終章 獅子の爪痕、遺された者達 

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終章 獅子の爪痕、遺された者達 

 真っ黒な夜空が、日の光を迎える前の藍色になり始めた頃。一愛さんの話は終わった。  「弔い笛」の起源を知った"私"の目からは、涙が溢れて、無数の筋が頬に出来ていた。  "私"は、まさか眼前の老女が、その大惨事で許婚を失った「災い」の生き証人だとは思っていなかった。  唯、「弔い笛」の起源を知る人。くらいにしか・・・・・・。  一愛さんは更に、どうして村が滅んだのかも、"私"に話して下さった。  ──一夜にして、11人もの村人が亡くなった。・・・・・・と言う出来事は、樹光村近隣の村の村人達と、街の人々を驚かせた。  特に、「都ノ衛兵推薦権」を獲得した旺漣の、その日の内の死は、大衆の関心を大いに引いていた。  だから、樹光村外部の人々は、出来事と旺漣の死の真相を知ろうと、樹光村の村人達との接触を図った。  だけど、余りにも凄惨なあの「災い」に、心に深い傷を負った樹光村の村人達は、固く口を閉ざしていた。だから、他人から「金をやる」と言われても、何も話さなかったと言う。  話題を振られるのを避ける為に、街に商売をしに行くのをやめた村人も居た程だったらしい。  ──だけど7日と経たない内に、「黒獅子襲撃の災い」の真相は、間違った形で人々に広まってしまった。  その偽の真相を人々に最初に語ったのは、「あの日」、告さんに勧められて樹光村に一夜滞在した、近隣の村の青年・・・・・・だろうと思われた。  実は、旺漣達一団が黒獅子に襲撃される前、青年が住む村の数人の村人が、黒獅子の襲撃を受けていたらしい。  そして、村長からの命を受けた青年は、護身用の小刀を懐に忍ばせて、たった1人、樹光村を訪れていたのだった。  青年が樹光村に来た理由は、所謂「注意喚起」の為で、樹光村は青年が訪れた最初の村だったらしい。  だけどその青年は、夜が明ける前には、客人用の家屋から姿を消していたと言うのだ。朝、告さんの後輩が様子を見に行くと、室内は蛻の空になっていたと言う。  そして床には、青年の村の、伝統的な模様が施された小刀が落ちていたらしい。  ──青年の村からは、幸い、死者は出なかった。  だけど、鬼神となった黒獅子の襲撃によって、体の一部が不自由になってしまった人や、精神を病んでしまった人が出てしまったらしい。  ・・・・・・青年は、「あの夜」の樹光村での一部始終を、見たのだろう。  ──外から伝わって来る、只ならぬ気配に気付いた青年は、家屋を出て、広場へと向かった。そして、何処からか見ていたのだろう眼前の惨状に戦いて、己の村へ逃げる様に帰って行った。それも、大事な小刀を置き忘れてしまう程に、正気を失くして・・・・・・──。  "私"のこんな想像を、50年前、樹光村の村人の誰かもしていたかも知れない。  帰還した青年の話を聞いた村人達は、樹光村の愚か者がしでかした事の、とんだとばっちりを受けたのだと認識した。  そして、その復讐をする為に、悪しき噂を近隣の村や街に流したのだった。  ──「都ノ衛兵推薦権」を獲得し、己の力を傲った旺漣が、己の武勇を試そうと、「神の使い」である獅子に挑み、「災い」の引き金を引いた。そして、その周囲に居た人々も巻き添えとなった──。  "私"にそれを話す時、一愛さんは、両手で衣の生地を強く握り締めて、悔しさを絞り出す様に言った。  聞いた"私"は、思わず息を呑んだ。噂は、余りにも事実と違っていた。  無念の死を遂げた旺漣が不名誉な立場に回されて、侮辱された事に、一愛さんは心にどれ程深い傷を負っただろうか・・・・・・。一愛さんは当時、それを知った時の悔しさを、今も背負って生きているのだ。  愛する人を失った時の傷が、まだ癒えていない頃の出来事だ。  ──当時、周囲から羨望の眼差しを向けられていた旺漣は、それと同時に、心無い人々からは、嫉妬と反感を買われていたらしい。  その為に、そんな人々の尽力もあって、事実にかすりもしない悪しき噂は、瞬く間に世間に広まってしまった。  それは、「旺漣が黒獅子と対峙する頃には、既に負傷者が出ていた」と言う、青年の村の村人達が知っている筈の事実を隠して・・・・・・。  そして言う迄も無く、獅子の「災い」の引き金を引いたのは、旺漣ではなく、ザンガだ。  ──街の人々には、獅子が「神の使い」であると言う認識が無かった。「富と力の象徴」と言う認識は、富豪達の間だけだ。  だけど、噂を流した人達は5つの村で、獅子は「神の使い」として認識されている事を説明した。そしてだからこそ、その「獅子に手を出す」と言う事が、どれ程愚かで穢らわしく、恐ろしい事なのか・・・・・・。と言うのを、根気強く丁寧に語っていたらしい。  前述した通り、黒獅子の襲撃を受けたのは、旺漣達一団だけではなかった。  だけど死者も出ず、負傷者の数も少なかった青年の村の事は、全くと言って良い程、世間には知られていなかったそうだ。  ──こうして旺漣は、樹光村近隣の村からは「神殺しを図った愚かな武人」と言う汚名を着せられた。そして街からは、「自惚れの強い武人」と呼ばれ、嘲られたのだった。  ・・・・・・それを聞いた"私"の脳裏に、ザンガの事が浮かんだ。  顔も知らない、会った事も無い、その憎ったらしい男を、"私"は強く断罪したいと思った。  告さんが片腕を斬り落としたと、一愛さんから聴いたけれど、それだけでは足りないと思った。何故ならザンガは、自分が犯した大罪を、旺漣が代わりに被ってくれた事に、喜んでいたのではないのか? ・・・・・・と、"私"は考えたからだ。  その時、"私"の中の怒りの炎が、チリチリと燃えていた。  全ての元凶のザンガ、それに加担したナズ、巻き込まれたレグマ。  この3人がその後どうなったのか、一愛さんは語らなかった。知っていたかも知れないし、もしかしたら、知らなかったかも知れない。・・・・・・でも、それで良いと思った。  どちらにせよ、"私"は尋ねなかった。  ザンガは、片腕を・・・・・・それも、利き腕を失った時点で、人並みの生活を送れなくなった事は想像に難くない。ナズは、花の様な美貌に傷痕を作た。・・・・・・そしてレグマは、きっと、「気の毒」と言う言葉では軽過ぎる程の、自責の念に苛まれた。  ──最愛の人を失った上にその名誉を傷付けられて、深い絶望の淵に立たされた当時の一愛さんには、3人の事何てどうでもよかったのではないかと、"私"は思う。  近隣の村からは、「神殺しに手を染めた村」と呼ばれ、忌避されて、孤立した村人達は、嘲りと侮辱を恐れて、街へ商売をしに行く事を控える様になったらしい。  ──どうせ行った所で、歓迎されない──。  それはもう、分かっていた。  そして、  ──ほとぼりが冷めるのを、待とう──。  それが、樹光村の村人達がした選択だった。    だけど事態は、その後更に悪化してしまった。  「噂は千里を走る」とは、よく言ったものだと思う。  旺漣が生前に成し遂げた快挙は、樹光村から最も近い街から、更に2つの街を越えた旺漣母子の故郷の街に迄、伝わっていたらしい。  旺漣の故郷の街の人々は、その聞き覚えのある名前に直ぐ様反応し、嫌悪感を抱いた。  そして、旺漣の父が犯した罪を知っている街の人々は、旺漣のその快挙を快く思わなかった。  ──その後、その街の人々は都の役人にとある文を送った。そしてその文がきっかけで、旺漣は「都ノ衛兵推薦権」を、剥奪されてしまったのだった。  それは、「旺漣は死亡したから」と言うのが理由ではない。  ──かつて、人を誤殺した衛兵の息子が、都の衛兵となるのは、いかがなものか──。  それが、都の役人が下した判断だったらしい。  「旺漣の父の罪は、当時、正式には問われなかった」・・・・・・と言うのは、どうなんだろうか? そんな事を考えた"私"は、唖然としてしまった。  ──こうして旺漣の名誉は、更に傷付けられて、穢されてしまった。  そしてその噂が、樹光村に近い街と近隣の村に迄伝わると、世間は樹光村に更なる非難の大風を吹かせた。    ──罪人の家族の者を村に迎え入れ、「英雄」と呼んでいたのか!──。  ──穢れた血が流れている分際で、衛兵志願などおこがましいわっ!──。  ──父は「人殺し」、息子は「神殺し」とは、常軌を逸しているな──。  これによって、樹光村は近隣の村に留まらず、遂に街からも交流を絶たれてしまった。  誰にも明かされたくない、唯一の事実により、樹光村の評判は奈落の底迄落ちた。  村人達の主な収入源だった樹光織は、街では「穢れた村の産物」として見られる様になって、全く売れなくなってしまった。  怖ず々ずと街へ商売をしに行った村人が、街の人間から罵声を浴びせられて、暴行を受けた事もあったと言う。    近隣の村と街から冷遇された、樹光村の村人達は、やがて樹光村を捨てて、出て行った。  ある人は、近くの街を越えて、更に遠い街へ。又ある人は、恥を忍んで、親類縁者の居る近隣の村へ。・・・・・・だけど中には、当ても無く、村を出て行った人も居たらしい。  村人の数が、もう以前の半分にも満たなくなった頃、一愛さんの家族も、樹光村からの移住を決めたらしい。  それは一愛さんの話によると、近くの街を越えた、親類縁者が居る村だったと言う。  だけど一愛さんは御両親に反対して、樹光村に留まる事を決意していたのだった。  「・・・・・・父と母の事が、嫌いだった訳ではないのです。唯、どうしても、レンが眠るこの村を、離れたくなかった・・・・・・」  一愛さんは、涙声でそう語った。  そして、続けた。  ──実はその頃、一愛さんの御両親の、旺漣に対する評価は、以前とはガラリと変わっていた。  2人は、黒獅子の襲撃の原因が旺漣ではないと言う事を、知ってはいたけれど、「父が人を誤殺した」と言う旺漣の過去を、快く思っていなかったそうだ。  ──旺漣が死んでいなければ、お前はもう少しで、罪人の家族になっていたのだぞ!──。  一愛さんは父親から、そう言われたらしい。  余りにも無情なその言葉に、一愛さんは再び、堪らない悲しみを味わった。  「父の・・・・・・あの言葉が、今でも許せません。どれだけ、私を思ってくれていたのだとしても・・・・・・。  あの時、レンが私を守ってくれたから、助かったと言うのに・・・・・・!」  言葉に、激しい悔しさと怒りを滲ませた一愛さんの目からは、ボロボロと涙が溢れた。  それは、一愛さんの頬を伝うと、衣の裾を握り締めていた、右手の甲に落ちた。  一愛さんの御両親にとっては、旺漣はもう、その頃には「娘の許婚」や「娘の命の恩人」や、「村最強の武人」などではなくて、「罪人の家族」になってしまっていた。  ──御両親は必死になって、一愛さんを説得しようとしたと言う。  だけど一愛さんは、頑として首を縦には振らなかった。  何としてでも、自分を連れて行こうとする御両親に、一愛さんは遂に、  ──レンの側を、離れたくない!──。  と、叫んだらしい。  この言葉が、終止符となった。  「・・・・・・母は、私の頬を、引っ叩きました」  ──叩かれた衝撃で、床に転がった一愛さんは、母親を見上げた。目を真っ赤にして、鬼の様な形相になった母親は、一愛さんに、  ──育ててやった恩を忘れて、この親不孝者! お前何かもう、好きに生きて好きに死ねば良い!──。  と、泣きながら怒鳴ったそうだ。  「好きに死ねば良い」・・・・・・。実の娘に、そんな事を言った母親の気持ちを、"私"は今でも想像する事が出来ない。  「・・・・・・その時父が、何をしていたのか。どんな表情をしていたのか、私は、覚えていません」  その後、一愛さんの御両親は、たった1人の娘を置いて、樹光村を出て行ったのだった。  ──そこ迄話すと、一愛さんは沈黙した。  少しして、"私"はふと、ある事を思い出した。  百華の事だ。  "私"は、百華はその後どうなったのかを、一愛さんに尋ねた。  「弔い笛の奏者」の異名で国中を放浪している百華が、樹光村から出て行ったのは間違いなかった。  なら、一体いつ出て行ったのか。"私"は、それを知りたかった。  一愛さんはゆっくりと、重い口を開いた。  「・・・・・・百華は、レンが亡くなった2日後に、村を出て行きました」  一愛さんのその言葉に、"私"は驚いた。  親友の死に深く傷付いた筈の百華が、僅か2日で・・・・・・それも、きっと誰よりも早く、村を出て行ったなんて、微塵も想像出来なかった。  今日迄、樹光村に留まっている一愛さんと、親友が眠る場所を、あっさりと捨てた百華。・・・・・・2人は、実に対照的だった。  ──一愛さん曰く、百華の失踪に真っ先に気付いたのは、告さんだったそうだ。  旺漣達死者の葬儀と火葬が終わった、「襲撃」から2日目の夕方。  その日1日、百華の姿を見ていない事に気付いた告さんは、百華の家を訪ねた。そしてその時、百華の不在・・・・・・いや、「失踪」を確認した。  家の中に、人の気配を感じなかった告さんは、戸を抉じ開けて、中へ入って行ったそうだ。  服や物が散乱した家の中に、百華の姿は無くて、笛と共に消えていたらしい。  そして告さんは、机の上に書き置きがあるのを見付けた。  ──一愛さんは"私"に、その実際の書き置きを見せて下さった。告さんが、その日の内に一愛さんに渡してくれたのだと言う。    ──村を出ます。今迄、ありがとございました。    逝きし者達の御加護、あらん事を。  我、君思う。             百華 ──  たったそれだけの書き置きを残して、百華は、誰にも知られる事無く、樹光村を出て行った。  ・・・・・・言う迄も無いと思うけれど、百華は「襲撃」の翌日に控えていた、街の富豪からの演奏依頼を断った。  当時街ではその事に対して、断られた富豪が怒り狂ったと言う噂が流れたらしいのだけれど、その噂は旺漣の死の噂にたちまち掻き消された。  だけど断らなかったにせよ、富豪は、悪い事で噂になっている村の奏者を、迎え入れなかったと、"私"は思う。  何れにせよ、「それ」で良かったんだ。  ──何故百華は、誰にも何も告げずに、短い書き置きだけを残して、村を出て行ったのか・・・・・・。  それは、一愛さんにも、告さんにも、誰にも分からなかった。  そして、百華が失踪した数日後に、あの悪しき噂が流れ出して、半年と経たない内に、樹光村は滅んでしまった。  ──話し終えた一愛さんは、おもむろに立ち上がると、部屋の隅にある箪笥の引き出しから何かを取り出して、戻って来た。  「・・・・・・毎月、同じ日に送られて来るんです」  一愛さんが見せて下さったそれは、和紙で出来た、白い封筒だった。  ──樹光村に、一愛さんしか居なくなって暫く経った頃、一愛さん宛てに、それは届いた。・・・・・・その日は、旺漣の月命日だったらしい。  ずっしりと重い、差出人不明のその封筒を開けて見ると、中から金銭が出て来た。しかもそれは、人1人なら、余裕で養える程の額だったらしい。  それはその後も、一愛さんが言った通り、毎月同じ日に送られて来て、今年でもう50年目になると言う。しかも、50年間、1度も途切れた事が無いと言うから驚きだ。  今、一愛さんの元にその封筒を届けてくれているのは、心根の優しい、街の青年なのだそう。  「とうの昔に滅んだ村に、わざわざ足を運んで下さるのですから、とてもありがたい事です」  そう言いながら、一愛さんは微笑んだ。  一愛さん曰く、その青年は、一愛さんが何故、滅んだ村に留まり続けているのか。何故村は滅んだのか。などを、特に気にはしていないらしい。  "私"なら、絶対に気になると思うけれど・・・・・・。  一愛さんは、少し表情を暗くした。  「・・・・・・このお金を握り締めて、食糧を買おうと、街へ行った時。私は、百華が『弔い笛の奏者』と呼ばれている事を知りました」  道端で立ち話をしていた街の人間が、「弔い笛の百華」の話をしていたのだと言う。  一愛さんはそれに、思わず聞き耳を立てた。  ──旺漣程有名ではなかった百華が、樹光村の出生である事を知る街の人間は、当時、居なくなっていた。そして、今でも居ない。当時も今も、そこそこ腕の立つ笛の奏者なんて、きっと沢山居ただろう。  だからこそ百華は、正体不明の笛の奏者になってしまった。  「旺漣と言う、愚かな武人が居た村」。と言う噂だけを残して、樹光村は滅んだ。樹光村近隣の村の人々も、旺漣だけの印象を濃く記憶に残して、百華の事を忘れていたのだった。  「きっとこのお金は、百華が、あちこちで笛を吹いて、稼いだお金なのだと思います。  ・・・・・・書き置きの字と、この封筒の字は、そっくりですから」  ザラザラとした和紙の封筒を、手で優しく撫でながら、一愛さんは呟いた。  ──今は亡き、旺漣に代わって、百華が一愛さんを支えて、そして一愛さんは、旺漣が眠る墓を守り続けている。・・・・・・そんな日々が、もう、50年も続いているのだ。  そんな、気の遠くなる様な長い年月を思うと、"私"の心は、ズンと重くなった。  一愛さんは封筒を側に置くと、突然、"私"の目を真っ直ぐに見た。一愛さんのその目の奥の光に、"私"は、射抜かれた様な感覚を覚えた。  「・・・・・・百華が、樹光村の生まれである事を明かさないのは、レンを守る為だと思います。百華は、レンの酷い噂を知っているかも知れません。  自分が樹光村の生まれである事を明かせば、誰かが樹光村を探り、「旺漣」に辿り着き兼ねない・・・・・・。そうすれば、レンの名誉は再び穢されます。・・・・・・レンだけではなく、『あの夜』の犠牲者達も・・・・・・。  『弔い笛』の根底には、旺漣達が居ると言う事を、どうか・・・・・・忘れないで下さい!」  一愛さんは、目に涙を浮かべて力強くそう言うと、"私"に深々と頭を下げた。それは、下げすぎて、床に額が付きそうな程だった。  ──その時、外からは鳥のさえずりが聞こえて、太陽が、全ての闇を断つかの様に、東の空に現れ始めていた。  全ての話を聴き終えた"私"は、一愛さんと共に、昼迄仮眠を取った。そして、目を覚まして直ぐ、一愛さんが作った昼餉を御馳走になった。  その後"私"は一愛さんに頼んで、旺漣達犠牲者が眠る墓地に行った。そして墓前に跪き、手を合わせた。  そうして"私"は、村の朽ち果てた門前で、一愛さんにお礼を言うと、一愛さんに見送られて、旧樹光村跡地を後にした。  別れる間際、"私"は一愛さんに抱擁された。  「どうか、お元気で・・・・・・」  耳元で優しく木霊した一愛さんの言葉に、"私"の目から涙が溢れた。  "私"は、一愛さんの背に手を回すと、同じ事を言った。  一愛さんの温かい背は、とても細かった。  "私"は今でも、あの温もりを忘れられない。  何れ橋へと辿り着く林道を歩きながら、"私"は、「弔い笛」の起源の事ばかりを考えていた。  親友の死から生まれた、「弔いの調べ」・・・・・・。  親友が、鬼神と化した獅子の牙に屠られていた時。自分は、何をしていたのか・・・・・・。それを思うと百華は、縁起物の曲何て、吹ける筈がなかったんだ。  「弔い笛しか吹かない」のではない。「弔い笛しか吹けない」のだ。  親友が黒獅子と対峙している時、知らなかったとは言え、呑気に縁起物の曲を吹いていた自分を、百華はきっと、一生許せない。  都に帰れば、"私"にも親友が居る。  "私"は、その親友の事が大好きだ。・・・・・・だからこそ、百華の事を思うと、いたたまれなくなる。  神様がくれたと思っていたかも知れない、唯一無二の親友を、「神の使い」である筈の獅子が奪ったと言う現実に、百華は当時、どれ程の深い悲しみを味わったのだろうか。  しかも、獅子の目的は「補食」ではなく、人間に対する憎悪からの「殺戮」であったと言うから、尚更惨たらしい。  百華にとって縁起物の曲は、最早「呪い」なのかも知れない。  武人、旺漣の死とは対照的に、黒獅子の荒ぶる魂を鎮めた百華の事は、全くと言って良い程、世間には知られていなかった。  だからこそ、「弔い笛」の起源を、外部の人間は知らない。  知っているのは、当時其処に居た樹光村の村人達だけだ。・・・・・・だけどその村人達は、村を捨てて、各地へと散った。  移住先では、生まれを隠していた可能性が高い。  ──"私"はその時ふと、音芸酒場で「樹光村」の名前を口にした、酔っ払いの男の事を思い出した。  男はもしかしたら、樹光村の元村人から、話を聞いたのかも知れない。・・・・・・いや、分からないな、そんな事は。  分かっているのは、「言い伝え」の通り、獅子に手を出した樹光村は、獅子の「災い」を受けて滅んでしまった、と言う事だ。たった1人の、男のせいで・・・・・・。  旺漣達が、西の街へ行く途中で襲撃に遭ったんじゃなくて、帰る途中で襲撃に遭ったのは、知性のある黒獅子が、自分にとって最も有利に動ける様に仕組んだから・・・・・・? もしそうだとしたら、おぞましい。只単に、行く途中で擦れ違わなかっただけかも知れないじゃないか。"私"は、無理矢理そう考える事にした。  "私"は、「いつか百華の様な笛の奏者になりたい」と思っていた過去の自分を、深く恥じた。  最初から、なれる筈何て無かったんだ。  百華が見て来た景色と、"私"が見て来た景色は、明らかに違い過ぎた。それも、度を越えて──。  "私"は今回の旅で、やっとそれに気付く事が出来た。  ──百華は年に1度、村に戻って来ているかも知れません──。  再び墓地へ行った時、一愛さんが教えて下さった。  聞けば、年に1度の命日。一愛さんが朝、墓地に行くと、旺漣の墓前には、花が手向けられていると言う。  ──私がまだ、ここに残っている事を知っているのなら、訪ねて来てくれても良いのにね──。  一愛さんは、旺漣の墓を眺めながら微笑みを浮かべて、少し寂しそうに呟いた。  ──・・・・・・あの花は、百華が手向けたのだと、私は信じています──。    一愛さんは、力強く言った。  50年・・・・・・半世紀前、「黒獅子の災い」によって、その後の人生を狂わされた人々と、滅んだ村の存在を、"私"は知った。  非業の死を遂げて、死後もその名誉を穢された、旺漣。許婚を失い、滅んだ村に留まり、墓守となった一愛さん。そして、「弔い笛の奏者」として生きる宿命を背負わされた、百華。  百華・・・・・・、志半ばで逝った親友の魂を思い、奏で、最後は憎むべき獅子を思い、奏でた、悲しい奏者。  ──どんな気持ちで・・・・・・?──。  "私"は今でも、それを考えている。  「我、君思う」。"私"は、百華が書き置きに記したこの言葉を、何度も頭の中で繰り返した。  「我、君思う」・・・・・・。それは、生者ではなく、死者に向けられた言葉だ。もしこの言葉が、生者に向けられているものだったら、美しい響きを持った言葉だと思う。  だけど、死者に向けられていると分かった途端に、悲しい響きになって聞こえる。  百華はきっと、今でもこの言葉を胸に笛を携えて、「弔いの調べ」を奏でて、国中を放浪しているのだ。  百華が、樹光村の生まれである事を明かさないのは、単純に、辛い過去に触れられたくない。・・・・・・触れたくない、思い出したくない。と言う気持ちがあるからではないのかと、"私"は思う。  ──いつの間にか、森を抜けていた。  かつて百華と旺漣が、夢を語り合ったと言う大河は、日の光をキラキラと反射して穏やかに流れていた。  "私"は橋に足を踏み入れる前、森を振り返った。その瞬間、優しい風が吹いて、髪が揺れた。  百華の笛の調べに包まれて、最期を迎えた獅子は、何処に眠っているのか。・・・・・・それこそ、誰にも分からない。  "私"は、前を向いた。  そして橋を渡って、50年前の「その日」、百華が「弔いの調べ」を響かせた森を後にした。  ──齢70を迎えたであろう百華が、死んだと言う話を、"私"はまだ、耳にしていない。
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