34人が本棚に入れています
本棚に追加
第2話 お誕生日会
「エリちゃんと一緒に帰るのよ。家に帰ってきてもママはいないんだから」
莉緒の小学校は土曜日も午前中は授業がある。
「分かってる」
くどいように言う私にうるさそうな返事をして、莉緒は出ていった。
エリちゃんの家に誕生日会の手伝いに行くので、学校から直接行くように昨日の夜から莉緒には何度も言い聞かせていた。
夫は昨日から出張で家にはいない。
約束の時間までに、皿洗いや洗濯、掃除を済ませようと思って、私のほかに誰もいなくなった家の中をドタバタと走り回る。
お昼前になんとか予定の家事を終わらせると、エリちゃんの家へ向かった。
エリちゃんの家は住宅街にある外観がお洒落な洋風の二階建ての家だ。
外からは見たことがあるが、家の中に入るのは初めてだった。
チャイムを鳴らすと、Tシャツにデニムというラフな姿のナオミさんが出てきた。
私よりも首一つ背の高いボーイッシュなナオミさんのこういう格好は凄く似合っている。
同性の私でも思わずドキッとしてしまう。
「ごめん。ほかのママたちにも頼んでみたんだけど、やっぱりみんな仕事があるって言われたの」
「いえ、別に……」
ナオミさんのブルーアイと目が合って、思わず下を向いた。
夫もイケメンだが、中性的雰囲気を纏ったナオミさんの美貌はまた違う魅力を感じさせる。
ナオミさんに見つめられて顔が赤らんでしまっているかもしれない。
「入って」
案内されたキッチンはかなり広い。
「アイランドキッチン。いいなあ。使いやすいですよね」
私はアイランドキッチンに憧れがある。今は賃貸マンションなので、勝手なリフォームはできないが、いつかマイホームを持てたときはアイランドキッチンにしたいと思っていた。
さらに最新式の大型の冷蔵庫まで置かれている。これも私がずっと欲しかったものだ。
「そうね」
ナオミさんが微笑んだ。
カウンターの上にはケーキやオムライス、サラダなどがすでに並べられている。
「私はなにをすればいいですか?」
ほとんど用意ができているように見える。私がすることはもう何もなさそうだ。
「オムライスにケチャップで『お誕生日おめでとう』って書いてくれる?」
ナオミさんは生クリームでコーティングされているケーキの上にチョコレートクリームの入ったペン状の絞り器を使って文字を上手に書いていく。
「ケーキも手作り何ですか?」
「ええ。美味しいかどうかわからないけど」
謙遜しているが、見るからに美味しそうだ。
私もナオミさんの真似をしてオムライスの上に書いた。
「これでいいですか」
ケチャップで字を書いたことがほとんどないので、歪んだ不恰好な字がオムライスの上で踊っている。
ナオミさんのものと比べるとあまりにも下手すぎて恥ずかしくなってきた。
「あはは。なかなか芸術的ね。それでいいわ。あと3つにも何か書いて」
ナオミさんは笑いながらケーキを冷蔵庫に入れた。
「えーっ。無理です」
もうこれ以上は恥を晒したくはない。
「大丈夫よ。わたしも一緒に書くから」
ナオミさんは、冷蔵庫から真新しいケチャップを取り出してオムライスの上に絵を描き始めた。
今、小学生の女子のあいだで人気の魔法少女たちが活躍するアニメのキャラクターを描いているようだ。
「上手ですね」
「そう?」
ナオミさんが微笑んだ。
小説家で、絵や字も上手くて、そのうえ美人。
天は二物も三物もナオミさんに与えている。あまりにも不公平だ。
自分とナオミさんのあまりの違いに逃げ出したくなる。でも、そんなことはできない。もう子どもではないのだから、現実から逃げるわけにはいかない。
自分のできることをしようと思った。
仕方がないので、お花と太陽というありふれた絵を描いてみる。
まあまあの出来かなとは思うが、ナオミさんの絵を見てしまうと、その差に顔が引き攣ってしまう。
これは莉緒に食べさせよう。
「あら、絵は上手いじゃない」
一瞬、皮肉かと思って、思わずナオミさんの顔を見た。
「ここにも花を描いて」
『お誕生日おめでとう』と私が書いたオムライスの空いたところを指す。
「いいんですか? ナオミさんの絵の方が良くないですか?」
「そういうかわいい花の絵はうまく描けないのよね。エリはかわいい花の絵が好きなの」
どうやら皮肉ではなさそうだ。
褒められると悪い気はしない。自分の歪な字の下にお花の絵を描いた。
少しは字のマズさを誤魔化せただろうか。
「ただいま。ママ、みんな来たよ」
全部のオムライスに二人で絵を描き終えたときに、エリちゃんの元気な声がした。
女の子たちのにぎやかな声も聞こえてくる。
どうやら、エリちゃんは誕生日会にくることになっていた子たちを引き連れて帰ってきたようだ。
莉緒以外の2人の子たちのお母さんは働いているから、学校から直接エリちゃんの家に来たほうが安心なんだろう。
「ママ、まだ?」
エリちゃんがキッチンに入ってきた。
ナオミさんはハンサムという言葉がしっくりくるが、エリちゃんは目がクリクリして、お人形みたいに可愛い。少しウェーブのかかった栗色の髪を肩で揃えたミディアムヘアーもよく似合っている。
ほかの子たちはエリちゃんの後ろから興味深げにキッチンを覗いていた。
莉緒と目が合った。
はにかんだような微笑みを浮かべて莉緒は私から目をそらした。
「そんなところに立っていたら邪魔。手を洗って部屋で待っていなさい。みんなもちゃんと手を洗いなさい」
「はーい」
ナオミさんに言われて、騒がしい集団はキッチンを離れていった。
「思ったより早く来たわね」
ナオミさんは渋い声を出して、冷蔵庫からケーキとサラダを取り出した。
「そうですね」
みんな一緒にくるとは、ナオミさんは考えていなかったようだ。
「とりあえずオムライスとサラダを二階に持っていって」
「はい」
私はナオミさんから受け取ったトレーにオムライスとサラダの皿を載せて階段を上っていった。
二階には左右に四つ、正面に一つのドアがあったが、子どもたちのにぎやかな声が廊下まで聞こえていたので迷わずにすんだ。
ナオミさんはシングルマザーで、エリちゃんと二人暮らしだと聞いている。その割には部屋数がかなり多いようなに気がした。
ドアを開けると、フローリングの部屋に高そうな絨毯が敷いてある。
子ども部屋にしてはかなり広い。
机、本棚、ベッドなどが置いてあり、さらに真ん中にはローテーブルまで置いているが、4人の子どもたちが座ってもまだ十分なスペースがある。
4畳半の部屋に莉緒を押し込めている我が家とは大違いだ。
「わあー、オムライスだ」
エリちゃんが嬉しそうに手を叩いた。
「はい。どうぞ」
間違えないように字と絵が書いてあるオムライスの入った皿をエリちゃんの前に置く。
「このお花は莉緒ちゃんのママが書いたの?」
エリちゃんがオムライスを指さした。
「そうよ」
やっぱり、下手だと思われているのだろうか。
「かわいい」
エリちゃんはかわいいことを言つてくれる。思わずギュッと抱きしめたくなった。
「ほんとうだ。かわいい」
ほかの子たちも覗き込むように見ながら言った。
莉緒は少し誇らしげな顔をしている。
「ケーキもくるからちょっと待っててね」
にぎやかな部屋をあとにして、私は下りていった。
「何度も悪いけどこれを一緒に持ってきてもらえる?」
ケーキの入った大皿を大事にそうに持ったナオミさんが、テーブルに並べてある取り皿やフォークなどを目で示した。
「はい」
持って帰ってきたトレーにそれらを入れてナオミさんの後についていった。
部屋に入ると、ナオミさんはケーキをテーブルの真ん中に置き、10本のローソクを上に立ててライターで火をつけた。
ハッピーバースデーをみんなで歌い、エリちゃんがローソクの火を吹き消す。
ナオミさんはケーキの大きさが、だいたい均等になるように切り分けて、取り皿の上にのせていった。
私はそれを一つずつ子どもたちの前に置いていく。
「はい。遠慮なく食べて。ママたちは下にいるから用事があったら呼んで」
ナオミさんと私は子どもたちが食べ始めると、部屋を出て一階のキッチンに戻った。
「わたしたちも食べましょう」
オムライスに使った残りのチキンライスやサラダで昼食を取ることになった。
ダイニングのいかにも高級そうなテーブルと椅子に座る。
小説家というのは、かなり儲かるんだなと思った。
「すみません。莉緒だけでなく、私までご馳走になってしまって。材料費は払います」
「いらない。どうせ子どもたちに作った残り物だし。遠慮せずに食べて」
私は遠慮なく食べることにした。
最初のコメントを投稿しよう!