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1.プロローグ
「私、来月には月に帰んないとなんだよねー」
隣の美少女が、からっと笑う。まるでコンビニにでも行くみたいな気軽さで、彼女は間違いなくそう言った。
「……はい?」
僕のクラスメイト、笹部かぐやが月に帰るまで、あと30日。
「やー、困った困った」
笹部かぐやはそう言って一口大にカットされたスイカをしゃくっと嚙んだ。
それからまっしろな腕を大きく広げて、縁側のへりに足をぶらぶらさせたまま、上半身をばたんと床に投げ出す。
ここが僕の家で、縁側のはじっこには僕のばあちゃんが洗濯物を干しているということを一切忘れているのか、笹部かぐやはまるで自分の家で過ごしているかのようにリラックスしていた。
「困った困った、じゃなくて」
寝転がった笹部かぐやの方に目を向けないように配慮しながら、僕は思わずツッコミを入れた。
けれど視界には、だぼっとした緑色のシャツがめくれあがって、シャツではない透明感のある肌色が明らかにちらついていた。それを意識しまいと躍起になればなるほど、ただでさえむし暑いこの空間の温度が増す気がして、顔がほてった。
「どういうこと?月に帰るって。竹取物語の劇でもやる予定?」
「じゃなくって、ほんとなんだってば。来月の八月十五日、月がめっちゃきれいな日にさ、私ここからいなくなんなきゃなんだって」
というファンタジー要素たっぷりな前置きはさておき、彼女の話をまとめるとそれは、「今年の夏をもって、笹部かぐやは別の町に引っ越してしまう」という通達だった。
「なんかさ、私んち8歳の時から母子家庭なんだけど、一昨年くらいからお母さんに彼氏さん?がいたらしくて」
母子家庭、という言葉に僕はぴくりとした。
僕と笹部かぐやの接点は、同じ中学校で、今年はじめて同じクラスになって、現在3カ月連続で隣の席同士ということくらいだ。そんなたかだか数ヶ月の仲で、そこまで深い事情を聞いていいのか戸惑う。
そんな僕の心中に気づくそぶりもなく、笹部かぐやはよどみなく話し続けた。
「この度、おめでたいことにその方とご結婚されて一緒に暮らすみたいなんで、私もおまけで転校しちゃうってわけ。
昨日調べてみたら、この町からだったら電車と新幹線を乗り継いで片道4時間半かかるんだって。迷惑な話だよねー」
笹部かぐやの口調は、明らかにとげを含んでいた。
「でさ、その再婚相手?の人の名字が、“葉月”っていうらしいのよ。葉月かぐや!似合うと思う?」
葉月かぐや。
その新しい響きは、なんだか僕にはくすぐったく感じられた。「月」に「かぐや」に、竹取物語の大ファンにでも付けられたような名前だ。
「月に帰んないとなんだよねー」と表現した彼女の声がふとよみがえる。あれは年相応の中2病的発想だったけれど、僕としてはかなり好きな表現だった。そう思うけれど、本人には言わないでおく。
僕のクラスメイトで好きな人、笹部かぐやが月に帰るまで、あと30日。
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