロを呼ぶ。シンは少し不機嫌そうにこちらを見ていた。  ヒロは、その声に「今行く」と答えてから、光咲の方に振り向いて、「ちょっとでも癒しになるならいつでも遊びに来て、また話そう」と言って去って行った。
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