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「い、い、いま、いまのなにっ。いまのっ」
「柚子さん。落ちついて」
「落ちついてられないよっ! なんなのここ! どうなってるの!?」
「わからないけれど、まともな場所じゃないことだけは確かね。あんなおばけが出るくらいだもの」
「おばけ……」
「そう。妖怪、もののけ、あやかし、怪異。呼び名はなんでもいいけれど、とにかく、あれってそういうものよね」
そうだ。あれはおばけだ。
単に、人そっくりの顔をした犬というだけじゃない。あれは確かに、人間の言葉をしゃべった。
……じゃあ、なに? わたしたちは、おばけのいる世界に迷いこんじゃったってこと?
そう思ってあたりを見まわすと、そこは、明らかにわたしの知っている理科室とは違っていた。
教卓のあるはずの場所には、大きな、角のある動物の骨格標本が置かれている(牛……かな……?)。窓辺には、ガラスのびんやプラスチックのケースに入った、魚やカエルやニワトリの標本がならんでいて……。
「うえっ」
そのすべてに、あの犬と同じ、赤むけたおじさんの顔がついていた。
頭だけが人間サイズなせいで、バランスが悪いのも同じだ。
針金で固定された大きな頭は、どれも白くにごった目をし、口をだらんと半開きにしていた。
「なに、これ……」
「あらまあ。まるでスフィンクスのなりそこないね」
モネちゃんは、なんだかおもしろがっているふうに言った。
「スフィンクス?」
「知らない? ギリシアの神話に出てくる、顔が人間で体が獅子のおばけ。なぞかけをして、答えられなかった相手を食べてしまうのよ。それにくらべれば、そんな剥製なんておそるるにたりないわ。ほうっておきなさいな」
そんな話をしながら、モネちゃんは例のトランクを開けると、中をごそごそと探しはじめた。
お嬢さまみたいな服装のわりにトランクの中は汚くて、古くさいカンテラだの、銀色のチューブに入った使いかけの絵の具だの、ねじのついたフックの先っぽだの、がらくたともなんともつかないようなものがゴチャゴチャにつまっている。
「……モネちゃんは、怖くないの……?」
「そんなわけないでしょう。でも、ここでおびえて動けなくなってしまったら、こっちを怖がらせようとしているやつらの思うつぼではなくって? 不安なときこそ、積極的に行動すべきだと、あたくしは思うわ。くよくよなやんだところで、どうせ未来のことなんてわからないんだもの」
モネちゃんはそう言って、花のようにほほえむ。
その顔に、わたしは怖さも忘れて見とれてしまった。
「すごいね。わたし、全然そんな前向きに考えられない……」
わたしが言うと、モネちゃんは笑みをくずさずに答える。
「別に、すごくなんてないわ。……それはそうと、いま、いい作戦を思いついたの。まず、食べものかなにかであの犬の気をひくでしょう。そのすきに、あいつのうしろにまわって……」
と、モネちゃんががらくたの山の中から引っぱり出したのは、小さい手にぴったりな細身のハサミだ。
「これで、カギをひもから切りはなす。どう? うまくいきそうでしょう」
正直、そんなにうまくいくかなあ、と思ったけれど、確かに、ただここに隠れているよりはマシかもしれない。
「……だけど、その作戦って、ひとりじゃちょっと難しいよね」
「そうね。食べもので気をひく役とカギを切りはなす役、ふたりいたほうが確実だと思うわ」
「それって、つまり……わたしもやらなきゃダメ、ってこと……?」
わたしの弱々しい問いかけに、モネちゃんはふたたび、心強い笑みをうかべてみせた。
「大丈夫よ。柚子さんのやりたいほうをえらんでかまわないから」
……あの、それってやっぱり、どっちかはやらなきゃダメってことでしょうか。
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