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第5話 夫に裏切られて
もうダメ。
これ以上嬲られたら、夫にしか見せたことがない醜体をナオミさんに見せてしまう。
そう思ったとき、二階でバタバタという音がした。続いて階段を下りてくるいくつかの軽い足音が聞こえてくる。
ナオミさんの手が離れていく。
助かったという思いと、もう少しで久しぶりの快感が味わえたのにという残念な気持ちとが同時に湧き上がってくる。
「ママ、マコちゃんとフウちゃんが習い事があるから帰るって」
エリちゃんがキッチンに入ってきた。
「分かった」
後ろにいたはずのナオミさんはいつのまにか私の前に座っていて、母親の顔に戻っている。
「ママ。私も帰る」
莉緒が近づいてきて横に立った。
「そう」
私は弾んでいた息をなんとか整えて、いつもどおりの声で応えたつもり。
だが、まださっきの余韻で体は熱い。
「ママ、顔赤いよ。どうしたの?」
莉緒が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「ちょっとお酒飲んじゃったから」
「お酒飲んだの?」
莉緒が不満そうな声を出す。私がお酒を飲むことが嫌いみたいだ。
「ちょっとだけよ。そんな顔しないの」
莉緒を抱きしめた。
「お母さん、お酒くさい」
莉緒はちょっと嫌そうな顔をする。
「わたしたち帰る」
マコちゃんが声をかけてきた。
「ちょっと待って。おばさんも一緒に帰るから。今日はこれで失礼します。片付けをお手伝いできなくてすみません」
「そう。残念だわ。続きはまた今度ね」
ナオミさんの目が妖しく光っている。
「じゃあ、あとはお願いします」
私は慌てて莉緒の手を引いてダイニングを出た。
最近は、近所で変質者が出て小学生が襲われそうになったとかいう危ない話もときどき聞く。
心配なので、マコちゃんとフウちゃんを家まで送っていった。
体の奥底には官能の小さな炎がまだチロチロと燃えていて、頭の中はモヤモヤしている。
家に帰り着くと、莉緒は自分の部屋には戻らず、ずっと誕生日会の楽しかったことを話していた。
私はハッキリしない頭で適当に合槌を打ちながら聞き流す。
今までこんなことはなかった。
これを解消することができるのは夫しかいない。
どんなに拒否されようと、泣き叫んで取り縋ってでも抱いてもらいたい。
しかし、夫はしばらく帰ってこない。
あと残された方法は……。
自分ではそう性欲が強いほうではないと思っている。
独身時代でもあまり自分自身で慰めたことはない。現実に戻ったときの虚しさを思うとしたいとは思わない。
でも、我慢できない。
夫から5年も無視されていた体にあんな悪戯をされたら性欲が強くなくても我慢できなくなるだろう。
莉緒はいつも自分の部屋で寝ている。
寝静まった頃にすれば、気づかれる心配はない。
だが、物事は思いどおりにはいかない。
ベッドに入ろうとしたとき、莉緒が自分の枕を持って寝室に入ってきた。
「今日はママと一緒に寝たい」
いつもは一人で寝ているから、いない日ぐらい私に甘えたいのかもしれない。
普段ならなんてかわいい子だろうと思うところだ。
だが、今日は違う。
「いつも一人で寝ているのにどうしたの? 友だちから怖い話でも聞いたの?」
昼間に友だちと怪談話でもして怖くでもなったのだろうか。
「今日はパパがいないからいいでしょう」
莉緒は私の枕の横に自分の枕を置くと、さっさとベッドに横になってしまう。
母親としては、一緒に寝たいという娘を自分の欲望を満たしたいがために追い出すわけにもいかない。
私もしかたなく莉緒の横に寝た。
莉緒が「ママ」と言って、甘えるように体をピッタリとくっつけてくる。大きくなったと思ったが、まだまだ子どものようだ。
やっぱり莉緒はかわいい。頭を撫でてやる。
「今日だけよ」
「うん」
莉緒は嬉しそうに目を細めて頷いた。
体をこんなに密着されたら自分を慰めるなんてとてもできない。
それに娘が横に寝ているのにそんなイヤらしいことができるはずもなかった。
今日は諦めるしかなそうだ。
なんとか寝ようと思って目をつむるが、体が疼いてなかなか寝つけない。横では、莉緒が寝息を立てて気持ちよさそうに寝ている。
トイレにでも行こうかと思って、ちょっと体を動かした。
「うーん」
莉緒が寝返りを打った。私が動いたら起きてしまいそうだ。莉緒を起こしてしまうのはかわいそうだ。
トイレに行くのを諦めて、幸せそうに眠る莉緒の顔を見つめていると疼きが少し治まっていくように感じられた。
莉緒の寝顔を見ながらいつの間にか眠っていた。
翌日は、莉緒と一緒に買い物に行って、久しぶりに外で昼食をした。
夕方に家へ帰ると一緒に夕食を作って食べた。
莉緒とそんなことをしているうちに、昨日感じていた体の疼きやモヤモヤ感をほとんど感じなくなってきた。
寝るときになると、きのう約束したはずなのに莉緒が一緒に寝たいとまた駄々をこねた。
「昨日、約束したでしょう」
「イヤだ。ママと一緒に寝る」
莉緒が泣きだしてしまう。
「本当に今日だけよ」
何度も言い聞かせて横に寝かせた。気持ちも体もだいぶ落ち着き、昨晩みたいな焦燥感はない。今日はゆっくり寝られそうだ。
考えてみたら莉緒のおかげでナオミさんの毒牙から逃れられたし、虚しい行為をしないで済んだ。
莉緒に感謝をしないといけないと思った。
それにしても夫の帰りが待ち遠しい。早く夫に抱きしめて愛してもらいたい。そんな期待をしながら私は夫の帰りを心待ちにしていた。
だが、出張に行っているはずの夫を私は想像もしないところで見てしまうことになる。
その日は、中学校からの親友である松村裕子から商店街の抽選でホテルランチが当たったから一緒に行こうと誘われていた。
ホテルまで電車で一時間ぐらいかかるが、ランチが終わってから帰っても莉緒が帰るまでには家に帰ることができる。
夫が帰ってくるのは翌日だ。夕食は近くのスーパーで出来合いのものを買って帰ればいいだろう。
私は誘いにのって出かけた。
裕子と会うのは一年ぶりだったので、夫や近所の愚痴などの会話で盛り上がった。
料理も美味しく大満足。
来てよかった。
裕子がトイレに立ったので手持ち無沙汰になり、キョロキョロしていると一番奥のテーブルに目が止まった。
そのテーブルには一組のカップルが座っていた。食事は終わったようで、コーヒーを飲みながら談笑している。
女の人は切長の目に鼻すじの通ったちょっときつめの美人。
その顔はよく知っている。フウちゃんのママ、麻衣さんだ。
たしか、麻衣さんは誰でもがよく知っている文具メーカーの営業課長をしていると聞いた。
年齢は私とそう変わらないはず。
キャリアウーマンらしくきっちりスーツを着ている。
そして男のほうは……。
夫だ。
10年以上一緒に暮らしているのだから見間違えるはずはない。
出張で九州に行っているはずの夫がどうしてこんなところにいるのだろう。
それも麻衣さんと一緒に。
私の頭の中が真っ白になった。
「どうしたの? 顔が真っ青よ」
戻ってきた裕子が心配そうな顔をしている。
「夫かいるの」
「どこに?」
「一番奥のテーブル」
「でも、旦那は出張なんでしょう」
「そのはずなんだけど」
「見間違いじゃないの」
裕子は夫たちのテーブルのほうを見ようとする。
「見ちゃダメ」
夫に気づかれると思った。
しばらくすると、夫たちは立ち上がって私たちのテーブルに近づいてくる。
私が家から離れているこのホテルに昼間から来ているとは、夫は思っていないのだろう。
周りを気にする様子もなく、麻衣さんと腕を組んで歩いている。
二人はほかのテーブルの人が注目するほどの美男美女のカップル。
私は顔を見られないように下を向いていた。
「本当だ。堂々とほかの女と腕なんか組んじゃって。とっちめに行きましょう」
裕子は怒って立ちあがろうとする。裕子は披露宴に来ていたので夫の顔を知っていた。
「やめて」
ホテルには誰がいるか分からない。そんなところで騒ぎを起こすことはできない。
「どこに行くか確かめてくる」
裕子は二人の後を追いかけていった。
私は今見たことが信じられなかった。
よく遊びにくるフウちゃんのことを夫は知っているが、麻衣さんのことは知らないはずだ。
学校行事に夫は参加したことがない。全て私に任せっきり。
麻衣さんと知り合う機会などなかったはずだ。
いったいどうやって知り合ったんだろう。
裕子が戻ってきた。
「二人でホテルの部屋に入っていった。バッチリ写真を撮ったよ」
裕子が私にスマホを見せた。
部屋に入る夫と麻衣さんの顔が写っている。
ショックがあまりにも大きすぎて、そのあと裕子とどんな話をしたかまったく覚えていない。
気がつくと、一人で電車に乗っていた。
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