第一階層・件鬼

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 くずれていく。  なにもかも、くずれ落ちていく。  わたしの周囲を、まるでなだれのように、石と土砂が流れ落ちてゆく。  その中に、コンクリートの牛舎の破片があった。教室の机や、トイレの残骸もあった。うしむしの群れや、丑の刻参りの女や、人面犬の姿が土砂の中から一瞬あらわれ、すぐにまたのみこまれて、真っ暗な地の底へと落ちていった。  わたしの体は、宙に浮かんでいた。  モネちゃんが首に手をまわし、わたしの体にぶらさがっている。  上を見ると、まぶしい光があった。  どうやら、わたしの体はそこに吸いこまれていくみたいだ。 「ど、どうなってるの?」  わたしが聞くと、モネちゃんが笑った。 「死者は地の底の冥界(めいかい)へ。生者は地上へ。あるべき場所へ還るのよ。あたくしも、本当ならあの世へ行くべきなのだけど……。まだ、やり残したことがあるものだから。上まで連れていってくださる? 柚子さん」  わたしはうなずいた。  だけど、もうお別れが近いこともわかっていた。  と、下のほうで、叫び声があがった。  見ると、滝のように流れ落ちる土砂をかきわけ、件鬼が、こちらへのぼってこようとしていた。絶叫が空間をふるわせる。 「往生際の悪い……! 柚子さん、これ、なにか投げてちょうだい」  モネちゃんはそう言うと、片手とひざを使って、器用にトランクを開けてみせた。 「な、投げるの?」 「ええ。冥府(めいふ)からの追手には、何かを投げつけるのが神話のきまり。呪的逃走(じゅてきとうそう)よ。さあ、早く。このさい、なんだってかまわないわ」  そんなこと言われても……。  と、思ってトランクをのぞいたわたしはハッとした。  がらくたの中に、見おぼえのある紙箱が入っていたからだ。手に取ってみると、やっぱり、あのレコードだった。 「ああ、それ? なんだか大切なものだったようだから、後でわたそうと思って拾っておいたのだけれど……って、ちょっと!?」  モネちゃんが言い終わらないうちに、わたしは紙箱をびりびりに破りすてていた。  つやつやした黒いレコードを手に取る。  そして力いっぱい、それを投げつけた。  レコードはぶうん、と空気を切りさいて飛び、まるで吸いこまれるようにして、件鬼の顔に当たった。  件鬼が一瞬、ひるんだ拍子に、逆流する土砂をつかんでいた手がすべる。  そして今度こそ、件鬼は無限につづく闇の中へと落ちていった。 「……よ、よかったの?」  モネちゃんはきょとんとした顔で言う。 「うん。……だってもう、わたしには必要ないから」  わたしはやっと、モネちゃんに笑顔を見せることができた。  わたしの体はぐんぐん加速していく。  天の光が近づいてきた。 「ね、柚子さん。……ひとつだけ、あたくしのわがままを聞いてくれる?」  モネちゃんがほほをくっつけるようにして、わたしにささやいた。 「あたくしのこと、覚えていてほしいの。大昔に、有間モネという女の子がいたってこと。短いけれど、たしかに生きていたんだってことを」 「当たり前でしょ」  わたしは、叫び返すみたいに言った。 「忘れないよ。忘れるわけないよ! わたしが大人になって、おばあちゃんになって死ぬまで……ううん、死んでも、ずっと覚えてる。わたしが幽霊になったら、ぜったい、モネちゃんに会いに行く」 「本当? うれしいわ。でも……お願いだから、急いで会いに来ようと思わないでね。楽しいことも、つらいことも、めいっぱいみやげ話をためこんでからにしてちょうだい。あたくし、ずっと、待っているから」  光がわたしたちをつつんだ。  あたたかくて、安心する光。でも、まぶしくてなにも見えない。  肩にかかっていたモネちゃんの体重が、すっと軽くなった。  待って!  わたしは叫んだ。  まだ、ぜんぜん話せてない。話したいことも、話さなくちゃいけないことも。お願いだから、まだ行かないで。もどってきて!  夢中でふりまわした手は、何もつかまなかった。  ――さようなら。ありがとう、柚子さん。  すうっと意識が遠くなる中、わたしは最後に、そんな言葉を聞いた気がした。
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