第一階層・件鬼

3/7

12人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ
 モネちゃんはきっと、もっと生きたかった。  生きていてほしかったと、わたしも思った。  わたしがモネちゃんと遊びたいってだけじゃなくて、モネちゃんに、もっとたくさん、楽しいことをしてほしかった。  そうならなかったのは、悲しい。とてもとても、悲しい。  人が死ぬって、そういうことだ。  誰かにあったはずの未来がなくなってしまうのは、どんな不幸よりもやりきれなくて、つらいことなんだ。  それを。  それを、こいつは──こいつらは。  涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、にやにやと笑う女の顔が目に入った。 「……さい」  吐息のような、小さなつぶやき。  件鬼はそれを、わたしの降参の言葉だと思ったみたいだった。もっとはっきり聞きとろうとして、顔をよせてくる。  そこに、わたしは言ってやった。 「うるっ……っっっさい!!」  わたしは指をつきつけて、叫んだ。 「わたしの未来を、勝手に決めるな!」  はじかれたように身を引いた件鬼が、すっと笑みを引っこめる。 「死ヌヨ」 「そうだよ。生きてるんだから、いつかは死ぬよ。それがなに!?」 「痛イヨ。苦シイヨ」 「あたりまえだよ! 痛かったり、苦しかったりするのは、生きてるからだよ!」 「失敗スル。失敗スルヨ……!!」 「いいよ!」  そうだ。はじめて会った日、モネちゃんはわたしに言ってくれた。 「失敗しないで生きてくことなんて、できないもん。後からがんばって取りもどせばいいんだ!」  件鬼が歯をむきだしてうなった。糸のこぎりみたいにギザギザのキバ。歯並びがガタガタのひどい口だ。  相手が言葉につまったすきに、わたしは叫んだ。 「おまえなんかに、人の未来がわかるはずない。それどころか、いま、すぐ目の前で起きてることだって、ほんとはわからないんだ。違うって言うなら、わたしの質問に答えてみなよ」  件鬼が、ぎょろりと目をむく。 「わたしの体は、目に見えないくらいに小さな、たくさんの電子があつまってできてる。その電子の、どれかひとつ。どれでもいいから、五分後の位置と動きを、ぴったり正確に当ててみせて。本当に、未来がわかるんなら――簡単なはずだよね!?」  いまにもわたしに食らいつきそうだった件鬼の動きが、止まった。 「どうしたの。さあ、答えてみろ!!」  わたしがたたみかけると、件鬼の体が、壊れた機械みたいにかたかた、かたかた、小きざみにふるえだす。  両目が別方向にぐるぐると回って、鼻から、どろりとした血が流れでた。  計算してる。必死に、答えを出そうとしてる。  解けない問題の答えを。 (う――うまく、いった)  わたしが投げかけたのは、「ハイゼンベルグの不確定性原理」というものにまつわる問いかけ……らしい。  正直、自分でも意味はわかってない。ただ、お父さんに教えてもらった内容を丸暗記しただけ(暗記は得意だ。受験生だもん)。  大事なのは、電子の位置と動きの両方を正確に測定することはできない(・・・・)ということだった。  電子の世界は常に「ゆらいで」いて、電子の位置を知ろうとすれば動きが、動きを知ろうとすれば位置が測定できなくなってしまう。  それは、量子力学によって証明されていることだった。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加