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第1話 ママ友のお願い
夫は優しい。
給料はちゃんと家に入れてくれるし、小遣いが少なくても文句を言ったことがない。
休日には小学4年生になった一人娘の莉緒と一緒にゲームをして遊んだり、映画や買い物に連れて行ったりと世話もなにかとしてくれる。
家族の誕生日や夫婦の記念日には、外食にも連れて行ってくれるし、プレゼントもしてくれる。
浮気をしたこともない(たぶん)真面目な人だ。
まわりの人から見ればすごくいい夫に見えるだろう(実際にいい夫だが)。
だけど、不満がまったくないというわけではない。
夫とはセックスレスだ。
莉緒が生まれてから徐々に回数が減ってきて、ここ5年ほどはほとんどしていない。
大学のときの友だちに愚痴ってみると、
「どこでも似たようなものよ。うちも3年はないかな」
と言っていた。
子どもがいれば、どこでもそうみたいだ。
もちろん夫は愛している。でも、女としては淋しいものがある。
昨晩も私のほうから思い切って甘えてみた。
小さいときは、莉緒も同じベッドで寝ていたが、小学生になると自分の部屋で一人で寝られるようになった。
だから、寝室は夫婦だけ。
それなのに、夫は「明日も仕事だから。ごめん」と言って寝てしまう。
私も同じ会社に勤めていたから、中間管理職である夫の仕事が大変なのはよく分かっている。
でも……。
夫に拒まれ、背を向けられて私は泣きそうになった。
外では、『莉緒ちゃんのママ』でも夫と二人っきりのときには女の『沙也加』に戻りたい。
もちろん夫婦の愛情表現はセックスだけではないということは頭では分かっている。
愛情があればセックスなんてなくてもいいという人がいることも知っている。
でも、最初のときのように激しく愛して欲しい。私を求めて欲しい。
女にも性欲はある。
夫が体を求めてこないのは、もう私に飽きてしまったからだろうか。それとも、抱きたくなるような魅力が無くなってしまったのだろうか。
あるいは、私を女だとはもう思えなくなってしまっているのかもしれない。
そう考えるとあまりにも虚しい。
私はもうアラフォーだ。
鏡で顔を見ると、小皺があちらこちらにあり、肌のツヤや張りも若いころとは全然違う。
やっぱり、夫も男だから若い女のほうが好きなんだろう。
そう思って浮気を疑ったことがある。
夫は携帯にロックをかけたりしていない。
いけないことと分かっていながら、お風呂に入っているときを狙ってメールや電話の履歴、ラインを盗み見たことがある。
だが、それらしい形跡はなかった。
隠れてスマホをいじっている様子もないし、休日に一人で出かけるというような怪しい行動もない。
たぶん浮気はしていないと思う。
浮気でないとしたら、夫はどうやって自分の性欲を処理しているのだろうか。
やはり、私に気づかれないように上手く浮気をしているのかもしれない。
私よりもずっと若い女と浮気をして、鈍い女だと陰で笑っているのかもしれないとか考えてしまうこともある。
そんなことを考えていると、泣きそうになる。
「ママ、わたしの言うこと聞いてた?」
莉緒の声が私を現実に引き戻した。
朝ご飯を食べさせていたのを思い出す。
「えっ。なに? ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「もうー。ちゃんと聞いて」
パンを手に持ったまま莉緒が健康的な赤みのあるほっぺたを膨らませた。
ちょっと拗ねたような顔も可愛い。
莉緒は夫似だ。
目鼻立ちがくっきりしていて、まだ赤ちゃんのころから「将来は絶対に美人になるわね」と周りから言われていた。
私の母なんかは、「お前に似なくてよかったね」と自分が産んどいて失礼なことを言う。
夫は長身で、目鼻立ちのハッキリとしたイケメンだ。
もう40をとっくに過ぎているが、20代と言っても十分に通用しそうなぐらい若く見える。
私の友だちにも人気があるし、独身のときには会社の女の子が何人も狙っていた。
私は凹凸の少ない典型的な東洋人の顔をしている。美人ではないが、そう悪くもないと自分では思っている。
友だちに言わすと、私の顔は可もなく不可もないちょうどお手ごろということらしい。
どういう意味だ。
誰に言っても信じてもらえないが、夫のほうから私に声をかけてきた。
最初は私もからかわれているんだと思っていたので、適当にあしらっていた。
だが、何回断っても誘ってくる。
イケメンの男に何度も誘われて、悪い気はしない。
一度だけのつもりで食事に付き合った。
それからも夫は何度も誘ってきて、食事や映画に行った。そんなことを繰り返しているうちに付き合うようになった。
付き合って半年後にプロポーズされ結婚し、3年目に莉緒が生まれた。
「エリちゃんに土曜日のお昼から誕生会をするから来てって言われたの。行ってもいい?」
エリちゃんは莉緒の同級生で一番仲がいい。ハキハキとして礼儀正しい。エリちゃんはいい子だが、私はエリちゃんのママのナオミさんが少し苦手だ。
小説家をしているというナオミさんはアメリカ人のお父さんと日本人のお母さんのダブルだと聞いている。
背が高く、モデルのような体型で、金髪をツーブロックマッシュにした美人というよりイケメンという言葉がピッタリする人だ。
中学校まで、アメリカで育ったというナオミさんは明るく、気さくな人柄で、物怖じせず自分の意見をハッキリと言う。
初対面のときからまるで昔からの知り合いのように話しかけてきた。
子どもたちの仲がいいので会えば話しはするが、人と仲良くなるのに時間がかかる私にとっては、ナオミさんんのようなタイプは苦手だ。
エリちゃんに誘われたと言っても、実際に準備をするのはナオミさんだろう。
それを考えると、すぐに「いいよ」とは言えなかった。
「ほかは誰か行くの?」
「マコちゃんとフウちゃん」
二人とも莉緒の同級生。エリちゃんと同じくらい莉緒が口に出す名前だ。何回か家に遊びに来たことがあった。
莉緒の体からは行きたいというオーラが出てる。
ナオミさんのことが苦手だから行ってはだめだともかわいそうで言えない。
「いいわよ。でも、エリちゃんのママにご迷惑をかけてはダメよ」
「うん。分かってる」
莉緒は笑顔になって頷いた。
娘がお世話をかけるのだから、一言あいさつをしておいたほうがいいだろう。
莉緒を学校に送り出してからエリちゃんの家に電話をかけた。
だいたいの人がスマホを持っているので、固定電話のない家も多いが、ナオミさんの家には固定電話がある。
スマホはもっぱら出版社の人との連絡用に使っているから、「用事があるときは固定電話のほうにかけて」とナオミさんに言われていた。
呼び出し音が鳴るがなかなか出ない。
小説を書いているのだろうか。締め切りが迫っているのかもしれない。
どんな小説を書いているかは知らないが、けっこう人気があるとエリちゃんは言っていた。
締め切りが迫っていると、ナオミさんはイライラしていてとても恐いともエリちゃんは言っていた。
そんな忙しいときに、莉緒がお邪魔をしても大丈夫なのだろうか。
「もしもし」
そろそろ切ろうかと思ったときに、ナオミさんの声がした。
「柳井ですけど」
「あら、沙也加さん?」
ナオミさんは私のことを親しげに名前で呼ぶ。それも私がナオミさんを苦手だと思うことの一つだ。
「はい。今度の土曜日に莉緒がエリちゃんのお誕生日会にお招きいただいたみたいで……」
「ああ、そのことね」
「ご迷惑をおかけするかもしれませんけれど、よろしくお願いします」
「そんなことはいいのよ。ほかの子たちも来るし、エリも楽しみにしているから」
相変わらずハキハキとした口調でナオミさんは言った。
「そうですか。よろしくお願いします」
「で、そのことでちょっと亜希さんにお願いがあるの」
「お願い?」
なんとなく嫌な予感がした。
「準備を手伝って欲しいの。ほかの子のママたちは仕事やパートがあるから亜希さんにお願いしたいの」
私は結婚しても仕事を続けた。莉緒が生まれてからも産休と育休は取ったが、その後は保育園に預けて働き続けていた。
だが、莉緒が小学生になったとき、「ママ、仕事にいっちゃあいやだ」と泣いて学校へ行こうとしないということが続く。
なんとか騙して学校へ行かせていたが、最後にはトイレにカギをかけて閉じこもり出てこないという行動を奈々はとった。
莉緒は小学校から帰ると学童保育に行き、私が迎えにくるまで待っている。私が残業で遅くなったときは他の生徒は誰もいないなか一人で待っていることもあった。
きっとそれが寂しかったのだろう。
私も夫も困り果て、奈々が小学校を卒業するまで私は仕事をしないで家にいることになった。
夫の会社は中小企業だが、幸いにも業績が良く私が働かなくても親子3人がなんとか生きていけるだけの給料はもらえている。
それからの私はずっと専業主婦だ。
「分かりました。何時ぐらいに行けばいいですか?」
「悪いわね。1時にみんなを呼んでいるから、12時前に来てもらえるかしら」
「はい。じゃあ、土曜日の12時前に伺います」
私はふーっとため息をついて、電話を切った。
土曜日は莉緒を学校に送り出したら、すぐに家の用事を始めないと間に合わない。
専業主婦という立場になって初めて分かったことだが、料理や洗濯などやることはいっぱいある。
会社勤めをしていたときは、専業主婦は楽でいいなあと思っていたが、それは大間違いだった。
その点は、同性でも男たちと考えていることはそう変わらない。きっと、ほかの子のママたちもそう考えているだろう。
だから、専業主婦の私が手伝うしかない。
ナオミさんと二人というのは気が重いが、莉緒のためだ仕方がない。
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