12人が本棚に入れています
本棚に追加
2.渚
その日、涼は学校帰り、親から頼まれた買い物をしようとスーパーに向かって歩いていた。お使いなんて面倒と思う気持ちもあったけれど、母子家庭である涼の家で母親に足りないのは圧倒的に時間であると涼も感じており、不平不満を漏らすことはできなかった。
ただ雨の日の買い物は憂鬱だ。じっとりと湿り気を含んだスニーカーに辟易しながら歩いていた帰り道、涼はふと足を止めた。
歩道の横に児童公園がある。その児童公園のベンチの前で佇む一人の女子の姿が見えた。
制服からして涼と同じ学校の子か……と観察していて涼は気がついた。
同じクラスの北条渚だった。
そうわかったものの涼は声をかけることをためらった。
それくらい、渚の様子は異様だった。
記録的な大雨になるかもしれない。そう今朝のニュースでも言われていたのに、彼女の手には傘がなかった。
鉛色に沈んだ空からは大粒の雨が地面を穿つかのごとき強さで降り続いており、涼の傘にも雫がばちばちと当たり続けている。
当然、こんな雨の下にいたらびしょ濡れになってしまう。
けれど彼女は濡れることを少しも厭うていなかった。いや、それどころかもっともっと濡れたい!もっと降れ!とでも言いたげに両腕を雨の中へ差し伸べていた。
まるで彫像のように立ち尽くす渚の顔を傘の縁の下からそっと窺い、涼は目を見張る。
彼女は、笑っていた。
どれくらいここにいたのだろう。グレーの制服の上着は色が変わるほどに濡れているし、いつもふわりと肩を覆っている髪も細い肩にただただまとわりついている。
ほんの数分でこうはならない姿だ。
「お前、なにしてんの」
声をかけていいものかやっぱり数秒迷った。でも放ってもおけない。駆け寄って傘を差しかけると、渚はわずかに曇って見える大きな瞳を数度瞬いてから、自分の頭上を覆う傘をうるさそうに片手で押しのけた。
「立岡くんかあ。いいの。放っておいて。私、雨の日にはこうするって決めているから」
答える声がわずかに震えている。雨を見上げる彼女の顔を見返し、涼は瞠目した。
真っ青な顔をしていた。
「そんなこと言ったって! お前、いつからここにいたんだよ? 風邪引くだろうが! ってかもう引いてるんじゃねえの? 送るから……」
「まだ、足りないんだよね」
熱でもあるのだろうか。わずかにろれつの回らない口調で彼女は言い、再び涼が差しかけた傘を退けた。
「こんな程度の熱じゃあ、あの人に会えない」
「は……?!」
「私は会いたいんだあ。だからね、放っておいて」
真っ青な顔でふらふらしながら彼女は雨の中、落ちてくる雫を迎え入れるようにして両手を広げる。
地面を打つ雨粒はひたすらに強くなる。
それでも彼女はそこに立ち続ける。
どれくらいそうしていただろう。
視界すら霞ませそうな雨の中、彼女の体が傾いだ。
思わず抱き止めた涼の耳元で彼女が呟く声が聞こえた。
「やっと、会いにいける、かな」
最初のコメントを投稿しよう!