第五階層・人面犬

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 モネちゃんはトランクの上に片ひざを乗せて、どうにか犬をおさえこもうとしている。  わたしは一瞬、迷ったけれど、結局はカギを拾って駆けだした。  記憶をたよりに、さっき通った道をもどる。  リノリウムの床を()上履(うわば)きの音が、世界中にひびくような気がした。  しばらくすると、さっきの階段が見えてきた。  わたしは転がるようにして、牛の頭の南京錠のかかった引き戸のところへたどりつくと、ふるえる指で、カギを錠の穴にさしこんだ。  カチン、と音がして、南京錠が外れた。  引き戸の中にすべりこむ。  扉のむこうには、見なれたつくりの階段がふつうにつづいていた。踊り場で折り返し、さらに下へと伸びている。  戸に手をかけて、モネちゃんを待つ。  ほんの数秒が、何時間にも感じられた。  やがて、廊下のむこうから、タンタンタンタンとはげしい足音が聞こえてきた。  トランクをさげたモネちゃんが、三つ編みをなびかせながら走ってくる。その数メートルうしろを、あの犬が追いかけてきていた。 「閉めてーっ!」  叫びながら、モネちゃんが引き戸のこっち側へ飛びこんでくる。  わたしがたたきつけるように引き戸を閉め、スライド式のカギをかけるのと同時に、反対側から犬が扉にぶつかってきた。  バン、バン!  ガリガリガリガリ。  むこうがわから扉に体当たりしたり、ひっかいたりする音が聞こえる。  そうとうくやしがっているらしい。  そんな物音が、やがてピタリと止まったかと思うと、 「ゆずはしぬ」 「えっ」 「ゆずはしぬ。しぬ。ゆーずーはーしーぬー」  そう言い捨てると、チャチャチャッと遠ざかっていく足音を残しながら、不気味な犬は去っていった。  けれど、わたしの体はこわばったままだ。 「い、いま、わたしの名前……死ぬって……」  助けを求めるようにモネちゃんを見ると、 「気にすることないわ。ただの負け惜しみよ。第一、人間なのだから、いつかは必ず死ぬに決まっているじゃないの」  そんなふうに笑いかけてくれた。  なんだか屁理屈みたいに聞こえたけれど、少しだけ気が楽になって、わたしは、ようやく(かた)の力が抜けた。
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