男はつらいよ

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男はつらいよ

 弘前良実。出身は青森県。  父親が地元地銀の幹部。微かに訛る以外これと言って特徴はない。本当にいいやつだった。    アルバイトは大手レコード会社の小さな系列会社でカセットテープをダビング。  年の暮れが近づくと余ったという理由で俺はテープを貰った。この年は「青春時代」「迷い道」「勝手にしやがれ」「わかれうた」「あばよ」トリは「津軽海峡冬景色」  いずれもこの年のヒット曲。たが何か心に引っかかる。  ピンクレディーの二人の足がミリオンセラー連発でせわしくシンクロしていた頃だ。  年明けにあいつと映画に行く約束をしていた。  普段の俺たちは雑誌「ぴあ」片手に名画座巡り。文芸座で観た「青春の門」に感情移入し「キャリー」には心底慄いた。  ところが、誘われていたのは「男はつらいよ」三本立て。そうフーテンの寅さん。「私の寅さん」「寅次郎相合い傘」「寅次郎頑張れ!」  当時の俺は何故かこの手の映画を敬遠していた。いや、むしろ反発していたかもしれない。寒波のせいか約束の日、あいつはまだ実家だった。俺はひとり、観終わって自分自身に驚く。腹の底から笑っていたのだ。    外に出ると霧のような雨。どこからか話し声が聞こえる。準備中の札がかかった居酒屋のラジオだった。DJが軽快にこれからかける曲を紹介している。 「では次のリクエスト。今日の天気にふさわしい曲をお贈りしましょう。イルカ、雨の物語」  イントロが始まった。エレキギターがむせびなく。ハスキーな声。詩がこの日の雨のように全身に沁み入る。 「...窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終わりに こんな雨の日 似合いすぎてる...」    ハッ!とする俺。  その場から動けない。  うたが終わる頃、俺の頬をつたう雫は倍になっていた。
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