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抜けるような青、白く立ちのぼる雲、豊かな青空だけがどこまでも続いている。
風も穏やか、絶好の散歩日和の中、壮年の男性と柴犬がのんびりと河川敷を歩いている。リードはない。お互いを縛るものは何もない。
犬が鳴いた。
「天気予報だと雨だって言ってたのに、嘘みたいだねえ」
男性が口を開いた
「わん」
「そうかそうか、お前も嬉しいか。久々の休日だものな」
男性の嬉しそうな様子が愉しいのだろう。犬は満足げに頷いた。
長閑な風景、争いのない世界、なんと素晴らしい事か。眼下の野外練習場では、子供たちが野球の練習に励んでいる。監督の隣には、ドーベルマンが指示を飛ばし、人間が吠える中、球児たちはボールを投げ、そして打ち、走る。
「今日も本当に、良い天気だ……」
柴犬を目を細め、青空を仰ぐ。取り戻した、平和の象徴だ。
昔々、人間たちは社会を築いた。その過程で自分たち以外の生き物も、自分たちすらも発展のため犠牲にしてきた。そして彼らが度を越えた時、犬たちは立ち上がった。きっかけは人間がいたずらに生み出した一頭の犬。彼は高い知性を宿し、言葉を解して喋ることができた。
彼は人間たちの元で犬の事を、他の生き物の事を、そして人間の事を理解した。
このままでは、人間たちは変わりはしない。未知のウィルスが蔓延り、三度目の大戦が迫っているというのに、世界中に張り巡らした電網を濫用し小さな争いに汲々とし続ける種族。知れば知るほど、愚かで愛おしく思えて来た。
このままではいけない、この種族を犬が管理しなければいけない。だが焦ってはいけない。人間たちとの触れ合いの中、彼は機会を待った。己の寿命が心配になってきた頃、ついにきた殺処分、その寸前の所で彼は脱走した。
命からがら逃げ伸びてから、しばらく時が経った。世界中の犬たちには、人間たちの電網すら利用して働きかけておいた。そして人間たちが同族同士の争いで疲弊しきった頃、彼はついに決起し、そして勝利した。
彼は決起の時も、それ以降も命を奪う行いを極力禁じた。
勝利の後、彼は人間たちから言葉と電網を奪った。それらは確かに偉大な叡智だが、人間たちは全く使いきれていないという結論に達した。
彼の号令の元、人間は言葉を発することを禁じられ、世界から、電網も電話も消え去った。
しかし、それ以外の所は、今まで通り犬と人間は仲良く暮らすように命じた。
犬も人もこれから来る時代の為に、協力して暮らさなければならない。
地球に恒久的な平和をもたらし、宇宙へと本格的に進出するために。
まだまだ問題は山積み、犬にも人にも不満を持つ者は数えきれない。だけど、理想に近づこうとする行いと歩みは、きっと嘘ではない。
「わん」
壮年の男性が、心配そうに柴犬を覗き込んでいる。いつの間にか座り込んでしまっていたようだ。
そういえば、最近少し疲れやすくなった。今も眠い。春眠暁を覚えず、かと思っていたが、いよいよお迎えが来たのだろうか。
「ふふ……もう、休んでもいいかな?」
悪くない犬生だったと思う。自分に智慧を与えてくれた、目の前の博士に感謝しながら、柴犬はゆっくり目を閉じる。
柔らかな陽光の中、輝ける道を感じながら。
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