眠る女

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 「銀子ちゃん、化粧はできた? そろそろ外に出ないと。」  襖越しに、サチさんが私を呼んだ。  私ははっとして、慌てておしろいをはたいた。  「今、行きます。」  急いで部屋を飛び出すと、サチさんは鮮やかなオレンジ色のワンピース姿で壁によりかかり、私を待っていてくれた。  「これじゃあおしろいつけすぎよ。」  苦笑したうつくしいひとの指が、私の顔の上をぐるりと一周する。はたかれて落ちた白い粉が、窓から射す夕日にきらきら光りながら床に舞い落ちた。  「ありがとうございます。」  「いいのよ。随分お化粧うまくなったじゃない。はじめの頃は、どうしようかと思ったけど。」  くすくす笑いながら、サチさんは先に立って歩き出す。  私も思わず苦笑しながら後に続いた。  ここに来たその日に、私に化粧を教えてくれたのは、サチさんだ。不器用な私は、何度も何度もやり直してようやく合格がもらえるだけの化粧ができた。  妙に逞しい眉毛を書いたり、唇を人食い族みたいに塗り立てたり、顔を死人みたいに真っ白にしたり、本当に私の手際はひどかったのだ。  「さ、お仕事お仕事。」  歌うように言って、サチさんが表の戸を出て、客を引き始める。といっても、この一週間見ていたところ、サチさんには馴染みの客がたくさんいて、本当は外に立たなくてもいい身分らしい。  蝉に言われて私の面倒を見るために、外に立ってくれているのだ。  早く、サチさんに面倒をかけない一人前の女郎にならなくては、と、私もせっせと客の袖を引く。  今日は運良く、数人目で客が部屋に上がってくれた。この一週間で、二度か三度上がってくれた客だ。正直名前は覚えていないが、顔には見覚えがある。  うまいこと名前も覚えているようなふりをしなくては、と思うが、さほど心配はしていなかった。20分いくらで私を買う男が、そこまで私に期待をしているとは思えない。  愛想笑いを浮かべながら、男の手を取って部屋へ連れて行く。男の手は、大きくて冷たかった。  紅子の部屋の前を通るとき、一瞬だけ胸が痛んだ。  幼い頃紅子は、私が紅子以外の誰かと手を繋いでいたり、仲がいい素振りを見せると泣く子供だった。今でも紅子にその片鱗が隠されていることは分かっている。私も本当はそうだからだ。  私は泣かなかった。泣かなかったけれど、紅子が私以外の誰かと手を繋いでいたり、仲がいい素振りを見せると、心の中では泣いていた。今でも、あのときの子供は、私の中にいる。  
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