第参章 愚者の引き金 

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第参章 愚者の引き金 

 樹光村には、酒飲みで有名な、ザンガと言う名の男が居た。  ザンガは齢40を過ぎても妻子はおらず、稼いだ金は全て酒に消費していた。  酒を飲むと気性が荒くなるザンガは、誰彼無しに喧嘩を売り、怪我を負わせる事が多かった。  そんなザンガの樹光村での評判は、すこぶる悪く、誰もがザンガを毛嫌いしていた。  ある日、ザンガは街の酒場で、昼間から酒を飲んでいた。しかしこれは、ザンガにとっては日常茶飯事だった。  昼間からでも騒がしい酒場で、酔いに顔を僅かに紅くしたザンガが、器に酒を注いだ時だった。  「そこのお方」  1人の男が、ザンガの隣の席に腰を下ろした。  「ん、俺か?」  ザンガは、酔ってとろんとした目で、男の方を見た。  そして、  「誰だアンタは」  ぶっきら棒に聞き、ザンガは男を警戒した。  ザンガに声を掛けた男は、ザンガの様な下賎な者達が集まる酒場には、似付かわしくない、きちんとした身形をしていた。  「貴方は、樹光村の人間でございますか?」  男はザンガの問い掛けには答えず、ザンガが着ている衣を見て、尋ねた。  「おう、そうだよ。だから何だっつーんだ」  ザンガは、問い掛けを無視された事に若干腹を立てながら、これまたぶっきら棒に答えた。  そして、グイっと酒を飲むと、再び器に酒を注いだ。  ザンガの答えに、男は口元に微かな笑みを浮かべた。  そして、  「お頼みしたい事があるのです」  と、声を潜めながら言った。  「頼み事?」  「はい」  ザンガはその時やっと、僅かではあるが、己の体を男の方に向けた。  「何だよ? ・・・・・・安い仕事もタダ働きも、俺はしねぇぞ」  不機嫌さを露骨に醸し出しながら答えたザンガは、酒が注がれた器を口に付けた。  「成功すれば、この店にある酒樽を全て買える程の報酬を、お渡しします」  男の言葉に、ザンガは思わず、口の中に僅かに残っていた酒を吹き出してしまった。  そして、軽く咳き込むと、  「マジかよ・・・・・・。そりゃありがてぇ。だがよぉ、アンタは一体、何者なんだ?」  口元を拭いながら、男に尋ねた。  ──男は、街の富豪を主な相手に商売をしている、商人だった。  そして、その商売に関する事である依頼をする為に、樹光村の人間に声を掛けたのだと言う。  「何だよ? その依頼って・・・・・・」  怪訝な表情を浮かべたザンガに、商人は再び、口元に微かな笑みを浮かべた。  「獅子の毛皮を、持って来て頂きたいのです」  その言葉に、ザンガは思わず動揺した。  「ハァ? 獅子の毛皮? アンタ、正気か?」  「はい」  即答した商人は、目の奥に怪しげな光を宿し、ザンガに説明した。  ──商人の話によると、樹光村とその近隣の村で「神の使い」とされている獅子は、街の富豪達の間では「富と力の象徴」とされているそうだった。そして、その獅子の毛皮を得る事が、街の富豪達の間で、秘かに競われていたのだった。  商人は当然商売の為、銃を用いる猟師を雇い、「獅子狩り」を依頼するのだが、深い森の中、神出鬼没の獅子を見付けるのは容易い事ではなかった。  それ故に、いつも失敗に終わるのだと言う。  「・・・・・・そこで、獅子が巣くう森に住む、村人の協力が必要だと考えたのです。  この様な事を申し上げるのも何ですが、貴方は村にある伝説を、信じていないのではないですか?」  商人の言葉に、ザンガは鼻を鳴らした。  「あぁ、そうだ。アンタの言う通りよ。『言い伝え』なんざ、下らねぇモンよ。信じた所で何の得も無ぇ。馬鹿を見るだけだ。  ・・・・・・あれは只の迷信だ」  吐き捨てる様に答えると、ザンガは酒を呷った。  商人はザンガの言葉に、今度は露骨に口角を上げた。  「では、協力して下さるのですね」  「あぁ、勿論だ。  アンタ、ついてるよ。実はなぁ、俺は職業柄、銃を使う」  その言葉に、商人の目が煌めいた。  「おぉ、何と・・・・・・。猟師だったのですか?」  「あぁ、そうだ。銃の使いには慣れてる。  それに俺は、ちょっと前に1度だけ、獅子の住みかじゃねぇか・・・・・・って思う場所を、見掛けたんだ」  「おぉ! それは何と・・・・・・」  商人の目は明らかに、驚きと喜びで輝いていた。  それを見たザンガは、得意になって続けた。  「獅子の毛皮は、必ず持って来る。約束する。俺は商売事の約束は、必ず守る男なんだ。  ・・・・・・だけどアンタに1つ、用意して欲しい物がある」  「えぇ、何なりとお申し付け下さい」  商人は口角を上げたまま、ザンガに頭を垂れた。  ──獅子の毛皮を得られるのなら、どんな手段でも使う──。それが、商人の揺るがぬ意志だった。  「ハァ? 獅子狩り?」  村に帰還したザンガから、商人の話を聞かされた旺漣が、素っ頓狂な声を上げた。  ──ザンガが来る前、旺漣は広場で、村の男子達に越刀の指南をしていた。しかし指南が終わり、男子達が居なくなったのを確認したザンガは、1人鍛練に励んでいた旺漣に、例の話を持ち掛けたのだった。  「そうだよ、旺漣。成功すれば、腰が抜ける様な報酬を得られる。・・・・・・アンタみたいな武人なら、獅子の喉を切り裂く事くらい、朝飯前だろ?   もしもの時の為に、ちょ~っと手を貸してくれるだけで良いんだ。協力してくれるんなら、それなりの分け前をやるからよ」  「・・・・・・」  ザンガからの誘いに、旺漣は何も答えなかった。  唯、振り上げていた越刀を静かに下ろすと、軽蔑の色を滲ませた目で、ザンガを睨んでいたのだった。  旺漣のそんな目は、ザンガの癇に障った。  「何だよ・・・・・・。アンタは、村の下らねぇ迷信を信じてんのか? 俺はなぁ、親切に金儲けの話を持って来てやって・・・・・・!」  段々と声を荒らげたザンガだったが、その瞬間、目にも止まらぬ速さで、越刀の刃を眉間ギリギリに突き付けられた。  「・・・・・・っ!」  怯んだザンガは、思わず後退りをした。  その刃は、鍛練用の木の刃だったが、気合いを入れれば、肉を斬れそうな程の殺気をまとっていた。  「俺はなぁ、2日後の大演武に出るんだよ。そこで優勝する為にも、鍛練に励まないといけねぇ。  ・・・・・・『言い伝え』を信じる信じねぇ云々の前に、そんな下らねぇ事に付き合ってる暇は、無ぇんだよ!」  旺漣は目を吊り上げ、ザンガに怒鳴った。その時、旺漣には「オニワコ」の気配が漂っていた。  その余りの迫力に、ザンガは息を呑んだ。  そして、  「つまらねぇ奴が・・・・・・」  と、吐き捨てる様に呟くと、旺漣に背を向け、歩き去って行った。  旺漣は軽く舌打ちをすると、再び鍛練に励んだ。  ──久々の休日に、百華は村の中を気ままに散歩していた。  無邪気に遊ぶ子供達に目を向けたり。足を止めて空を仰いだり。道端に咲く花を愛でたり。鳥の鳴き声に耳を傾けたり・・・・・・。  そうして心を安らげる事は、即興演奏の為にも必要な事だった。感性を磨けば磨く程、即興曲が美しくなる。  百華は、そう信じていた。  ──百華が、村人が居ない所迄来た時だった。  「よう、ヒメワコ!」  突然、悪意が込められた口調で、忌まわしいあだ名を呼ばれた。  声がした方を反射的に振り向くと、嘲笑を浮かべたザンガが、やや遠くに居た。  「ザンガさん・・・・・・」  ザンガの姿を捉えた百華は、露骨な嫌悪感を抱いて、その名を呟い た。  村では評判がすこぶる悪く、己の事をしつこく「ヒメワコ」と呼ぶザンガの事が、百華は大の苦手だった。・・・・・・と言うより、嫌いだった。  しかし、百華がザンガを嫌っている理由は、それだけではなかった。ザンガが百華に声を掛ける目的は、いつも同じだった。  ザンガはニヤニヤと笑いながら、百華に歩み寄って来た。  「噂で聞いたぜぇ。最近、がっぽり稼いだんだってなぁ。いや~、流石っ! 笛の名人様は、羨ましいよ」  「いいえ・・・・・・」  馬鹿にする様におだてるザンガに、百華は目も合わさず、無愛想に答えた。  「へー、そうなのか。最近、街の金持ちんトコで笛を吹いて、たんまり金を貰って来たって、小耳に挟んだんだけどなぁ」  「只の噂ですよ」  百華は、ザンガと決して目を合わせなかった。  しかしザンガは、百華のそんな態度に気付いていながらも、お構い無しに続けた。  「そんな笛の名人様に、頼み事がある!」  百華の近く迄来たザンガは、百華の肩に、己の腕を強引に掛けた。  「──っ!」  その瞬間、百華の顔に緊張の色が走った。  「少しで良いんだ。金を借してくれよ」  百華の耳元で、ザンガは一切の悪びれも無く、ヘラヘラと囁いた。  ──ザンガの、百華に対するそんな絡みは、1度や2度ではなかった。  ザンガは、「百華が街の富豪の家で稼いで来た」と言う噂を耳にする度、百華に絡みに来ていたのだった。  しかし百華は、1度としてザンガに金を貸した事は無い。それでもザンガは、百華にしつこく絡んで来ていた。  「唯貸すのが嫌なら、街に一緒に飲みに行こう!   な? そうすれば俺もアンタも、楽しいじゃねぇか。俺、良い店知ってるぞ。俺が笛の名人様に、酒の飲み方を教えてやるよ」  そう言うとザンガは、悪意の光が宿った目で、「へへっ」と笑った。  しかし、  「僕は、お酒が得意ではありません」  言いながら百華は、ザンガの体を強く押し、己の体から離した。そして、やっとザンガと目を合わせた。  「僕は、貴方の友人でも縁者でもありません。なので、お金を貸す義理は、全くありませんし、貸す気もありません。これからもずっと・・・・・・。  もう2度と、僕に関わらないで下さい!」  内心、僅かに怯えながらも、百華はきっぱりとザンガに言った。  しかしその瞬間、ザンガは怒りに目を吊り上げた。  「・・・・・・んだよ。周りから『名人』って呼ばれて、図に乗ってんのか?」  ザンガは百華に詰め寄ると、百華の胸倉を掴み、乱暴に引き寄せた。  「うっ・・・・・・!」  「イキがってんじゃねぇよ! 笛を吹くしか能の無ぇ、ヒメワコの餓鬼が! 大体、テメェなんざ・・・・・・」  ザンガが、百華に罵声を吐き散らかしている、その時だった。  ビュッと風を切る音共に、一筋の光が、向かい合った百華とザンガの顔の、僅かな隙間を走った。・・・・・・それは、銀色の刃だった。  「!」  本物の切れ味を抱いた越刀の刃が、2人の近くに生えていた木に、ドッと音を立て、勢い良く突き刺さった。  「あ・・・・・・?」  突然の出来事に、ザンガは百華から手を離し、ワナワナと地面に尻餅をついた。  一方、ザンガの手から解放された百華は、思わず口を半開きにし、体を硬直させて突っ立っていた。  ──これは・・・・・・──。  木に刺さっている越刀には、見覚えがあった。  その時、  「ワリィ、ワリィ」  遠くから聞き覚えのある声がして、百華は声のする方を振り向いた。  視線の先には、薄ら笑いを浮かべた旺漣が、正しく越刀が飛んで来た方角に立っていた。  旺漣は、ゆっくりとこちらに歩み寄って来た。  「大演武は、ガチの越刀で勝負する事を思い出してよぉ・・・・・・。気が変わってそれで鍛練してたら、手を滑らせちまった。本当に申し訳無い。  いや、わざとじゃねぇよ。本当、本当。  俺もまだまだ、未熟者だな」  「旺漣・・・・・・」  百華は、額に冷や汗を浮べながら、近付いて来る旺漣を見ていた。  やがて、ヨロヨロと立ち上がったザンガは、  「人殺しがぁっ!」  と、旺漣に向かって叫ぶと、何処かへと走り去って行った。  「・・・・・・人を殺したのは、親父の方だっつーの」  「いや、そう言う意味じゃ・・・・・・」  「分かってるよ」  百華の所迄来た旺漣は、木に深く突き刺さっている越刀を、あっさりと抜いた。  「また、たかられてたのか?」  「うん、本当にしつこいよ・・・・・・」  百華は暗い表情で答えた。  ──旺漣は、百華がザンガにたかられている所を、何度か目にした事があった。それに一愛からも、「百華がたかられている」と言う話を聞いた事があった。  しかしいつも、百華1人であしらえていた為、余り深入りする必要は無いとだろうと、旺漣は考えていた。  しかし今回の様に、胸倉を掴んで迫って来たのは、初めての事だった。  百華が、ザンガにたかられている正にその時、旺漣は、少し離れた場所で、本物の越刀での鍛練に励んでいた。村人達に危険が及ばない様にする為、旺漣は広場から場所を変えていたのだ。  そしてザンガの罵声に気付き、その光景を見兼ねた旺漣は、百華とザンガの近くに生えていた木に、狙いを定めたのだった。  「今日は、旺漣のお蔭で助かったよ。寿命が縮むくらい、びっくりしたけど・・・・・・」  「悪かった」  旺漣は、百華の肩に肘を置いた。  「ビャク、アイツには気を付けろよ。俺もさっき、下らねぇ話を聞かされたんだ」  「え、何? それ・・・・・・」  百華は怪訝な表情で旺漣を見た。旺漣は、何やら険しい表情をしている様に見えた。しかし、直ぐにその表情を緩めると、溜め息を吐き、  「何でも無ぇよ。詳しく話す程でもねぇ、本当にくっだらない、馬鹿げた話だ」  と言いながら、置いていた肘をどかし、その手で百華の背中を軽く叩いた。  「あ、そうなんだ・・・・・・」  百華は、それ以上は尋ねなかった。  ──成功する訳がねぇよ。獅子は、神出鬼没の生き物だ。上手くいくか・・・・・・。自惚れやがって──。  旺漣は、ザンガの愚案に対し、心の中で溜め息を吐いていた。  ──その頃空には、太陽を避けるかの様に泳いでいる、雲の大群が出来ていた。  ──ザンガは憤りに目を血走らせながら、狂った様に走り続けていた。  ──クソッタレめ、俺を馬鹿にしやがって! 何が「村一番の武人」だ! 何が「笛の名人」だ! 両方、只の「片親の余所者」と、「孤児のヒメワコ」だろうが! 図に乗ってんじゃねぇよ!──。  自宅に到着したザンガは、急いで「ある物」を手にした。そしてそれを背負うと、再び外へ走り出した。  それは、上空の雲の波がその厚みと大きさを徐々に増していき、遂に太陽を孕んだ時だった。  ──林道から外れた、日光の弱い、薄暗い森の中。  ザンガは1人の女と、1人の小太りの男を連れ、道無き道を進んでいた。ザンガはその時、茶色い布に包まれた、細長い「何か」を背負っていた。  「ねぇ、ザンガ。この先に本当に獅子が居るのかい?」  ザンガの直ぐ隣を歩く女が、親しげにザンガに尋ねた。小太りの男は、その2人の直ぐ後ろを歩いていた。  「あぁ、間違い無ぇ。今でもよく覚えてる。もう直ぐだ・・・・・・」  森の中をぎこち無く進む女と男に対し、ザンガは、実に慣れた足取りで進んでいた。  ──ザンガは、猪専門の猟師だった。  猟銃を使い仕留めた猪の肉と毛皮は、街では高値で売れる為、1度仕事をしてしまえば、暫くの間は金に困る事は無い。故にザンガは、昼間からでも酒を飲める程に、日頃時間を持て余しているのだった。  ザンガは腕の良い猟師だったが、元来の素行の悪さの方が村では目立っていた。その為、例えザンガが狩猟に成功しても、それを褒め称える村人は居なかったし、猪肉のお零れを貰いたがる者も居なかった。  ──ザンガが獅子の住みかを見付けたと言うのも、そんな時だった。  ある日ザンガは、いつもの様に林道から外れた森の中で猪を探していた。  そしてその時偶然、遠方にある茂みの中で、大きな体を横にして眠っている獅子を見たのだった。  「ナズ、もしこの仕事に成功したらよぉ、今迄飲んだ事の無ぇ上等な酒、飲ましてやるよ」  ザンガは、自信に満ちた表情で言った。  その言葉に、「ナズ」と呼ばれた女は、歓声を上げてザンガに抱き付いた。  ──ナズは、ザンガと同じ樹光村の人間で、ザンガの酒飲み仲間だった。  そんなナズは花の様な美貌の持ち主で、その美貌は、樹光村の外でも評判だった。  しかし、その美貌とは対照的に、ナズの性格は尊大で、言動には棘があった。己が美貌を鼻に掛け、男女構わず他人の容姿を嗤い、それを偶の暇潰しにしていたのだった。  当然、そんなナズを友人とする村の女は、誰1人として居なかった。  ナズは齢30を目前に控えても、独り身だった。  それはナズにとっては、全くの予想外の出来事だった。  確かにナズは、秀でた美貌の持ち主だった。しかし、尊大で歪んだ性格が仇となり、村の男達は、誰もナズを嫁に貰いたがらなかった。  かつて、己の周りに集まって来ていた男達は皆、ナズを「友人」や「知り合い」としか見ていなかったのだ。  ナズはそれを、大分後になってから知った。  ──遠い村、若しくは街の立派な男が、いつか自分を貰いに来てくれる──。藁にもすがる思いで描いていたそんな夢物語も、叶う気配無く散った。  早ければ齢16で嫁に行く者も居ると言うのに、己は未だに独り身・・・・・・。それは、幼い頃から蝶よ花よと育てられて来たナズにとっては、堪え難い屈辱であった。  秘かに目を付けていた旺漣は、あっさりと一愛を許嫁にした。  そしてナズは、遂に独り身のまま、齢30を迎えてしまったのだった。  その頃、村の同世代の女達には子供が生まれていた。  ──そんなナズを嫁に貰ったのが、ナズとザンガの直ぐ後ろを歩く小太りの男、レグマだった。  レグマはナズと同様、婚期を逃した男だった。  レグマは穏やかで真面目な性格をしていたが、少し間の抜けた節がある男だった。その為、村でのレグマの評判はどっち付かずだった。  更に、小太りで頼り無さげな風貌が難点となっていた為、村の女達は、誰もレグマの所へ嫁に行きたがらなかった。  ──ナズとレグマに夫婦の契りを結ばせたのは、2人の両親達だった。それは勿論、相手が欲しいのに出来ない利害関係が一致した故の、結果だった。  レグマとの縁談を両親から持ち掛けられた時、ナズは怒り狂い、「あんな男の嫁は嫌だ」、「恥ずかしい」と、両親に激しく抗議した。  しかしナズの両親は、「真面な女(むすめ)が、いつ迄も独り身である事の方が恥ずかしい!」と、娘の我がままを一蹴したのだった。  一方レグマも、美しいが村での評判が良い方ではないナズとの縁談を嫌がった。しかし、両親からの頼みを断り切れず、渋々ナズに縁談を持ち掛けていたのだった。  ──そうして2人は、夫婦となった。  「花の様な美貌の女」と、「冴えない小太りの男」が婚期を逃した末に結ばれた。と言うのは、村の心無い者達の間では、この上無い嗤い話となった。  微塵も想像していなかった、堪え難い屈辱を受ける羽目になったナズは、夫となったレグマに毎日辛く当たり、一切の愛情を抱かなかった。  百華程ではないにしろ、気弱なレグマは、ナズに対して何もやり返せず、己に我慢を強いる日々を送っていた。  ナズは、レグマが街で木の実や薬草を売って稼いだ金を、容赦無く奪い取ると、たった1人で街へ赴き、酒場で酒を飲んでいた。  そしてナズは、入り浸る様になった酒場で、ザンガと知り合った。  元々、小さな村で2人が知り合わなかった事自体が、ほぼ奇跡の様なものだった。  ザンガとナズの仲が懇ろになっても、レグマは何も出来なかった。レグマは己に辛く当たるナズを恐れ、腫れ物に触る様に接していた。  そんなレグマは、村の人々からは同情を買われ、ザンガとナズは、軽蔑を買われていた。  ──そして今回、ザンガは2人に「獅子狩り」の話を持ち掛け、同行させたのだった。  「獅子狩り」の話に直ぐに飛び付いたナズとは反対に、レグマは全く乗り気ではなかった。しかし、レグマはナズの機嫌を損ねない様にする為に、仕方無く同行したのだった。  ──灰色の雲が空を覆い尽くし、森に届く光を更に奪っていった時だった。  「確か、この辺だったんだが・・・・・・」  呟きながら、ザンガは足を止め、周囲を見渡した。  当に林道から大きく外れた森の中は、不気味な気配を漂わせていた。遠くから聞こえる烏の鋭い鳴き声は、まるで「人間が踏み入れて良い場所ではない!」と、警告しているかの様だった。  「間違えたの?」  ナズが呆れた声で尋ねた。  しかしザンガは答えず、右を見たり左を見たり、挙げ句の果てには、空を見上げていた。  その時、  「なぁ・・・・・・」  ずっと黙っていたレグマが、小さく声を上げた。  「あ?」  声に苛立ちを隠す事無く、ザンガが振り向いた。ナズは、レグマを睨み付けた。  「・・・・・・やっぱり、やめた方が良いと思うんだ。『獅子狩り』なんて・・・・・・」  2人から向けられる威圧感溢れる視線に怯えながも、レグマは本音を漏らした。  「ハァ? アンタ、今更何言ってんの?」  ナズが恐ろしい剣幕で、レグマに迫った。  レグマは一瞬怯んだが、意を決して続けた。  「『言い伝え』があるだろ? 村に災いが起こったら、どうするんだよ?」  『言い伝え』と言う言葉が、ザンガの逆鱗に触れた。  ザンガは、背負っていた「物」を手に持つと、それでレグマの頭を強かに打った。  「うぁっ・・・・・・!」  レグマは呻き声を上げながら、尻餅をついた。  布に包まれた状態で殴られたのにも関わらず、当たった所は、ズキズキと痛んだ。  痛む所を手で押さえると、僅かに血の感触がした。  「下らねぇ『言い伝え』なんざ守って、大金を逃す間抜けが居るかぁ!」  ザンガは、痛みに顔を歪めているレグマに怒鳴り散らした。  ナズは、己の夫を傷付け、声を荒らげるザンガを制しようとはしなかった。寧ろ、冷たい目でレグマを見下していた。  「しかし、もし獅子が・・・・・・」  言いながら、レグマが立ち上がり掛けた時だった。  カサカサ、ザッ・・・・・・と、3人の背後で、草木が擦れる音がした。  振り返ると、遠方の、やや斜面になった茂みから、透ける様に白い美しい毛並みをしたメスの獅子が、ゆっくりと顔を出していた。  「・・・・・・!」  驚いた3人は、直ぐに身を屈めると、近くの草村の影に身を潜めた。  前方のメスの獅子は、茂みから全身を出すと、大きく伸びをし、次に欠伸をした。  「あれが、獅子・・・・・・。初めて見た」  ナズが驚嘆に声を震わせながら、呟いた。  「本当に、ここに居たのね」  「な、俺の言った通りだろ?」  ザンガも声を潜め、得意になって言った。  「・・・・・・!」  レグマは、声も無く驚いていた。  ──あんなに美しい生き物を、見た事が無い──。  レグマの目に映る、純白の巨体をした獅子は、正に村の「言い伝え」の通り、「神の使い」であった。  「よし」  ザンガは、手にしていた「物」の布を剥ぎ取った。茶色の布に包まれていたのは、「猟銃」だった。  しかし、  「何だい? その猟銃。村の銃使いが持ってる奴とは、ちょっと形が違うねぇ」  ナズが、怪訝な表情で言った。  確かに、ザンガが手にしている猟銃は、素人目でも分かる程に、何処かおかしな形をしていた。素人目でも、ぼんやりと分かる。ある筈の部品が無く、持ち手は角張った形をしている。  「これはなぁ、俺が話した商人が『獅子狩り』の為に用意してくれた、近代の銃だ。西洋渡来のモンで、いつも俺が使ってる奴とは違って、5発迄なら連続で撃つ事が出来る」  ザンガは不敵な笑みを浮かべ、自慢げに語った。  「凄いじゃないか!」  「しっ!」   思わず声を上げたナズを、ザンガが素早く制した。  「最近、手持ちの銃の調子が何か悪かったから、『新しいのを用意してくれないか?』って頼んだら、何とびっくり。違う意味で『新しい』のを貸してくれたんだよ」  言いながらザンガは、撃つ準備を始めた。  レグマは、ザンガが手にしているその銃を、恐る々る見詰めていた。  ──あんなに美しい獅子を、本当に撃つのか? これで・・・・・・──。  レグマは、息絶えるメスの獅子の姿を想像し、恐怖で泣きそうになった。鉱石よりも美しく輝く、獅子の神聖な体が血で紅く染まる瞬間を、レグマは見たくなかったのだ。  レグマはふと、メスの獅子に視線を移した。  メスの獅子は鼻をヒクヒクと動かし、まるで何かを探っているかの様に、空気中のニオイを嗅いでいた。  「・・・・・・!」  それを見ていたレグマは、ある事に気付いた。  その直ぐ後、ザンガがメスの獅子に銃口を向けた。  「アンタ、それを使った事あんのかい?」  やや不安げに、ナズが尋ねた。  「いや、今日が初めてだ」  「!」  あっさりと答えたザンガに、ナズもレグマも驚愕した。  「アンタ、大丈夫なのかい? 慣れてないモンを扱うなんて・・・・・・」  取り乱したナズが、不安の色を隠す事無く、ザンガに詰め寄った。  そんなナズに、ザンガは軽く舌打ちをすると、  「心配要らねぇよ。俺が何年、この仕事をやってると思ってんだ!」  と、怒気を含めた声で言い、ナズを睨んだ。  「・・・・・・」  ザンガに初めて睨まれたナズは、押し黙った。  周囲を見渡しているメスの獅子に、ザンガは狙いを定めた。そして、引き金に指を掛けた、・・・・・・その時だった。  「待ってくれ!」  レグマが、大声にならない程度で、ザンガに声を掛けた。  「何だよ?」  ザンガは苛立ちを露わにし、再びレグマを睨み付けた。  「あのメスは、子を孕んでいるかも知れない」  レグマに言われ、2人はメスの獅子をじっくりと見た。  確かにレグマの言う通り、メスの獅子は子を孕んでいるのか、腹部が膨れていた。  しかし、  「だから何だよ?」  ザンガはレグマに視線を戻すと、冷たく言い放った。  「だから・・・・・・」  ──見逃してやってくれないか?──と言う言葉を、レグマは口にはせず、目でザンガに訴えた。  しかし、  「子を孕んでるっつー事は、動きが鈍くなってるって事じゃねぇのか? それは俺達にとっちゃ、好都合だ。  それに商人から、『獅子の肝は薬にもなるから、高値で売れる』って聞いてる。なら、孕んでたら孕んでた分、肝を得られるっつー事じゃねぇか。尚更好都合だ」  大金に目が眩んでいるザンガには、レグマの訴えが届かなかった。  ──尋常じゃない──。  そう思ったレグマの背中を、冷や汗が伝った。  ザンガはメスの獅子に視線を戻すと、素早く銃を構え、再び狙いを定めた。  そして、遂に引き金を引いた。  しかしその瞬間、  「やめろっ!」  レグマがザンガに飛び掛かった。その為、銃弾の本来の軌道がずれた。  薄暗い森に、割れる様な銃声が響いた。  銃弾は、ザンガが狙いを定めていた急所から外れ、メスの獅子の左前足に命中した。  オオォォォオッ!  メスの獅子は叫び声と共に、左前肢から崩れ落ちた。  撃たれた箇所から飛び散った鮮血は、周囲の植物に、雨の様に付着した。  「何しやがんだ!」  体の上に覆い被さったレグマを払い退け、ザンガが怒鳴り声を上げた。  「うっ・・・・・・!」  払い退けられた瞬間、地面に体を強打したレグマは、痛みで動けなくなった。  「アンタ、ザンガの邪魔をするんじゃないよ!」  追い討ちを掛ける様に、ナズがレグマに無情な言葉を浴びせた。  呼吸を荒くしたメスの獅子は、小さく唸りながら、痛みに堪えていた。  ザンガは、そんなメスの獅子に再び銃口を向けると、引き金を引いた。けたたましい銃声が響き、銃弾は命中こそしなかったが、メスの獅子の腰部をかすめた。  オオォッ!  メスの獅子は再び、悲痛な叫び声を上げた。白い体毛は、更に紅く染まってしまった。  何処かおかしなザンガの行動に、ナズは慌てた。  「ちょっとザンガ、あんなに傷付けて・・・・・・。売り物になるのかい?」  「うるせぇ!」  ナズの言葉に堰が切れた様に、ザンガは声を荒らげ、目を恐ろしく吊り上げた。  ナズの目に映ったザンガは、明らかに正気を失っていた。  ザンガは肩で呼吸をし、額からは幾つもの冷や汗が浮かんでいた。そして何故か、銃を両手で強く握り締めていたのだった。  ──ザンガはその時、商人があっさりと貸した西洋渡来の猟銃の威力に、戦いていたのだった。  使い慣れた猟銃よりも、大きな銃声。引き金を引いた瞬間の、腕に伝わった反動。ザンガはその衝撃に堪えられず、撃つ度に体を僅かにのけ反らせていた。  近代の猟銃の、その威力と危険性を思い知らされたザンガは、無意識の内に恐れを抱いていたのだ。  その時、  ウオオォォオーッ!  周囲の木々を震わせるかの様な獣の咆哮が、森に走った。  メスの獅子の、背後の森の斜面。オスの獅子が、恐ろしい形相で牙を剥き出しにし、3人に突進して来ていたのだった。  「うわぁっ!」  「キャーッ!」  「あぁ・・・・・・っ!」  3人は、悲鳴を上げた。  そんな事をしている間にも、オスの獅子は直ぐ目前迄迫って来ていた。  ザンガは情けない声を上げ、恐怖に体を震わせながらも、オスの獅子に銃口を向けた。そして、無我夢中で引き金を引いた。  銃声は、オスの獅子の咆哮と重なった。  銃弾はオスの獅子の右前肢の付け根をかすめた。  負傷したオスの獅子は、一瞬で速力を奪われ、地面に崩れ落ちた。  ウウゥゥ・・・・・・。  オスの獅子は、低く呻いた。  「ザンガ、アンタ凄いじゃないか!」  己達から、目と鼻の先で倒れたオスの獅子を見て、ナズが歓声を上げた。  レグマは、逃げようとして転んだ時の体勢のまま、驚愕に目を見開いていた。そして、痛みに歯を食い縛るオスの獅子と、ザンガとナズを、交互に見ていた。  「・・・・・・ザンガ?」  ナズが覗き込んだザンガの顔には、さっきとは違う恐怖の色が、張り付いていた。  「あ・・・・・・」  何かに気付いたレグマが、小さく声を発した。  それに気付いたザンガとナズが、レグマに振り返った。そして、レグマの視線の先にあるものを見た。  「!」  負傷したメスの獅子が、3人達とオスの獅子に背を向け、ふらついた足取りで僅かな斜面を登り、森の奥へ消えようとしていたのだ。  「逃がすか・・・・・・」  ザンガはまるで、メスの獅子に何か怨みを抱いているかの様な形相になると、銃口を向けた。  そして、  「ザンガ!」  ナズの声を無視し、引き金を引いたのだった。  ──無情な銃声が、森に響いた。  銃弾は、メスの獅子の背中の中心に命中した。  ウオオォォォォオオ・・・・・・ッ!  1発目と2発目の時よりも酷い、メスの獅子の血を吐くような叫び声が、草木を震わせた。  その声が、倒れていたオスの獅子を覚醒させた。  オスの獅子は、傷の痛みに堪え、立ち上がった。  「あ・・・・・・」  ザンガとナズの体に、再び恐怖が走った。  グルルルッ・・・・・・!  オスの獅子は、牙を剥き出しにし、怒りに満ちた眼を2人に向けた。  「ザンガ・・・・・・」  真っ青な顔になったナズが、震えた声で、すがり付く様に呟いた。  オスの獅子が、僅かに体勢を低くした。  それを見たザンガは、舌打ちをすると、大慌てで銃口をオスの獅子に向けた。・・・・・・が、遅かった。    ウオオォッ!  オスの獅子は、目にも止まらぬ速さでザンガに飛び掛かった。そして、その固く鋭い牙で、いとも簡単に猟銃の先端を噛み砕いたのだった。  「うわぁっ!」  飛び掛かれた拍子に、ザンガは無様に尻餅を付いた。  手にしていた猟銃の残骸は、周囲に散らばった。  悲鳴を上げたナズは、木の根に足を取られ、派手に転倒した。  オスの獅子は、口に含んだ猟銃の破片を吐き出した。  グルルゥッ・・・・・・!  地面に転がり、完全に隙を見せているザンガに、オスの獅子は狙いを定めた。  しかしその時、  オオォォ・・・・・・。  オスの獅子の背後から、メスの獅子の、弱々しい鳴き声が聞こえた。  振り返ったオスの獅子は、何とザンガを無視し、メスの獅子の元へと駆けて行ったのだった。  「今の内だ・・・・・・」  ザンガとナズは、その隙に逃げ出した。  ──レグマは、とっくに逃げ出していた。  「ちょっとザンガ、何やってんのよ! メスを殺(や)るよりも、手前に居たオスの方が・・・・・・」  ──逃げた先の安全な場所で、ナズが声を荒らげ、背を向けているザンガを詰っている時だった。  「うるせぇ黙れっ、クソ女がぁ!」  狂った様に叫んだザンガが、懐に隠していた小刀を取り出した。それは、毛皮を剥ぐ為の小刀だった。  ザンガは、刃を素早く鞘から抜くと、何と感情に任せ、ナズの右頬を斬り付けたのだった。  ──ナズの悲鳴が消えて行く森に、ポツポツと雨が降り出し始めた。  ──ザンガ達が獅子を襲撃した場所から、最も近い村では、夕刻、村人達が何やら怪訝な表情で話をしていた。  ──なぁ・・・・・・、昼過ぎくらいに、銃声が聞こえなかったか?──。  ──また誰かが、猪や鹿でも、狩りに行ってたんじゃねぇのか?──。  ──何か・・・・・・、獣の叫び声も聞こえた様な──。  ──山犬か狐じゃねぇか?──。  ──・・・・・・あんな、鳴き声だったかな?──。  ──まぁ銃声何て、珍しいモンじゃねぇさ──。  ザンガ達が獅子を襲撃した場所は、樹光村からは、かなり離れていた。  雨の降る夜。  オスの獅子は雨粒に打たれながらも、傷付いたメスの獅子に寄り添い、傷を舐め続けていた。  メスの獅子の呼吸は、徐々に浅く、遅くなっていた。  傷口から溢れ続ける血は、雨粒と混ざり、大地に流れ続けていた。  ──樹光村。  昼に門番から文を受け取った百華は、家の座布団に座り、小さな灯を頼りに文に目を通していた。  「街の南側にある家・・・・・・。演奏依頼か」  独り言を呟きながら、更に文に目を通していった、その時だった。  「あ・・・・・・」  百華は、文末に書かれていた内容を読み、思わず絶句してしまった。  ──夜明けと共に、雨が上がった朝。  草木や枝葉に付着した雨粒が、暁の光に照らされて輝く、森の奥。  徐々に払われていく霧の中で、メスの獅子は、絶命したのだった。  ザンガが最後に放った銃弾が、致命傷となっていた。    オォォ・・・・・・、オオオォォォオ・・・・・・!  オスの獅子の、悲愴に満ちた咆哮が、低く、弱く、雨上がりの森に響き、やがて虚しく消えて行った。    ※作中、ザンガが日頃使っていたと言う、猟銃は、「火縄銃」の様な物を想像して頂ければ、幸いです。そして、商人から借りたと言う猟銃は、「ブローニング銃」と言う銃を、モデルにしています。ブローニング銃は、散弾銃ですが、この世界では、「5発連続で射撃が可能な銃」と言う機能だけで、登場させています。散弾銃ではありません。
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