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うちのホテルの社員食堂は素晴らしい。
ホテル内のレストランで出されている物が、ビュッフェで、しかも一食400円で従業員は食べられる。
これだけで、このホテルに就職出来た事を喜んでいい。
それに食堂の中は、まるでラウンジみたいに綺麗で落ち着いていて、大人数が座れる場所、一人で座れる場所など様々、上手い具合にスペースが区切られていて周りの目も声もそれほど気にならない、食堂で暮らしたい位だ。
「桃矢っ!桃矢、 何だよっ!これも食べてくれよっ!」
剣介が悲痛な顔でトレイに『きんぴらごぼう』を三つも乗せて、正方形のテーブルの斜め前に座った。
「きんぴら?」
「これ、俺が作ったんだよ」
嬉しそうに満面の笑みで俺を見る。
剣介は和食レストランの勤務、入社の時の希望通りだったらしく、それはそれは仕事熱心だ。
お客様にはまだ出せないらしい『きんぴらごぼう』が社員食堂に並んでいるだけで喜んでいる剣介を尊敬した。
「何だよ、分かってたら何よりも先にトレイに乗せたよ」
もう一度並んで、『きんぴらごぼう』を取りに行こうとする俺の腕を掴んだ。
「いいよっ!桃矢の気持ちは分かったからいいよ、とりあえず食べて、感想聞かせて」
そう言ってギョロリとした目が、視線が、俺を見て動かない。
これは、美味しいって、言うしかないじゃないかと思いながら、顔を引き攣らせて口にしたけど、
「美味しいっ!」
本当に美味しかった。
「美味しいよっ!これでまだお客様には出せないのか!?」
400円の一部で食べているのなんか、申し訳ない位に美味しかった。
「まだまだ… でもサンキュ、嬉しいよ桃矢にそう言って貰えて、ちょっと自信が付いた」
そう笑う剣介が眩しい。
「お疲れ〜、何? 楽しそうじゃん、二人とも笑顔が眩し過ぎて目がやられる」
淡々と言っているから、冗談にもなってない。
そして、何だかんだ言いながらも、見つけると三人一緒に集まる。
嬉しいような、切ないような複雑な胸中。
「きんぴら、桔平も食う?」
「あ、俺、持ってきたよ」
テーブルに置いた時任のトレイには、きんぴらごぼうが乗っていた。
「俺が作ったんだよ」
「へぇ… 食えんの?」
「ふざけんなよ、桃矢は美味しいって言ってたぞ」
「麻生は揉め事嫌いだから、丸く収めようとしてるんだろ」
「………… 」
揉め事が嫌いって、時任にも気付かれていたのかと、そしてそんな事を言われて黙ってしまったから、剣介の片眉がひん曲がる。
「え? 桃矢、そうなの?」
「…… えっ!? あ、違うよ!本当に美味しいよ、時任も食べてみるといい」
時任に言われた事が胸にチクリとして、一瞬黙ってしまい、我に返り慌てて否定した。
「おっ!まじで美味いっ!お前、やるじゃん」
美味しそうに食べる時任の顔が優しい笑顔になり、思わず見入ってしまう。
「ん?」
俺の方に振り向くから目が合ってしまい、慌てて逸らす。
「…… な、何でもない… 」
忘れるなんて、やっぱり無理かな… このままじゃ…… 。
時任の笑顔に、忘れようと思うそんな心が簡単に揺らいだ。
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