コンプレックス

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 桜前線が北上を始めた三月下旬。週初め朝一番の予約で訪れた患者は、かなり若そうに見えた。  問診票を見ると二十一歳となっているが、もう少し幼く見える。桜色のチークが映える彼女のもち肌は、思わず触れたくなるような肌だ。  彼氏との旅行で目細工がバレるのが嫌だという理由で、二重瞼手術希望とのことだった。どうやらトラウマがあるらしい。  一般的に一重瞼といえばクールな印象だが、愛嬌満点な彼女はよく笑い、可愛らしい笑顔とのギャップが魅力的だ、というのは茉莉花の意見で、彼女は、笑うと線になる目がコンプレックスだ、という。  患者の希望を叶えるのが、茉莉花の仕事だ。    斯くいう茉莉花は、コンプレックスがなかった。だがそんなことを口にすると、人は眉をひそめるだろうから、今まで誰にも話したことはない。  コンプレックスが全くない、と言えば語弊があるかもしれない。それは程度の問題で、欲が強い人ほどコンプレックスも強いのだと思う。  茉莉花は何事も人とくらべない。くらべなければ、劣等感を持つこともない。『人は人、自分は自分』と思える性格だった。褒められれば素直に喜ぶし、相手の良いと思うところも素直に褒める。ただそこには、羨みや妬みの感情が殆どない、というだけのことだ。  人を笑顔にすることに喜びを感じる茉莉花に、美容クリニックの仕事はぴったりといえる。  そんな茉莉花のプライベートはというと、アラフォー独女だが、三ヶ月前までは互いに結婚を意識して付き合っている恋人がいた。大きな揉め事もなく順調な交際が三年を迎えようとしていた時、予期せぬ出来事が起こった。三年記念日を前に、そろそろプロポーズされるのではないか、と周囲から言われることもあり、茉莉花自身もそう期待していた矢先の出来事だった。  突然恋人から「好きな人が出来た」と言われた茉莉花は、茫然自失となった。浮気したというならば目をつぶったかもしれないが、そうではない。別れるという以外に選択肢はなかった。  しばらくは落ち込んだが、ある男との出会いをきっかけに吹っ切ることが出来た。彼は茉莉花の心の傷まで消し去ってくれた。恋人ではないが心を寄せていて、彼には気持ちを伝えていた。  初めて出会った頃とくらべると、彼が向ける表情や眼差しが変わってきたように感じていた。それはただの自惚れではない、と茉莉花は思う。
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