序章 先帝の葬儀 

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序章 先帝の葬儀 

 "私"が物心ついた頃、先代の王が死んだ。  "私"はその日母から、普段では着ない様な黒い服を着させられると、父と共に、家族3人で家を出た。  何処へ向かって歩いているのか、分からなかった。  「その場所」に向かっている途中、"私"がずっと気になっていたのは、道行く沢山の人、皆黒い服を着ていて、皆同じ方向へ歩いていて、皆暗い表情をしていた・・・・・・と言う事だ。  歩いている途中、"私"は父と母に、何処へ向かっているのか尋ねたけれど、父も母も、ぼんやりとした言葉を使い、詳しくは教えてくれなかった。  ──やがて"私"達家族は、オウゾクのジインと言う所に辿り着いた。オウゾクの偉大さと、その権威を知らしめるかの様な、そのジインの立派な造りは、子供ながらに感心したのを、うっすらと覚えている。  ジインには、黒い服に悲しそうな表情をした人達が、沢山集まっていた。 そんな、今迄一度も見た事が無い光景に、当時幼かた"私"は、薄気味悪さを感じていた。  ──あの日の出来事が一体何だったのか、今なら分かる。  都に住んでいる"私"達家族は、あの日、先帝の葬儀に参列する為に、皇族専用の寺院に向かっていたのだ。黒い服は、只単に、喪服だった。  寺院の門を潜って境内へ入ると、"私"達家族は、本殿の方へと向かって歩いた。けれど本殿前には、既に沢山の人が居たので、"私"達家族は、比較的門に近い場所で立つ事になった。  本殿正面には、葬儀の為だけの祭壇が設けられていた。祭壇の最も高い所には、白い棺が置かれていて、その直ぐ下の段。左右1列に置かれた、控え目な絢爛さを放った10個程の椅子には、皇族の人間達が座っていた。  大きな寺院の広い境内が、沢山の人で埋め尽くされた頃、皇族の仕者の号令が響いて、葬儀が始まった。  現帝は、棺の直ぐ下の段の中央に立つと、長々と悼辞を述べた。  当時幼かった"私"は、現帝のその悼辞を、何一つ覚えていない。  呪文の様な、現帝の悼辞を聞いている内に、"私"は徐々に睡魔に襲われ始めて、必死にそれと戦っていた。  暫くすると、そんな"私"に気付いた父が、やれやれと言った感じで、静かに"私"を背負ってくれた。けれど母に注意されたので、父に背負われても、"私"は眠らなかった。  唯ぼんやりと、現帝の悼辞を聞き流していた。  ──朧気な記憶の中で、唯一、はっきりとした輪郭を持った記憶がある。  現帝は悼辞を述べ終えると、自席に戻った。  その後、現国王がさっき迄立っていた場所に、1人の男が立って、境内の人々を冷めた目で見下ろした。・・・・・・男の右手には、一尺よりやや短いくらいの、横笛が握られていた。  今にして思えば、50代後半くらいに見えた男の、その表情は、王族を含めて、境内に居た誰よりも暗かった。うっすら日焼けした肌に、冷たい光を放っている瞳には、確かな悲しみの色が浮かんでいたけれど、それは、死んだ先帝を思っての、色ではなかった様に見えた。  男は大層立派な喪服を着ていた。  けれどそれは、自分から進んで着たと言うよりも、誰かから無理矢理着せさせられた・・・・・・と言う感じが醸し出されていた。何と言うか、所謂・・・・・・「着こなし感」が無かったのだ。  綺麗に整えられた髪は、きっと普段は、適当に撫で付けられているのだろうと、今ならそう思う。  男が祭壇に現れた時、周囲の人々に緊張が走ったのを、"私"は感じた。"私"には、それが堪らなく不思議だった。  "私"の周囲に居た大人達は皆、恐れにも尊敬にも似た眼差しを、その男に向けていた。それは父も母も、例外ではなかった。  男は軽く手短に、呟く様に挨拶をすると、笛の唄口を唇に当てて、吹く構えをした。  ──笛の音が、低く、柔らかく、境内に響いた。  曲の所々に、僅かな高音を織り交ぜながら、その旋律は紡ぎ出されていた。 それは聴いているだけで、胸が締め付けられる様な気持ちを抱かせる、悲しい音色だった。  そしてそれはまるで、何かの物語を語っている様だった。  ──何かを追い掛ける。だけど届かない。そしてそれは、どんどん遠くなっていき、遂に消えてしまった。  それが悲しくて堪らない。  消えてしまった、「それ」の後を追う様に、笛の音が響く──。  気付けば、"私"の頬を一筋の涙が伝っていた。何故だか分からなかった。  友人は疎か、知人でも家族でもない先代の国王の死なんて、露程も悲しい筈がないのに・・・・・・。でも笛の音を聴いている内に、何故か「悲しい」と言う気持ちが込み上げて来た。そしてそれが、一筋の涙になって、頬を伝っていたのだった。  "私"は、一筋の涙で済んだけれど、周囲を見渡してみると、大粒の涙をボロボロと流している人も居た。  人目も憚らず、声を上げて泣く人も、次第に現れ始めた。  背筋を伸ばして椅子に座り、笛の旋律を聴いていた現帝も、口を一文字にして、両目から静かに涙を流していた。その表情に、恥じらいの影は無かった。  "私"の両親も泣いていた。  気付いた時には、笛の旋律は変わっていた。  深い悲しみを帯びた音色から、徐々に光を見出だすかの様な音色へと、ゆっくりと進化し始めていたのだ。   それはまるで、傷付き苦しむ誰かに、優しく寄り添う様な音色で、美しい旋律だった。・・・・・・いや、違う。穢れ切った心を浄化して、天に帰す様な、壮大で・・・・・・、だけど、何処かに哀れみを含んでいる様にも感じられた。   ・・・・・・いや、これも違うかな。  あの頃より確実に歳を取って、沢山の言葉を知った今でも、あの旋律を言葉で上手く表現するのは難しい。  ──逝ってしまった魂を、「まだ行くな」と追い掛ける。だけど届かなくて、追い掛けるのをやめた。尚追い掛けるのを諦めて、その代わりに笛の音を響かせて、その魂が、行くべき場所へちゃんと行ける様に導く。  そして遺された人達に、これ以上の苦しみを与えない様に、弱くとも、確かな光を呼びながら・・・・・・──。  それが、当時幼かった"私"が、「見えた様な気がした」笛の音の景色だった。  ──笛の演奏の後は、何も覚えていない。  気付いたら家に帰って来ていて、知らない間に夜を迎えていた。  盛大な葬儀が終わって数日が経っても、"私"は、今迄聴いた事の無い笛の音色と旋律を、忘れる事が出来なかった。  ある日の夜、"私"は父に、先帝の葬儀で笛を吹いていた男の事について、尋ねた。父は、幼い"私"でも分かる様に、難しい表現を避けて教えてくれた。  ──笛の奏者の男の名前は、百華(びゃっか)。年齢、出生地、共に不詳。  謎の多い人物ではあるけれど、確かな実力を持った笛の名人であり、「弔い笛の奏者」と言う異名で、人々に知られている。・・・・・・と、父は話してくれた。  この時"私"は、「トムライブエ」と言う種類の笛があるのだと、勘違いしていた。大分後になってから、百華が吹く笛だけが、そう呼ばれているのだと知った。  百華の話を聞いたその直後、"私"は父に、「トムライブエを習いたい」と言った。  父は一瞬、驚いた表情を見せたけれど、了承してくれた。  ──その時"私"に見せた、父の複雑な表情を、今でも忘れる事が出来ない。 「トムライ」と言う言葉の意味も、「死」と言うものも、碌に理解していない幼子が、そんな事を言ったものだから、きっと、少し悲しい気持ちになったのかも知れない。  父は翌日、都にある笛の教場に、"私"を連れて行ってくれた。  稽古の様子を父と共に見学していた時、"私"は、妙な違和感を感じていた。  百華の様な笛とは、何だか雰囲気が違かったのだ。けれど、それを上手く言葉で表す事が出来なくて、"私"は父に何も伝えられなかった。  少し不安な気持ちを抱きながらも、同じ「横笛」と言う事で、"私"はその日の内に入門した。  ──百華が吹いていたのと、同じ音色で、同じ旋律を奏でたい──。  当時の"私"の胸中は、その思いで一杯だった。  だけど、1年、3年、5年・・・・・・めげる事無く稽古に励み続けて、遂に10年。地道に腕を磨いて、それなりの笛の奏者になっていた"私"だったけれど、依然として、百華の様な笛を吹く事が出来なかった。  「何かが違う」。いつも、そう感じていた。  ・・・・・・"私"は、それが堪らなく悔しかった。  百華の笛を目標にして、笛の世界の扉を叩いたと言うのに、全く追い付かない・・・・・・。それ所か、吹けば吹く程、百華の笛が分からなくなっていった。  何を思えば、何を知れば、何が見えれば、あの音色で、あの旋律を紡ぎ出せるのか、全く分からなかった。  "私"は、もどかしさに泣いた事もあった。  ──何故百華は、「弔い笛の奏者」と呼ばれているのか?──。  "私"はいつも、こんな疑問を抱いていた。  「弔い笛」と言う笛は、存在しない。だけど百華が吹く笛は、人々からそう呼ばれている。"私"は、その謎を知りたかった。  だけど百華自身が本当に、謎の多い人物だった。  笛の世界では知らない者は居ないと言われる程、著名なのだけれど、その素性を知っている者は居なかった。  "私"の笛の師も、噂程度の話しか知らなかった。師の話によると、百華は縁起物の曲や祭囃子は、絶対に吹かないらしい。それは、例え相手がどれ程高貴な身分で、どれ程の報酬をちらつかせようとも、断固として・・・・・・。  この話は、有名らしい。  それは、"私"の好奇心を強烈にくすぐった。不思議で堪らなかった。  たった1度だけれど、百華の演奏を聴いた事がある"私"は、百華が、どれ程腕の立つ奏者であるのかを知っていた。幼かったあの時より、分かっていた。  百華は、人の心を揺さぶる事の出来る、笛の名人だ。  そんな百華が、縁起物の曲や祭囃子を吹けば、笛の奏者としての名を、更に轟かせる事が出来る筈・・・・・・。なのに吹かないから、「弔い笛の奏者」と言う、何処か物騒な異名が付けられた。  ──余談だけれど、"私"の師は、弟子の1人も持たずに国中を放浪している百華の事を、何処か下に見ている気配があった。それでも百華の実力は、認めている様だった。  "私"は、百華の「弔い笛」の起源を、独自に調べてみる事にした。  同じ流派の別の教場の師範に尋ねてみたり、別の流派の師範に尋ねてみたり・・・・・・。その内"私"は、俗に言う「音芸(おんげい)酒場」にも、足を運ぶ様になった。   音芸酒場とは、音楽を愛する人々が集う酒場の事だ。  音楽の道を歩む人。歩もうとする人。唯、音楽が好きなだけの人。腕の立つ者が居ないか、探りに来る人。と、実に様々な人々が居た。  酒場の中には小さな舞台があって、腕試しに人前で演奏する事も出来たし、更には、舞を披露する事も出来た。  音楽の友や仲間を求めて、そこに集う人々から、"私"は百華の事を聞いて回っていた。  ・・・・・・だけど残念な事に、結果はいつも、虚しいものばかりだった。信憑性の低過ぎる話、明らかな作り話、人を困惑させるだけの噂、等々・・・・・・。  調べれば調べる程、「百華」と言う笛の奏者の素性が、謎に包まれていった。    そんな"私"に、「弔い笛」の調査をしていられなくなる時期が、来てしまった。  当時18歳になっていた"私"は、両親から、笛を趣味に留まらせて、手に職をつけるか、さっさと縁談を組んで嫁ぐかと言う、何れかの人生の選択を迫られていた。  当然、"私"は困惑した。  当時の"私"の最優先事項は、生業でも縁談でもなくて、「弔い笛」の起源を知る事だったからだ。"私"は、諦め切れてはいなかった。  だけどそれを、両親に話す気にはなれなかった。「謎めいた笛の音の起源を知りたい」と言う、"私"の気持ちの理解を、得られる気がしなかったのだ。  次第に"私"は、「調査の為だけ」に偶に訪れていた音芸酒場に、入り浸る様になった。家に居辛くなり、居場所を探して辿り着いた果てが、そこだったのだ。   音芸酒場で"私"は、調査中、これ迄1滴も飲まなかった酒を飲む様になった。  百華の素性を知る事が出来ない・・・・・・。「弔い笛」の起源に辿り着けない、苛立ちともどかしさに任せて、限界迄飲んだ。  今思い返せば、完全な自棄酒だった。  両親はそんな"私"に、次第に手を焼く様になった。  ──そんな日々を過ごしていたある日、"私"は、百華に関する有力な情報を、思いもよらない形で掴む事が出来た。しかもそれは、音芸酒場で。  その夜、大したお小遣いを持っていなかった"私"は、酒を注文する事が出来なかった。酒類は、他の飲み物より若干値段が高い。そこで"私"は、調査中によく飲んでいた、果実の絞り汁(安価)を、1人で飲んでいた。  当然だけれど、全く酔う事が出来ない。  だけどその日は、それが幸いした。  「なぁ、『弔い笛の百華』って、知ってるか?」  突然背後から、酔った男の声が聞こえた。  その時、"私"が居る背後の席で、3人の男が、百華の話題を肴にして、酒を飲んでいたのだ。3人の内の1人は、全く酔っていなくて、残りの酔っ払った2人が、酔っていない男に絡む様にして、話をしていた。  「あぁ・・・・・・、謎の多い笛の名人な」  酔っていない男が、しっかりとした口調で答えた。  「縁起物の曲や祭囃子は、絶対に吹かねぇ。悲哀に満ちた、自作の曲しか・・・・・・。 気味ワリィって、言う奴も居るみたいだがな。・・・・・・で、その百華がどうしたんだよ?」   「何でも百華はなぁ、あのジュコウ村の出身なんじゃねぇか・・・・・・って、噂を聞いたんだよ」   酔っ払った男が、だらしのない口調で答えた。  「ジュコウ村?」  酔っていない男が、聞き返した。  「お! 俺知ってるぞ、その村」   もう1人の酔っ払いの男が、話に加わった。  「・・・・・・確か、大分昔に無くなったんじゃなかったか? 何でも、『災い』が起こったって・・・・・・」  「『災い』? 何だよ、それ」  酔っていない男が、溜め息を吐く様に聞き返した。  「さぁな。腐る程ある村の内の1つに過ぎなかったらしいから。・・・・・・だけどよぉ、村にとんでもねぇ『災い』が起こって、人が村を捨てて、次々と出て行っちまって・・・・・・。んで、何十年以上も前に、地図上から名前を消した・・・・・・って。  俺が知ってんのは、こんな噂だ」   容器が持ち上げられ、液体が喉を下る音がした。  「へー、そんなに詳しく・・・・・・。俺が知ってる噂より、具体的じゃねぇか」  もう1人の酔っ払いの男が、感心する様に言った。その後、大きな溜め息が聞こえた。  「だが噂だろ? 信用出来るものじゃない」  酔っていない男が、呆れた様にピシャリと言った。  その言葉に、詳しく話した酔っ払いの男が反応した。   「そうだよなー。でも、もしこの噂が本当だったらよぉ、百華は『災い』が起こって滅んだ、碌でもねぇ村出身の名人っつー事だ!」  酔っ払いの男2人の大きな笑い声が、"私"の背後で響いた。  「お前ら、飲み過ぎだぞ」   続いて、酔っていない男の、窘める声が聞こえた。  ・・・・・・もしこの時、"私"が酔っていたら、2人の話を聞き逃していたかも知れない。  2人の噂話は、"私"が今迄聞いて来たどんな噂話よりも、信憑性がある様に思えた。「ジュコウ村」と言う具体的な地名を聞いたのは、その日が初めてだった。  "私"は、酒場の人間に代金を払うと、直ぐに家に帰った。  帰っている途中、頭上で輝く星々が、希望の光の様に見えた。  翌日"私"は、家から少し離れた場所にある文庫に足を運んだ。そして片っ端から、古い地図を探した。  10年、20年、30年前・・・・・・。昼時に文庫に入って、夕暮れになる頃に、遂に見付けた。  今から丁度、50年。・・・・・・半世紀前の地図に記されていた、「樹光村」の文字。だけどそれは、翌年の地図にはもう無くなっていた。  当然"私"は、樹光村の跡地に行きたいと思った。  だけどそれには、大きな問題があった。  "私"は毎晩、酔いの限界迄飲む事にお小遣いを使っていた。その為、"私"の手元の小お遣いは、その頃にはもう底を尽き掛けていた。   "私"が住んでいる場所から樹光村迄は、相当な距離があった。計算してみると、道中に馬を使ったとしても、到着するのに6日は掛かる事が分かった。当然、宿にも泊まらなければならない。  馬車代や宿泊費などの旅の予算を考えると、どうしてもお金が足りなかった。  "私"は、身から出た錆に激しく後悔した。何故、あんなお金の使い方をしてしまったのか・・・・・・と。  だけど"私"はそこで、樹光村に行く事を諦めたくはなかった。  ──ある晩、"私"は父と話をした。  "私"は先ず、音芸酒場に入り浸って、自堕落な生活を送っていた事を詫びた。そして次に、入り浸る前の、酒場に通い始めた当初の目的を打ち明けた。 少しでも理解して貰える様に、必死で説明した。  そして最後に額衝いて、お金を貸して欲しい旨を伝えた。  "私"はその時、父から激しい怒りを買うだろうと腹を括っていた。頬を平手打ちされて、「馬鹿娘」と罵倒されて、更に長々と説教されるだろうと・・・・・・。  だけど父は、そうしなかった。  額衝いたままの状態の"私"の頭上で、大きな溜め息が聞こえた。顔を上げると、父は、呆れたと言わんばかりの表情を浮かべていた。  父の背後で、"私"の話を聞いていた母は、苦笑していた。  どうやら2人は、"私"が何故酒場通いを始めたのか、ずっと分からなくて苦悶していたらしい。それで理由が分かって、拍子抜けしてしまったのだと、後で教えてくれた。  父は"私"に、断酒をする事と、旅からの帰還後、縁談を組む事を条件に、旅の金を工面する事を約束してくれた。  ──それから僅か4日後、"私"は旅の荷物を背負って、模写した地図を手にすると、樹光村跡地を目指して家を出た。  それは、空が曙の頃だった。  ──6日間の旅は、過酷そのものだった。  道中、馬車を使う事もあったけれど、移動は基本、徒歩だった。  両親との約束で、夜間は絶対に移動しなかったし、近道でも、その道が危険を孕んだ道だったら、遠回りをしてでも、安全な方を選んだ。そのせいで、予定通り6日で到着出来るかどうか、不安に駆られる時もあったけれど・・・・・・。  何か危険な目に遭った時の為にと渡された懐刀は、幸い出番は無かった。  夕暮れが近付いて、駆け込む様にして宿に入った事もあった。豪雨に打たれながら道を進んだ時は、家がある都迄引き返すか、ちらと考えてしまった。帰りの事を考えると、どうしても弱気になってしまったのだ。  だけど、  ── 「弔い笛」の起源を知りたい── 。  その思いを糧にして、"私"は突き進んだ。  旅の6日目。旧樹光村跡地には、夕方に到着した。  旧樹光村跡地へ行くのには、とある街の道を、必ず通らなければならなかった。  その街を抜けると、森と街を隔てる様に、大河が流れていた。そしてその上には、長く大きな橋が架けられていて、それが、街と森とを繋いでいた。   "私"はその橋を渡り、旧樹光村跡地へと続く林道を歩いた。   村の出入口である木造の門は、とうの昔に朽ち果ててしまっていた。植物の蔓がまとわり付き、苔が生えていた。  その門は、形だけのものだった。  村は、周囲を人工物で囲われている訳ではなくて、大きな木が綺麗に連なって生えていた。だからその気になれば、門を避けて、村の中に侵入する事が出来たけれど、整備された道を使って、正面から村に入るのには、門を潜らなければならなかった。  門のやや前には、無数の道があって、其々が其々の場所へと続いていた。  "私"は門を潜り、村の中へ入って行った。  ──村の中には、かつては人間が住んでいたのだろう、朽ちた家屋が幾つもあった。  半分しか原形を留めていない家屋。村の門の様に、蔓や苔で覆われている家屋が殆どだった。当然だけれど、村の中に人の気配は無かった。  "私"は、村全体をよく観察しながら、更に奥へと進んで行った。    暫くして"私"は、村の墓地に辿り着いた。  墓地は、白い石で周囲を囲われていた。  地面に突き刺さった、細長い木札の様な墓標は独特な形をしていて、そこには、生年月日と没年月日が彫り刻まれていた。そしてその下に、墨で名前が記されていた。  だけどそれらは、永い間風雨に晒されていた為に殆ど腐敗して、刻まれた日付も名前も、余りよく確認出来なかった。  指でなぞれば確認出来たと思うけれど、少しでも触れれば、今にも崩れ落ちそうな墓標に、そんな事をする気にはなれなかった。"私"は単純に、祟りを恐れた。  ──日の位置を確認しようと、西の空に視線を移した時だった。  自分が今居る墓地から、少し離れた場所にもう1つ、墓地がある事に気付いた。  "私"は、そのもう1つの墓地へ向かった。  その墓地には、全部で11の墓があった。  墓標に使われている木は、"私"が最初に居た墓地で使われていた木とは、素材が違ったからなのか、風雨で腐敗している様子が無かった。  だから"私"は、生年月日と没年月日と名前を確認する事が出来た。  ・・・・・・11の墓全ての没年月日は、同じだった。しかも時代は今から、丁度50年前。  "私"はその時、人生で初めて「戦慄」と言うものを覚えた。  ── 50年前、この村に、大量殺人鬼でも出たのだろうか? 酒場で男が言っていた『災い』と言うのは、まさか・・・・・・── 。  そんな、恐ろしい事を考えていた時だった。  「どちら様ですか?」  背後から突然、女性の声がして、"私"は振り向いた。  少し離れた場所に、見慣れない衣を着た、1人の老女が立っていた。老女は怪訝な表情で、"私"の様子を伺っていた。  「・・・・・・お墓に、何をしに来たのですか?」  老女は、怯えた様な表情をしていた。しかし声にははっきりと、警戒と威嚇の気が籠っていた。  "私"は先ず、名乗った。そして次に、都から来た事を明かして、年齢迄も明かした。身分も家族構成も、全て──。"私"は、「自分は決して怪しい者ではない」と言う事を理解して貰おうと、必死だった。  そして最後に、笛を嗜んでいて、百華の「弔い笛」の起源を探って、此処に来た事を伝えた。  百華の名前を口にした時、老女の目が一瞬、大きく見開かれた。そして老女は俯くと、何かを呟いていた。  "私"は、老女が何を呟いたのか、全く聞き取る事が出来なかった。  老女は、ゆっくりと顔を上げると、口元に微かな笑みを浮かべて、"私"を見た。  「わざわざ遠い所から、この村に来て下さったのですね。ありがとうございます。  ・・・・・・私は、この村で墓守をしている、イチエと言う者です。どうぞ、宜しくお願い致します」  そう言うなり、イチエさんは"私"に深々と頭を下げた。  余りにも丁寧なその所作に、"私"は狼狽えてしまった。  そんな"私"に気付かず、イチエさんは頭を上げると、  「もう、日も大分暮れて来ました。直に夜になります。長旅で、さぞお疲れでしょう。宜しければ、私の家にいらして下さい。おもてなし致します」  と言い、さっきより明るい笑みを浮かべた。  "私"は、イチエさんからの御厚意を、受ける事にした。  廃屋しかないと思っていた、旧樹光村跡地には、1軒だけ、真面な家があった。それが、イチエさんの家だった。  その夜"私"は、イチエさんから食事を振る舞って頂けた上、泊まっていく事も許された。  イチエさんの料理の味付けは、"私"の知らないものだったけれど、とても美味しかった。きっと、その土地に伝わる味付けなのだろうと、"私"は思った。  「何がきっかけで、百華を知ったのですか?」  床に就く前に、イチエさんが"私"に、そう尋ねた。  "私"はずっと、「弔い笛」の事について何か知っている事は無いか、イチエさんに聞いてみたかった。だけど、もしイチエさんが何か知っていたら、所謂、「禁句」と言うものに触れるのではないかと、心配していた。  没年月日が同じ墓が、11基もあると言う事は、不気味過ぎる。墓と百華が、何か関係しているかどうかも分からない。「弔い」と言う言葉には、引っ掛かりそうだけれど・・・・・・。  しかし、その「何か知っているかも知れない」イチエさんの方から尋ねて来たので、"私"は素直に話した。  先代の国王の葬儀で、初めて百華の笛を聴いた事。それがきっかけで、自分も笛を始めた事。  百華の様な、笛の奏者を目指していた時期があった事も話した。それを話す事だけは、何だか恥ずかしかったけれど・・・・・・。  「そう・・・・・・なの・・・・・・」  イチエさんはそう呟くと、墓地で会った時の様に、俯いてしまった。微かに見えた表情には、何とも言えない影が差していた。  イチエさんは僅かに顔を上げると、虚ろな目で、手近にある小さな灯を見詰めた。  そして、   「あれから、今年で丁度、50年なのね・・・・・・」  と、悲しそうに呟き、"私"の目を見たのだった。  ・・・・・その時"私"が見たイチエさんの目には、「決意」と「悲哀」が混ざったかの様な色が浮かんでいた。  「・・・・・・貴方は、百華の『弔い笛』の謎を知りたくて、この村にいらっしゃったのですよね?」  確認する様に尋ねたイチエさんの気迫に、"私"は思わずたじろいだけれど、その言葉に深く頷いた。  イチエさんは"私"から視線を外して、再び灯を見詰めると、  「・・・・・・あの日から、丁度50年目のこの年に、人が尋ねて来たと言うのは、何かの御縁かも知れません・・・・・・」  と、暗く呟いた。  イチエさんが言う、「あの日」と言うのが何なのか、"私"には、さっぱり分からなかった。  「弔い笛」の調査中、その言葉に引っ掛かる様な噂を、"私"は聞いた事が無かった。  「・・・・・・百華が、『弔い笛の奏者』と呼ばれるきっかけになったかも知れない出来事を、私は知っています。  いいえ・・・・・・、『かも知れない』と言うよりは、きっと、そうだと思います・・・・・・」   イチエさんのその言葉に、"私"は僅かに驚いた。  うっすら勘付いてはいたけれど、やはり百華は、樹光村出生の人間だったんだ。・・・・・・だけど、イチエさんが「そうだ」と断言した事は、少し予想外だった。  イチエさんは悲しそうな表情で、だけど、目の奥に確固たる決意の灯を宿して、再び"私"の目を見た。  「・・・・・・遠い所から、わざわざ来て下さった貴方に、全てをお話しします。50年前、この村で何が起こったのか・・・・・・。  私がこれから話す事を、他人に話すかどうかは、貴方が決めて下さい」  その言葉を聞いた時、"私"の中に、何故か、「『弔い笛』の起源を知る事が出来る!」・・・・・・と言う喜びが、湧いて来なかった。  寧ろ、「知ってはいけない事を、知ってしまうのか?」と言う、得体の知れない恐怖を、ほんの僅かではあったけれど感じていた。  「とても長いお話になりますが、宜しいでしょうか?」  イチエさんの言葉に、"私"は、「得体の知れない恐怖」を振り払う様に、頷いた。どれだけ長くても、全く構わないと思った。  ・・・・・・だけど、"私"の中の、そんな小さな不安を煽る様に、外では不気味な音をまとった夜風が、絶えず吹いていた。
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