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3.ここ(ストリップ劇場)って、”普通”じゃないの?
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今は地味なアラフォー主婦🍳 𓈒𓂂𓏸
母はストリッパー、父は男優。
そんな昔の話✍️
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こんな事もあって私は劇場の中でも、”悪いことをした子”と思われてるようで居心地が悪い日々だった。
そして母の言った「子供のいていい場所じゃない」という言葉が引っかかっていた。
ここは子供のいちゃいけない場所ということ?
じゃあ他の子供はどうしているの?
そうだ、私の生活の中で、子供を見かける事がない。
・・・何で??
ストリップ劇場で暮らしている時は、昼前に起きて、喫茶店に行く。
喫茶店のモーニングをもそもそと私は食べる。
父はスポーツ新聞を読んだり、マスターと話をしたり。
父も男優として出演していたけど、母の方が出番の支度に時間がかかるし、出かけるのは父と二人が多かった。
日中の出番の合間には公園があれば公園へ。
でもストリップ劇場があるのは繁華街が多いわけで・・・子供の姿は記憶にない。
なのでパチンコに行くことは度々あった。
人のいない公園に行くよりは、パチンコ玉を眺めたり拾ったりする方が楽しかった。
夜、全てのステージが終わってからは銭湯へと急ぐ。
ストリップ劇場は必ずシャワールームがあったけれど、浴槽はなかったからだ。
閉店間際の銭湯には子供はおろか、そもそも人がいない事が多く貸切状態だった。
大阪公演の合間に、両親と海遊館へ出かけたことがある。
私には海の生き物より、他の親子がいる事が物珍しかった。
「昼からは出番だから、お昼を食べたら急いで帰らないと」
と言う母に、無性に苛立った。
ここにいる親子はみんなゆっくり見ていくのに。
あんな退屈なところに帰りたくない。
でも、言い出せなかった。
それはやっぱり、母の事が怖かったからだと思う。
叩かれた記憶は、あのステージ袖の時にしか記憶はないけど、それでもやっぱり怖かった。
自分の気持ちを言い出せないまま、私は一人フラフラと歩き出した。
迷子になりたかった。
その後でどうするかなんて、何も考えずに。
私の中では1時間にも2時間にも思える長い時間だった。
一人で水槽を眺めていると、悲しくなった。
この魚と同じだ。
私も出られない。
自由じゃない。
でも僅かな時間で、両親にあっという間に見つかってしまった。
「ステージに間に合わなかったらどうするの?!」と、当然怒られたし、「ひどい方向音痴ね」と呆れられた。
それでもやっぱり「帰りたくない」とは言い出せないのだった。
でも、大阪の劇場の近くには公園があった。
ある日、父と行くと珍しく子供がいた。
捨て猫がたくさんいて、一緒に眺めた。
人懐っこい笑顔で、よそ者の私にも話しかけてくれたミドリちゃん。
30年以上経っても忘れられない、私の初めての”お友達”だった。
でも、遊ぶ時間は限られている。
父もステージに上がらなければならないのだ。
そして、幼い私にもわかっていた。
私は10日間しか大阪にいられないのだ、という事を。
だから泣いたり、駄々をこねたりはしなかった。
私はきちんと現実を弁えていた。
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