誕生日の言葉

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 一  「これからよろしくね」 青色のワンピースを着た小さな女の子は、こちらに笑いかけると私を撫でた。 「名前をつけてあげなさい」 女の子の父親であろう大きな男が優しく言った。すると女の子は少し考えて言った。 「シロ、シロにするわ」 「女の子だぞ? もう少しかわいい名前に……」 「シロがいいのっ、いいよね?」 女の子は私に笑いかけた。よく分からないが、名前をつけてくれたのが嬉しかった私は、一つ吠えて返事をした。  それから私は、女の子の家のシロになった。  「シロ、お誕生日おめでとうっ」 女の子はそう言うと、私の皿にいい匂いのする肉を入れた。  普段の飯より遥かに豪華だ。本当に食べていいのかと彼女を見上げると、女の子はきょとんとした。 「食べないの?」 「ご馳走だから驚いてるのかもね」 キッチンという場所から、女の子の母親が言った。それを聞くと、彼女は笑って言った。 「そっか……食べていいんだよ。お誕生日は特別なんだよ」 言葉を聞いて安心した私は、そっと食べ始めた。普段の飯より遥かに美味しいと少し感動していると、女の子は笑って言った。 「ハルのおうちに来て、一歳になるんだね」 「フフッ。確かに、シロはうちに来て一年たつけど。シロは五歳だよ?」 「えっ、そうなの?」 女の子、ハルは私を見て両目を大きくした。そして笑って言った。 「ハルと一緒だね」 「そうね」 ハルを見ながら、人間の五歳は幼いのだと思った。私が静かにご馳走を食べ終えると、ハルはすぐ隣に寝転び笑って小さく言った。 「これからもよろしくね、シロ」 ハルは両目を閉じ、眠ってしまった。この先もハルといられるのが嬉しく、私はゆっくり尻尾を振って応えた。  暖かくなった頃、ハルの誕生日のお祝いが行われた。ハルは、両親から何かをもらって嬉しそうに笑っていた。  お祝いが終わると、ハルは私の近くに座った。 「ハルは六歳になったよ。お姉さんなんだよ」 少し胸を張る彼女は相変わらず小さいと思ったが、私はそっと伝えた。 『お誕生日おめでとう。これからもよろしく』 人間のように言葉を話せない代わりに、私は小さく鳴いた。ハルは私の頭を両手で撫でながら、笑って言った。 「ありがと、シロっ」 通じたことに驚いている私をよそに、ハルは私にもたれかかると好きな歌を歌い始めた。 『重たい』 と低く鳴いたが、ハルは私にもたれたまま寝てしまった。さっきのは、ただの偶然だったのだとわかると少し悲しかったが、それでもいいかと、私は大人しくそこで眠った。  二  「行くよ、シロ」 学校という所から帰ってきたハルは、宿題とやらを片付けて玄関へ歩いた。私はゆっくり彼女の元に駆け寄り、立ち止まって頭を下げた。ハルはなれた手つきで私の首輪に長い紐をつけ、共に外に出た。    散歩コースの終盤にある遊具の少ない公園に着くと、ハルは笑ってしゃがんだ。 「シロっ、今日もやるよ」 ハルは首輪につけた紐を外すと、枝で、私のすぐ近くの地面に線を引いた。 「いちについてぇ、よぅい、どんっ」 合図で、私とハルは一直線に走った。歳のためか足が動かなくなった私は、その場に静かに倒れ、遠くなっていくハルの背中を見ていた。  始めの頃から数年は、かけっこは私が勝っていた。ハルは負けると悔しがって泣くから、たまにわざと負けやる程度には、私は足が早かった。しかし、私も歳を取りハルも大きくなった為、全力で走ってもハルには勝てなくなった。私の足が遅くなっても、ハルはかけっこをやめなかった。そして彼女が先にゴールをすると、私が走りきるまで笑って待っていてくれるのだ。  「シロっ」 ゴールしたハルが、私に気づいた。私は彼女の元に行こうと立ち上がったが、足に力が入らず、すぐに倒れてしまった。次第に四肢、全身が痛くなった。ハルの泣き叫ぶ声を聞きながら、私は意識を失った。  気がつくと、私はハルの部屋にいた。周囲を見ると、ハルと彼女の両親の姿があった。 「シロ……ごめんね」 ハルは泣きそうな顔をした。何故謝るのだろうと思っていると、ハルの父親がそっと言った。 「シロも、ハルとかけっこするのが楽しかったのかもしれないな……だから、最後までずっと……」 「そうね……シロは、ハルのことがずっと好きだったからね」 ハルの母親はそう言うと、顔を背けた。少しして、ハルは笑って言った。 「シロ、お誕生日おめでとう……今までありがとね」 私は『違う』と一つ吠えた。声は出なかった。  私の身体だ。死期が近いのは分かっている。しかし、ハルからの誕生日の言葉は、いつものそれが欲しかった。嘘でもいいから。ハルとまた一緒にいられると思いたかった。  少しして、持ち上げられなくなった頭を床に落とすと、ハルが叫んだ。 「シロっ」 ハルには、そんな顔してほしくない。笑っていてほしい。そう思った私は、何とかして右耳を少し動かした。  いつかハルがくれた飾りのついた右耳を動かすと、飾りが揺れた。その度に、ハルは『かわいい』と言って笑うのだ。  『こちらこそ、ありがとね』と伝えられない代わりに、私は飾りを幾度か揺らした。それを見たハルは、涙を拭いて小さく言った。 「ありがと……かわいいよ、シロ」 ハルの笑った顔を見て安心した私は、静かに永い眠りについた。
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