第五階層・人面犬

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 わたしは廊下に立っていた。  手には、封を切ったチューブ入りのチーズ。  今日の給食で残してしまって、ランドセルに放りこんでおいたものだ。  窓からさすオレンジ色の夕陽が、窓わくの形の長い影を、廊下に投げかけている。  早く来てほしいような永遠に来ないでほしいような、複雑な気持ちで待っていると、遠くから、あのチャッチャッという足音が聞こえてきた。  き……来た……。  曲がり角の陰から、黒い毛におおわれたしっぽが見えた。続いて、ぶよぶよの大きな頭を引きずりながら全身が現れる。  そいつはピタリと立ちどまると、光のないガラス玉のような目をぎょろっと動かして、わたしのすがたをとらえた。  しばし無言で見つめあう、わたしとおじさん顔の犬。  ふいに、犬おじさんが動き出した。顔を引きずりながら、ゆっくり近づいてくる。  その動きに合わせて、わたしもゆっくりとあとずさった。  すぐに逃げ出したくなる気持ちを、ぐっとこらえる。  さいわい、犬おじさんの目はチーズに釘づけだ。隠れていた教室からモネちゃんが現れ、そろりそろりと、犬おじさんの引きずるリードのほうへにじりよってゆくのに、まったく気づかない。  よし、もうちょっと……。もうちょっとだけ、注意をひきつけておければ……。  だけどそのとき、犬おじさんがいきなりぱっくり口を開けたかと思うと、チャチャチャチャチャ、と早足になった。  耳までさけた口の中には、異常なほど数の多い歯が、群生したマッシュルームみたいにぎっしり生えている。 「ぎゃあ!」  たまらず、わたしは手にしていたチーズを投げ捨ててしまった。  リノリウムの廊下に落ちたチーズは、よりにもよってモネちゃんのほうへとすべっていく。  チーズを目で追いながら、犬おじさんが頭を軸に回転する。  その視線が、今まさにリードの先からカギを切りとろうとしていたモネちゃんのところで、ぴたりと止まった。 「おぉい!」  犬おじさんがほえた。  けどそれより一瞬早く、モネちゃんはリードの先をハサミで切りとり、カギを手にいれていた。  すぐさま急ターンして、走りだす。  その背中をめがけて、犬おじさんが飛びかかった。  あぶない!!  頭が重すぎるせいか、犬おじさんの最初の攻撃は空ぶりだった。  ゲームキャラが投げるハンマーみたいにぐるんぐるん回転しながら、壁に激突する。  そのすきにモネちゃんは、教室の入り口近くに隠しておいたトランクを拾いあげた。  そこへ二度目の攻撃がくる。 「くっ!」  裂けるほど大きく口を開け、頭を遠心力でたたきつけるようにして、犬おじさんはモネちゃんのトランクにかみついてきた。  モネちゃんと犬とで、トランクの引っぱりあいになる。  助けなきゃ、と思うのに、足が動かない。  そんなわたしの目の前に、モネちゃんが投げた金色のカギが飛んできて、チャリンと音をたてた。 「柚子さん、扉へ走って!」 「えっ……。でも!」 「あたくしもすぐに追いつくわ。扉を開けて、待っていて!」
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