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「洗ってない浴槽に入るの嫌でしょ?そしたら下の息子がもうお風呂掃除してくれてるの」
「小学1年生の時に長男を初めて1人でお使いに行かせたの。電車を使ってね。ちゃんと行けるか心配で私と旦那、2人で跡をつけて」
保健教師とは、校外で何度か会った。
しかし徐々に、相談に乗ってくれているというより、ただ買い物に付き合わされているだけという印象に変わっていった。
「いかがですか?」
ショッピングモールの中にあるショップの入り口辺りにあった商品を手に取った保健教師に声を掛ける店員。
保健教師は無言だ。
「そちらのバッグはウサギの……」
「あのね!ゆっくり見たいんだけど!!」
挫けずにニコニコと話を続けていた店員に、保健教師は声を荒げた。
店員も私もいきなりのことに驚いた。
「失礼致しました……」
分かりやすく声のトーンが下がった店員は、店の奥に戻っていった。
「ウサギの毛ってすぐに抜けるのよね」
店員とのやり取りなどなかったかのような口調で話し出す保健教師。
手に持っていたバッグを乱雑に置いた保健教師は、隣にある靴屋で商品を選び始めた。
バッグを元に掛けてあった位置に戻そうとした時、その手触りに違和感を覚える。
これ、フェイクファーじゃん。
もしかしたら店員さんは「ウサギの毛に似せたフェイクファーです」って説明しようとしたんじゃ……。
本物のウサギの毛はたしかに抜けやすい。
だけどこれは結構丈夫に作られている。
保健教師に知らせようかと思ったが、さらに機嫌を損ねてしまうような気がしたのでやめた。
「通勤で車を運転するのにヒールは危ないからペタ靴で運転してるの。
学校に着いたら車の中でお気に入りの靴に履き替えて、駐車場から職員入り口まで歩いて。
それからまた下駄箱で学校用のサンダルに履き替えるのよ」
「女子力高いね」
「そうでしょう?」
保健教師の機嫌はすでに治っているように見える。
しかし靴をいくつも手に取っては戻しの繰り返しで、商品を買う素振りを見せない。
実は私は女同士の買い物があまり好きじゃない。
でもそれを口にすることはできない。
あれだけいろんな店を回ったのに、保健教師は何も買わなかった。
歩き回って疲れてしまった。
自分のペースではないから余計に。
「もうそろそろ帰らなくちゃ」
店内に飾ってあった洒落た掛け時計を見て、そろそろ晩御飯の支度をしなければならない時間だと気が付いた。
「ちょっと待って。このお店のワッフルを買いたいの」
保健教師はそう言ってベルギーワッフルの店の行列に並び始めた。
「ヤバいよ。もうギリギリだよ、先生」
私の訴えに保健教師は無言のままだった。
ショッピングモールへは保健教師の車で送ってもらった。駅から遠く、徒歩では帰れないしバス停もない。
待つ以外に選択肢がないことが分かった私は、仕方がなく一緒に列に並んだ。
やっと保健教師の番が来た。数種類のワッフルを選び店員が箱に詰めている時、保健教師が私に話し掛けて来た。
「前にもここで買ったことがあるからワッフル一個の無料券があるのよ。」
そう言って財布から取り出した一枚の紙を私に見せてきた。
保健教師は自分の分を受け取った後、その無料券を店員に渡した。
そしてその後に一個のワッフルが入ったとても小さな袋をアタシに手渡した。
「お母さんと分けて食べてね」
「……うん、ありがとう……」
好意はありがたく頂く。
でも何と言ったらいいのだろう。
こんなせこい大人、生まれて初めて見た。
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