中間点D

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 二番目の部屋には、峰背家が集めた絵画や彫刻、そしてレコードのコレクションが展示されていた。  いちばん目だつ場所に、『暮田市史』にのっていたのと同じ集合写真を引きのばしたものがはりだされている。  モネちゃん親子のすがたは、トリミングされて見えない。  拡大コピーで粒子があらいせいか、写っている女の人がみんな、地下にいた赤い着物の女性の顔に見えてきて、わたしは怖くなった。  最後の部屋には、大正時代の子供のおもちゃや、尋常(じんじょう)小学校(しょうがっこう)で使われていた教科書なんかがかざられている。  適当に流し見して出ようと思ったわたしの足が、あるショーケースの前で止まった。  古い本が三冊、展示されていた。  タイトルは『ギリシア神話のものがたり』。  上中下巻にわかれていて、一冊は、ページを開いた形で置かれている。  ページは黄色というか茶色に変色して、青みがかったインクの文字も、だいぶかすれていた。  版画調のさし絵があって、ライオンの体に人間の女性の顔をしたスフィンクスが、あごひげの男の人とにらみあっていた。  ページの閉じられた二冊のうち、一冊は表紙を、もう一冊は裏表紙をむけて置かれていた。  裏表紙には、すっかりうすくなった字で、持ち主の名前が書いてあった。  ほっそりした、きれいな万年筆の字で、『有間モネ』と。  ──お気に入りはギリシア神話の本だけれど、何度もひっこししているうちに、なくしてしまったのよね。  モネちゃんの声が、頭の中によみがえる。  その、化石みたいに古ぼけた本を見てようやく、わたしは本当の意味で理解することができた。モネちゃんは百年も昔に生きて、そして死んでしまった人間なんだって。  ……どうして死んでしまったんだろう。事故かな。それとも、病気だったのかな。  きっと、本当はもっと生きたかったんだろうな。  生きて、いろんな本を読んだり、いろんな場所に行ったりしたかったんだろうな。  いろんな人と話をしたかっただろうな。  涙がほほをつたわるのがわかった。  涙は、あとからあとからわきだしてきた。昨日からさんざん泣いて、いいかげん涙がかれてもおかしくないはずなのに。  いったい、わたしのどこにこれほどの水分があるんだろう。  顔をふいたハンカチがぐっしょりぬれても、わたしはまだ、その場を動けなかった。  ずきずき痛む頭をおさえながら、開いたままの本をながめる。  活字を追っていくと、書かれているお話がちょっとだけわかった。  知恵くらべをいどんだスフィンクスが、旅人とのなぞとき勝負に負け、くやしさのあまり死んでしまう。  そういうシーンだった。  そのとき――かちり、と、頭の中でなにかがかみあう感じがした。  受験勉強で、むずかしい問題がとけそうになったときの感覚に似ていた。  前に習ったあの問題とこの問題の考えかたを使えば、もしかしたら──そんな発想のしっぽを、うまくつかまえられたときの感覚。  ──未来予知なんてできないことは、もう、科学的に証明されているんだからな。  ──おばけは死なないけれど、その代わり、それぞれのきまりごとにしばられるものなの。  ──そして、時代や場所が違っても、似ているおばけは似たようなきまりで動いていることがある……。 (もしかして……もしかしたら……。)  わたしはあわててスマホの電源をつけた。  着信履歴とアプリの通知が、お母さんからの連絡でびっしりうまっている。うわっと思ったけど、見なかったことにして、わたしはお父さんに電話をかけた。  七、八コールくらい待ったところで、お父さんが出た。 『も、もしもし? 柚子か?』 「お父さん……」 『いまどこにいるんだ!? 学校から連絡があって、登校してないって──いや、そもそも、無事なのか?』 「ごめん、お父さん。いまは説明できないの。でも、まだだいじょうぶだから」 『まだ? まだってなんだ?』 「そんなことより、教えて。わたしの命がかかってるくらい、すごく大事なことなの。ほら、月曜日の夜、車の中で話してくれたでしょ。りょう──量子力学の話」
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