伯爵令嬢は真実の愛を試したい。

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真実の愛の実、その存在を知っているだろうか。  その実を食べたものは深い眠りに落ち、真実のキスによって目を覚ます。  乙女達は真実の愛を手に入れようと、この実を愛しい相手に食べさせたり、自身が口にして相手の愛を試そうとした。  結果、不幸な事件が続く。  多くの者が目覚めず、そのまま命を落とす事になった。  これを受けて世界中で、この実の売買が禁止され、所持してる事がわかれば重罪。樹本体はありとあらゆる場所から根絶された。  そうして月日が経ち、真実の愛の実は人々に幻の果実と言われるようになった。  ☆ 「お礼にお前さんにこれをやろう」  老婆は、真っ赤に熟れた瑞々しい果物をマチルダに渡す。  道に果物を散乱させて困っていた老婆がいたので、彼女は一緒に拾ってあげた。腰が曲がった老婆は、全ての果物を拾い終わった後、にっこり笑って、林檎によく似た真っ赤な果実を彼女に差し出した。 「その実は真実の愛の実。お前さんの憂いを断ってくれるだろう」  渡された実を見ること数十秒。  得体の知れないものを受けとるわけにはいかないと返そうとしたが、目の前にいたはずの老婆は煙のように消えていた。  ☆  マチルダ・アヴァンはアヴァン家の長女で婿を取り、家を継ぐ事が決まっている。婚約者は父の友人でもあるスタンフ伯爵の次男、オズワルドだ。   しかし、彼女には長い間片想いしてる相手がいた。彼は彼女よりも十歳年上で、マチルダの事を恋愛対象などと思った事もないはずだった。また家の主人の娘であり次期当主ともなる彼女に対して、そんな感情すら持った事はないだろう。  それでも彼女は諦めきれなかった。 「マチルダ様。本日もローズマリー様もご一緒されるのですか?」 「そうよ」  マチルダの返事に、愛する彼は、眼鏡の奥の目を細めた。漆黒の燕尾服を身に着けた二十代後半の男、黒い髪はきれいに撫でつけられ、使用人として一定の距離を保ち、彼女の側に控える。マチルダが小さい時、彼がまだ執事見習いであった頃はその黒髪が時たま寝ぐせではねていたり、少し抜けているところもあった。遊び相手になってくれたこともあり、彼女にとって兄のような存在だった。そんな子どもの頃を懐かしみながら、マチルダは側に立つ少しだけ不機嫌そうな執事レナードを見上げる。  彼はローズマリーとオズワルドが互いに惹かれあっている事に気が付いており、ローズマリーがマチルダとオズワルドの茶会に参加するのを好ましく思っていないようだった。彼女はそれを知っていたのだが、わざわざローズマリーを誘っていた。 (だって私はあなたが好きなの。オズワルド様とは結婚したくない)  マチルダには当主として家を盛り立ててもらい、美しいローズマリーにはできるだけ条件の良い相手と結婚してもらう。  両親の考えはそれで、小さい時からマチルダは当主教育を受けており、次男であるオズワルドと結婚するのもそのためだ。 (この人の前で、私はオズワルド様を夫として隣に置いて、生きていかなければならない)  婚約が決まった時から、その事を思うとキリキリした心の痛みがマチルダを襲った。  「マチルダ様?」 「なんでもないわ。下がって頂戴」  そう言うと、少しだけ彼の眉間に皺が寄ったが、一瞬だった。レナードはすぐに微笑みを浮かべ、部屋から出て行った。  しばらくしてオズワルドが到着して、玄関に迎えに行く。それからローズマリーを交えてお茶を飲む。  ローズマリーは美しい。父に似たマチルダと異なり、妹は美しい母に似た外見をしている。蜂蜜色の豊かな髪に、青色の瞳。スラリとした体付きのマチルダとは異なり、女性らしい丸みを帯びた体型だ。  オズワルドは茶色の髪に茶色の瞳、どこにでもいるような顔だが、とても優し気な風貌で見るものを安心させる。  父親たちが友人関係であるので、オズワルドとの付き合いも幼い時からある。ローズマリーが彼を好きなのは昔からだ。なのに、父はオズワルドの婚約者をマチルダにした。 (家のため。美しくない私じゃ条件の良い縁談は難しいから)  ローズマリーは馬鹿ではない。マチルダのように小さい時から当主教育をうければオズワルドに支えてもらいながら、当主として采配を振るうことができただろう。  けれども、両親は美しいローズマリーをどこかに嫁がせたかった。 (なんて不幸なこと。私はレナードが好きで、ローズマリーとオズワルドはお互い好き合っているのに。この結婚は家のためだけ。誰も幸せになれない。ローズマリーだって、オズワルド以外の誰かと結婚するなんて嫌だろうに)  貴族であるからには仕方がない。  恋愛結婚なんて稀である。 「お姉様?」  ずっと黙っているマチルダに、ローズマリーが問いかける。  その瞳には少し罪悪感が見え隠れする。 (ローズマリーは道を誤らない。オズワルドのことが好きでも、それを表に出したりしない。話はしても過度の接触などはしない。オズワルドもそう。どうせなら、既成事実でも作ってくれたら)  そんな考えに至って、マチルダは自己嫌悪に陥った。 (自分勝手ね。本当) 「お姉様?」 「なんでもないわ。オズワルド様。このクッキーはローズマリーが焼いたのよ。もうお食べになった?」  マチルダはすべての考えに蓋をして、オズワルドに話しかける。 「ああ。とても美味しかったよ」  彼は穏やかに微笑んで返事をした。 (オズワルド様はいい人だわ。きっと優しい夫になってくれる。ローズマリーのことが好きでも私を大切にしてくれるでしょう。でも私は……)  マチルダの思いはすべてレナードのためにあった。  今はもう見せてくれなくなった屈託のない笑顔。  すべての感情を覆い隠すような貼り付けたような微笑みではない、自然な彼の笑顔。 (レナード。あなたは私のことを主人の娘だとしか思っていないでしょうね。もしくは次の主人かしら?)  兄としての憧れが、恋に変わったのがいつからか。マチルダ自身にもわからなかった。  彼の笑顔に胸を高鳴らせ、愛しい、その胸に抱かれたいと思った。 (この気持ちがきっと彼に伝わったのね。だから、彼の態度が徐々に変わっていってしまった。もうあんな風に私に笑いかけてくれることもない)  それでもマチルダの気持ちは変わらなかった。
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