嫌われ王妃の一生 ~ 後妻として王妃になりましたが、王太子を亡き者にして処刑になるのはごめんです。将来の王を導こうと決心しましたが、王太子優秀すぎませんか? 〜

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陛下、陛下! どうして、私を殺そうとなさるのですか!」  多くの民の前にさらされた私は、ここ1週間ほど、水も食料も与えられず、ボロボロになり、最後の力を振り絞った。喉から血を吐くのではないかというほどの激痛に耐え、夫である小国の王へ訴えかける。王は私の方へ見向きもせず一言も発しない。聞こえてくるのは、貴族のヒソヒソと耳障りな声と、王妃である私の処刑のために集まった民たちの騒めき。  何の罪かすらわからず、処刑が覆されることもなく、王の素っ気ない態度に諦めた。零れる涙も枯れ果て、頬に幾筋もの涙の後だけが残る。 「処刑せよ」と無慈悲な王の声。嫁入りからずっと無視をされ続けた心は逆らう気力もなく項垂れる。首置きに嵌った首。落ちた首が入る入れ物には、以前に処刑された人の血が生乾きであったり、こびりついているのが見えた。  そして、私の首は、無慈悲にも胴から離された。  ◆ 「……あら、リーナ。お目覚めかしら?」  懐かしい声が聞こえて目を開けると、見慣れた私の部屋であった。姉姫が私の部屋を訪ねてきていたようで、向かいに座って微笑んでいた。ソファで眠ってしまった私は体を起こす。 「……お姉様」 「どうかして?」  優しい姉の顔を見たら、急に涙が溢れる。さっきまで、見ていたものが、怖い夢だったのか私の未来だったのか。はたまた、経験してきた現実なのか。ただ、今は、姉の顔を見てホッとし、流れた涙を拭う。驚いていた姉が隣に座り、優しく頭を撫でてくれた。 「もぅ、泣き虫ね?」 「すみません」 「いいのよ。こうやって、甘えてもらえるのはあと少しですから」  姉は微笑んでいたが、寂しそうにしている。そう、私は、もうすぐ隣国の小国へ王の後妻として嫁がなくてはならないのだ。  不安もあり、あんな怖い夢を見たのかもしれないと思い、姉に甘える。胸に擦り寄るとゆっくりとした鼓動が不安を拭ってくれるようで心地よい。 「怖い夢を見たの?」 「……はい。嫁いだ先で、処刑されるという夢でした」 「それは! お父様に言って、今回の婚姻を辞めに……」 「いいえ、和平のための婚姻です。大国の姫である私と小国の王弟の交換ですから」 「でも、後妻よ? 親子ほど年の離れた王との結婚より、リーナにはもっと年の近い方との結婚の方がいいと思うわ!」  首を横に振り、姉に寄り添うと心配してくれることがわかる。そのことが何より嬉しく、両親にもこれ以上我儘を言うつもりはない。成人したのだから、いつかはこういう政治的な駒として嫁ぐことは幼いころから教え込まれている。次女だからこそ、余程のことがない限り、覆ることもない。  そんな優しい姉に見送られて、一月後には、婚姻のために隣国へと旅立った。  ◆ 「リリアーナ様、こちらが与えられたお部屋ですか?」  侍女とともに与えられた部屋へメイドに案内をしてもらい向かう。そこは、王妃の部屋ではなく、側室に与えられる部屋であった。大国からの輿入れであれば、好待遇であることがほとんどではあるにも関わらず、質素な部屋を見て、「嫌われているのね?」と呟く。 「抗議してきます!」 「待って、いいのよ。部屋があるだけでいいじゃない」 「でも、ここは……側室の部屋ですよ?」 「それでも、いいのよ」 「いつもなら、怒っていらっしゃるのに、今日はどうかされましたか?」  首を横に振り、休みたいからと部屋を整えてもらった。  私が嫌われているのは、これでわかった。王が、本当に愛しているのは前王妃であって、小娘の私ではないのよ。  あの夢のとおりになるなら、私はいずれ死ぬことになるの……それなら、王にも王太子にも関わらない人生を送りたいわ。  少し休むとベッドに潜り込む。隣国とはいえ長旅。慣れないことをしたうえに、見たこともない王に会う緊張が重なり、疲れてしまった。 「見舞いにもこないのね。私なんて、お呼びではないってことですか?」  怒りもわかないのに、悪態だけはついてみた。目を瞑ると、すぐに夢の中へと入っていく。ふわふわとした夢の中は、優しい姉との思い出であった。 「リリアーナ様、そろそろ起きてください。晩餐に向かいます」 「……えぇ」  優しい時間は、晩餐という行事のせいで、すぐに覚めてしまった。侍女の案内で王との晩餐へ向かうと、卓の上には、三人分の夕食が用意されている。 「こちらでございます」と言われ、私は案内された椅子へと座る。しばらくすると、王太子がやってきた。  確か、私より5つ下だから12歳ね。しっかりした雰囲気。次期国王として、とてもいい表情をしているわ。  私に気づいたのか、眉根を寄せて微妙な表情を一瞬したが、すぐに無表情になる。  王太子にまで、嫌われているのかしら? 何だか、息苦しいわね。  俯いて皿を見ていると、そこへ王がやってくる。当然のように用意された席に座り、初めて会った私を睨んだ。20も年の離れた王は、とても怖い存在に感じる。  震えながら椅子から立ち上がり、挨拶をするために頭を下げた。 「初めまして、陛下。隣国から……」 「挨拶など要らぬ。そなたとは形式上、結婚はするがそれだけだ。夜、通うことはないし、晩餐も今日以外ない。王太子の面倒も見る必要もない。慎ましやかに、離宮で静かに暮らせ。私からは以上だ!」  それだけ言うと立ち上がり、晩餐の場から去っていった王。無情に閉まる扉に、数日前に見た夢を思い出した。 「リリアーナ様」 「いいのよ。わかっていたことじゃない」  侍女に心配され、思わずため息をつこうのしたが、目の前に王太子がいることに気がついて飲み込む。こちらを見てくるので、ニコッと笑いかけ、挨拶をする。 「王太子殿下、私、王妃として、隣国から来ましたリリアーナと申します。お名前を聞いても?」 「王太子の名も知らぬのか? 不敬ではないか?」 「……そうですかね?」  ニコッと笑って誤魔化した。この場合、私の方が立場は上だ。大国の姫であるのだから。形式上、王妃となったのだから。 「王太子殿下、それは……」 「辞めなさい。まだ、デビュタントも終えていないのです。王太子殿下に教える方がいないのでしょう」  侍女が王太子を諌めようとしたがそれを止めた。王太子は侍女を睨みつけ、こちらが何を言おうとしたのか、わからないようだった。  ただ、ニコリと笑い、さらにもう一度、名を聞く。 「ライアーズだ。覚えておけ!」  ふんっと、鼻で笑うライアーズに「ありがとう」というと、食事が運ばれてくる。カチャカチャと無言で食べ終わった後、すぐに席を立った。護衛という名の監視に見張られながら、部屋まで歩いていく。  晩餐のあった会場から、頭の中に流れる映像のようなもの。さっきの挨拶で、気を悪くした私が鞭を持ってくるように侍女に言い、王太子を滅多打ちにしている。薄桃色のドレスは王太子の血が飛び散り、見るも無残な様子。それよりも酷いのは王太子の方で、頬にざっくりと大きな切り傷が出来ただけでなく、30もの打ち叩いた背中は、血まみれで泣き叫んでいる。その声さえも耳障りに感じ、さらにヒールの踵で、王太子の痛ましい背中を踏みにじっている。  さっきから、その光景が頭の中で広がり頭が痛い。食べたものも消化しきれておらず、体がだるくなってきた。  ……事実とは異なるのに、それがさも今行われた現実だともいいたげな光景をみせないでちょうだい。  クラっとして、廊下にしゃがみ込む。侍女が慌てて近寄ってくるが「大丈夫」と押し返したあと、一人で立ち上がる。  今晩は満月が近いからか、とても明るい。見上げると、姉の優しさが降り注いでこないかと期待する。  月を見上げていたが、いつまでここにいても優しい姉の元へは帰れないのだからと自分に言い聞かせ、歩き始める。 「王妃様、そちらは……」と申し訳なさそうに護衛が声をかけてくる。振り向いて護衛を見れば、困った表情を浮かべていた。 「何かあるの?」 「その……陛下のお部屋がありまして……」 「……そう。じゃあ、戻ったほうがいいかしら?」  護衛に軽い感じで問えば、そうして欲しいと懇願された。  別の道へ向かおうとしたとき、少し先の部屋の扉が開く。王太子より小さな子が中から出てきて、その後ろを上質なドレスを着た貴婦人が王に寄り添って出てきた。 「何ですか! 側室を王妃の部屋に置いて、姫様をあのような場所へ? この国は何を考えて!」 「やめなさい。ここは、私の愛した国ではないのですから」  怒り狂う侍女を宥めて、私の部屋へ護衛が案内して戻った。  たくさんのことが起こって、頭がついていかない。未だに頭の中をぐるぐると同じ光景が思い浮かんできて辛くなる。どうしたらいいのかわからず、心が折れそうだ。それでも、涙は流さず、気丈に振る舞うしかない。  ……ここには、私を愛してくれる人はいない。政略結婚でも、もう少しマシだと思っていたけど、そうじゃないのね。  自分の考えが甘かったことを突きつけられて、辛く泣いてしまいたい。皆に下がってもらって、ベッドで一日中、涙したのだった。  ◆  次の日の夕方。気分を変えましょうと、散歩に侍女に誘われ、中庭に向かった。  先客がいたらしく、帰ろうと言ったが、私以上に上のものはいないのだから堂々としてたらいいと叱られる。 「ごきげんよう」  先客は王太子ライアーズだ。こちらを見て、舌打ちしたように聞こえ、耳を疑った。今後、社交界に出れば、その態度は王太子自身の恥となる。さすがに、注意をしようと近づくと、睨んできた。  そんな可愛らしいことしても、無駄よ?  正面に立って王太子の頬にケガがないかそっと確認をし、綺麗な頬を見て安心した。  同じ席に座ると、王太子はさらに嫌そうな顔をして立ち上がる。逃げられるのは困るので、煽ってみた。すると、さっとこっちを睨んできたので、笑いかける。 「逃げるのですか?」 「誰がっ! 王太子は逃げたりしない!」 「なら、こちらにどうぞ」  私が、にこやかに席を指さすと、元々座っていた場所に渋々戻った。納得いかないという表情をしている。私はただにこやかに微笑み、先ほどの舌打ちの話を切り出す。 「どうして舌打ちを?」 「……いいだろ? ここでは、王太子の僕の方が偉いんだ。僕にかなうやつなんていない。あんな弟なんて……」 「弟? 昨日見た子かしら?」  侍女を振り返ると頷いていた。どうやら、王には側室がおり、その側室は王の寵姫だそうだ。その寵姫との間に男の子がいるらしい。寵姫と言っても、私よりずいぶん年上で母親と呼んでもいいくらいの年齢だった。 「なるほど。ライアーズは、父上に構ってもらえなくて寂しいのね?」 「寂しくなんかない! 僕を子ども扱いしないでくれ!」 「そうは言っても、立場上、私はあなたの継母だし、私は社交界デビューも済ませた淑女よ? ライアーズはまだでしょ?」 「……言っている間だ」  拗ねたような表情をしてそっぽを向くので、「そう」と呟き、私は立ち上がる。視線を逸らしていたライアーズをそっと抱きしめた。突然のことで驚きが腕の中から伝わってきた。もちろん、護衛も私の行動に驚いて、剣の柄を握っているが、ただ、抱きしめているだけの私に剣を向けることはできない。ましてや、大国出の私には。  ライアーズは暴れるか嫌がるかで腕を振りほどかれるかと思ったが、大人しく抱きしめられてくれるらしい。そのまま、優しく頭を撫でた。私が両親や姉にしてもらったように。大事なものを大切にするように。 「……何をする?」 「何も。ライアーズも聞いていたではありませんか? 陛下に何もするなと」 「では、これは?」 「私からの労いです。私には到底、貴方のように生きることは出来なかった。だから、頑張ったねと」 「こ、子ども扱いするな!」 「子ども扱いではありません。こうして、人は、誰かに寄り添ってもいいのですよと年長者として、示しているだけですから」  少し体が震えたように思った。しっかりしているように振る舞っても子どもで、心の中は寂しさや不安があるのだろう。  誰にも話せない立場、知られてはいけない感情を小さな体の中で消化しきれていない。背中をポンポンと撫でるように叩くと、たまらず、ライアーズは腕を腰に回してくる。ずっと、堪えていたものがあったのだろう。タガが外れたように涙が溢れてきた。ライアーズが泣き止むまで、抱きしめて「大丈夫」と囁く。  次第に流れるものも無くなったのか、胸元に頬を寄せてきた。ハンカチを差し出すと、受け取って拭っている。  赤い目をみれば、幾分か柔らかい視線となった。さっきまでの感情は、綺麗さっぱり消化できたようだ。 「……ありがとう」 「いいの。私がしたかっただけだから」 「もう、行く……」 「えぇ、勉強の時間もあるのでしょう?」 「一人でだから、その、」  立ち上がってあたふたして、去っていこうと中庭の出入り口まで行ったライアーズ。何かを思い出したように戻ってきた。 「どうかして?」 「……その、リリーと呼んでも?」 「えぇ、もちろんよ!」  パッと笑顔の花が咲いたように嬉しそうに笑った。そのあと、急に寂しそうにする。ライアーズにとって、私を愛称で呼ぶことは、ダメなことくらい知っているのだろう。 「ここだけの秘密ね? それなら、いいと思うの。また、お話しましょう」 「絶対だよ?」 「約束」  小指を立てると、きょとんとしているライアーズに、「約束の証だよ」といえば、同じように小指を立てる。私は絡ませてニコリと笑うと恥ずかしそうにはにかんだ。  そのあとは、また、パタパタとかけていくライアーズを見送った。 「なんだか、少し寂しそうな王太子でしたね?」 「そう思う?」 「えぇ、リリアーナ様からはどう見えましたか?」  侍女を振り返り、「そうねぇ……」と呟いた。 「私には愛に飢えた子に見えたわ。陛下のあのお姿を見たあとだったからかもしれないけど……」  もう誰もいない出入口のほうを見つめる。ここにきてから感じていた孤独感。ライアーズも幼いころから感じていたのではないかと思うと胸がギュと苦しくなる。 「私たちにできることがあればしてあげましょう。ライアーズが将来、この国の王となるのなら、できる限りのことはしてあげたいわ!」 「かしこまりました」と侍女は返事をし、少し、この国の内情……特に陛下とライアーズの周りのことを調べてくれることになった。どうも、気になることが多すぎる……と、侍女も感じたようだ。 「私も部屋に帰りましょう。こちらに来てから、あまりにも常識が通じない日々を過ごしてきけど……今日からは密かな楽しみもできたことですし」  立ち上がり部屋まで行くと、手紙を書いた。お願い事があるの! と、可愛らしく書いてみようと思ったのだ。  ◆  返事が来たのは数日後。父から許しが出たというので、今度は陛下に手紙を書く。  頭の中に流れる光景では、手紙を書いたあの日、この国での恨み言ばかりを詰め込んだ手紙を両親宛に送った。  数日前、実際に書いた内容は全く別物で、この国の現状ではあったが、冷遇されてはいるものの私にもしたいことができたむねをしたためた。今、手にしている手紙は、父からの返信の手紙。王太子に教育係をつけたいという願いを叶えてくれるものだった。 「さしでがましいことは承知しておりますが、王太子ライアーズとお茶会をしたく、ご許可をいただきとうございます。  あと、国元から侍女を一人欲しいのですが、呼び寄せてもよろしいでしょうか。よしなに……」  こんな感じかしら? 陛下のことだから、無視されることも考えられるけど……。 「これを陛下に届けて。王太子とのお茶会をしたいと」 「かしこまりました」  王妃付きのメイドは、私からの手紙を持って、王の執務室へと向かった。数分後、返事を持ってきたメイドは少々青い顔をしていた。 「下がっていいわ。手紙は自分で読むから」  メイドに下がるように言えば、ホッとしたような表情をする。「ゆっくりしてね?」というと、何とも微妙な顔してから、一礼し出ていく。 「なんて書いてありますか?」 「中身は大したものではないわ……気になる?」  ふるふると首を横に振る侍女に私も苦笑いした。答えは私の表情をみたら、察してくれたのだろう。 「それより、どちらも許可がおりたから、まずは王太子に連絡してちょうだい。明後日の夕方でどうかしら?」 「招待状を届けてまいります」  侍女を見送り、私は姉に優秀な侍女が欲しいと手紙を書いた。王太子の教育が出来そうなものがいいと書いておく。無関心な王は私のことなど気にもとめないので手紙の検閲もない。  護衛を呼び寄せ、王太子の話を聞くことにした。私は、この国の王族を知らなさすぎる。嫁いできたとはいえ、蔑ろにされているのだから無理もないだろう。  ◆ 「ライアーズ、よく来てくれたわ!」 「お茶会だなんて……」 「いいじゃない。退屈なのですもの。それより、勉強の進捗をみせて? もうすぐ、学園に向かうのでしょ?」 「……行きません」 「どうして?」  俯いたまま、黙りこくっているライアーズにかける言葉がなかった。王太子となって5年は経つらしい。なのに、それらしい教育どころか、私たち王族が覚える教養すら教えていないと護衛から聞いたとき、体が震えるほど、怒りが込み上げてきたものだ。 「言えません」 「そう。私、学園を卒業する前に、こちらに嫁いできてしまったの。もしよかったら、一緒にお勉強しませんか? ダンスなどの教養も相手がいる方がいいでしょうし、こう見えて私、剣術もできますのよ?」  ニコッと笑いかけると、縋るような視線と不安そうな表情でこちらを見上げてくる。そんなライアーズの手を取り、「一緒に頑張りましょう!」とギュっと握った。実のところ、私は学園を卒業している。元々、学園で習うことは、ライナーズの年には終わっていたから。何故、学園に通っていたかというと、将来の臣下を得るためでもあった。私の場合、それもいらぬことではあったのだが、楽しかった記憶は残っている。学園でしかできないこともたくさんあるから。  遊んでいられるのは、ある程度、学力等に土台がないと難しい。楽しい学園生活、いい想い出を作るために、その土台を私が作ろうという作戦であった。 「リリーはどうしてここまでよくしてくれるの?」 「どうして? 私がこの国の母であるからですよ。血のつながらないライアーズの母でもありますし、国民の母でもあります。困っている子どもがいれば、手を差し伸べたくなるのが、母だと思いますよ? 私は、まだまだ、半人前にもなれない母親ですけどね?」  クスっと笑えば、暗い顔をしていたライアーズも笑うようになった。  それからは、忙しかった。私が付きっ切りでライアーズに勉強や教養、作法を教える。侍女が来てからは、ライアーズだけでなく、ライアーズの近侍やメイド、はたまた護衛にまで、王太子としての心得を教え込んだ。私の知らないうちに侍女たちは、この王宮での勢力を少しずつ伸ばしていった。  まずは、交流のある侍女やメイドなどから取り込み、王太子の近侍や国の文官、護衛など……いつの間にか、一代派閥を作るまでになった。  ◆ 「あれから、5年が経ったのね。私がこちらに来た年と同じになったわね?」  目の前にいる青年に笑いかける。5年も経てば、小さかったライアーズは、背丈も育ち、能力も十分な王太子と成長した。もう、私に何か世話をされる立場ではなく、独り立ちするときも近いだろう。  たまに頭の中に流れる光景は、どんどん残忍なものになっていくけど、現実とはかけ離れていく。頭の中のライアーズは、目の前のライアーズと異なり、やせ細りケガだらけで、今日は私にどんな仕打ちをされるのかと怯える日々だっただろう。その目が、私を捉えては、恐怖に怯えている。私からのいじめに耐えられず、城にある塔から自殺した夢をみたことを最後に見なくなった。  ホッとして、もう、私にできることはなさそうだと思っていた矢先のことだ。  ライアーズが、陛下に与えられた兵の練兵のために、私の故郷へ向かっていたときのことだ。私に国王殺害未遂の容疑がかかった。  いつだったかの、夢のことを思い出す。 「……始まりは、国王殺害未遂でしたか。私、陛下とは、ここに嫁いできた日以来、お会いしていないのですけどね?」 「王妃様」 「心配ないわ。すぐに容疑ははれるでしょう」  そう言って、離宮から王の側近たちに連れられ、裁きの場へ連れられて行く。そこには、我が物顔で、王妃の席に座る寵姫の姿があった。その傍らには、白くて真ん丸で子豚のような青年が、肉でつぶれた目で私を見下してくる。  ……あれが、ライアーズの弟? 白豚じゃない。ブクブクと太って、贅を尽くしたのね。今、国民たちの生活は困窮しているというのに。 「この者は、昨夜、陛下の寝所に入り、陛下に毒を飲ませた容疑がある。洗いざらい吐かなければ、拷問をしてでも吐かせよ!」 「かしこまりました」  臣下が一斉に頭を垂れた。と、思った。周りを見渡せば、決して頭を下げず、寵姫を睨んでいる貴族や文官、武官たちが半数以上いて驚いた。 「何事だ! そなたら、私のいうことがきけないというの? 陛下がその女に毒を盛られて、身罷れるかもしれないのですよ!」 「毒婦め! この国を食い物にして、今更、何をいう。その白豚を玉座に据えたいのだろうが、そうはいかぬ!」  一人の男性が、声を高々に寵姫へ反攻した。何が起こっているのか、わからなかった。その人物は、私の茶飲み友達であったから、私を庇ってくれただけなのかもしれないと思っていたが、少し違うようだ。 「宰相様の言う通り! 貴様が、陛下に毒を持ったのではないか? こちらにいらっしゃる王妃様に何も悪いところはございません!」  口々に申し開きがあり、私の側にそっと近づくおじさんがいる。この人は、図書館でよく合うおじ様で、頓智比べなどと言って、国の話を何重にもオブラートに包んでおしゃべりをしていたものだった。 「王妃様、大丈夫ですか?」 「えぇ、もちろんです。よいのですか? 私を助けるということは……犯罪者になってしまいます」 「犯罪者? それは、おかしいですね? 王妃様は、昨夜、ライアーズ殿下から頼まれていたある書類を精査されていたはずですよ?」 「……ある書類ね」  見覚えのある本が1冊、そのおじ様が持ち出した。それは、この国の財務諸表であり、予算を司る文官の不正を問うために確認をしていたものだった。 「随分、派手に使ってくださいましたね? 寵姫だからと、側室であるあなたが、使ってもいい財源ではありませんよ?」 「な、何を言っている! 早く、誰か、あの者を牢にいれなさい!」  ……化けの皮剥がれたりって、いうのかしら?  綺麗に化粧をしていても、醜い心までは厚く化粧をすることができなかったようだ。寵姫と言えど、彼女はこの国よりさらに小国の姫だったそうだ。その小国の国王は、財政難で食扶持を減らすために、近くの国へたくさんいる娘を嫁に出しては、援助をしてもらっていた。この国もそのうちのひとつで、ちょうど、前王妃が亡くなってすぐのころだったらしい。  ……陛下は、前王妃が亡くなった寂しさから、彼女に依存したのかしら?  憐れに思い、王妃の席に座る彼女を見ると、怒り狂ったようにわけのわからないことを言い始めた。それを見た息子……白豚が、さらにブヒブヒと言い始め、この場は、混沌と化していた。 「リリーは無事か?」  謁見の間の扉が開き、先頭にライアーズが入って来た。その後ろには祖国の兵士を援軍として引き連れ、私を助けるために帰ってきてくれたようだ。 「ライアーズ?」 「ただいま戻りました。父が不在であるならば、この場は王太子である私が預かりましょう」 「何をいうのです! あなたは、廃太子になり私の子が王太子になるのですよ!」 「あなたこそ、何を言っているのですか? 父がそのようになさるには、たくさんの準備が必要となりますが、ご存じですか? 手続きをできるのは、王妃であるリリアーナ様と宰相のみ。父が倒れた今、あなたはただの毒婦だ!」 「捕まえろ!」の命令に、兵士たちは、寵姫とその息子をあっという間に捕えてしまった。 「ライアーズは騙されているのだ! その女は、陛下の渡りもなく王妃とは呼べぬ。私は、きちんと次代を生んで……」 「何か勘違いされているようですが、父はリリアーナ様を王妃として認めております。その名をきちんと自身の家系図に。あなたは、そこに名がおありですか? 寵姫と言われても、側室すらなれていません」 「そんなバカなこと!」  その場に王の直筆の家系図が開かれた。自身を中心に、三代前から、三代後までの記録を書く習わしがこの国にはあったが、寵姫とその子の名は、どこにもなく、王族として認められていないことを示していた。  広げられた場所に、私の名が書かれていたが、現王が死ねば、自由になれるという文言が書かれていた。親子ほど離れている私たち夫婦は、夫である陛下によって、自由を手にするための布石が置いてあったことに驚く。  コツコツと寵姫に近寄っていくライアーズ。誰にも聞こえないよう、寵姫に耳打ちをすれば、彼女は真っ青になり力なく崩れてしまった。 「連れていけ」と号令をかけると、寵姫とその息子は、謁見の間を引きずられるように連行されていく。その姿は憐れであった。 「では、リリアーナ様、どうぞこちらへ」  先ほどまで寵姫が座っていた席へ私を誘うライアーズは見たこともない表情で私をみている。  怖いような気がして、差し出された手を取るのに躊躇ってしまう。「さぁ」と言われ、おずおずと手を差し出すと、握られ引き寄せられた。 「我が国は、本日をもって、亡国となった!」  ライアーズの言った意味が分からない。一体何を? と、そちらに視線を向けると、陛下……から、我が父への申し出があったらしい。この国を私の領地とし、大国の一部としてくれと、ライアーズが説明を父の承認がされた書類をみなに示す。  そんな重要なこと、誰も知らなかった。ライアーズと宰相を除いては。  状況が把握できず、ざわつく謁見の間。その中で、ライアーズが次々と名をあげていく。この国では有力貴族たちの名ばかりで、他の者たちは戦々恐々とし始める。もちろん、その中には一部の上・中位貴族の名がなかったことに気づくものは少ない。自身が名を呼ばれるか呼ばれないかと不安の方が多いのだから。 「以上、46名のもの、前へ」  誇らしげに胸を張り、出てくる貴族たちは、我こそは何を成してきたかと自慢話をしながら、笑いあっていた。次の瞬間のことなど、考えもしなかっただろう。 「この国、国王の殺害未遂、および計画加担の容疑がある。よって、拘束し、尋問をする」  名を呼ばれ、誉とばかりに喜んでいた貴族と、名を呼ばれず、この世の終わりのような表情をしていた貴族が逆転する。 「な、何かの間違いではないのですか? 私たちは陛下に尽くしてきたのです! その王妃様にも」 「王妃とは、誰のことだ? リリアーナ様は、父によって隠されていた。この5年の間、そなたらは1度として会ったことがなかったはずだが?」 「そんなことはございません! 私たちだって、王妃様との交流はございました」 「そうか。私の家庭教師をしていたリリアーナ様が、いつ、そなたらに会うのだ?」 「家庭教師? そんな……そんなこと!」 「父の毒殺を計画しただけでは飽き足らず、リリアーナ様に対して、国民の憎悪をむけるよう仕組んだのは、誰だ? 質素な生活を続けていた王妃を貶めたのは……」 「それは、寵姫が仕組んだことでしょう! 私たちには関係がありません!」  抵抗する貴族たちに容赦なく突きつけられていく証拠に言葉を失うものが多かった。そのどれもが、私が見つけたものではなく、ライアーズの課題で渡したものばかりではあったが、こうも見事に国の内情を調べ上げることができたのは、それだけの能力があったからだろう。ライアーズがこの国の王となるなら、安心ではないかと思えた。 「ライアーズ、それくらいにしておきなさい。あとは、取り調べのときに確認をすればいいでしょう」 「リリアーナ様」  床で臥せっているはずの陛下が近侍に連れられ青い顔のまま、私の前に来た。 「大丈夫ですか? まだ、おやすみに……」 「いえ、今こそ来るべきですから」  私の前に跪く王に、どういったらいいのかと戸惑っていると、私を王妃と認めてはいるが、婚姻はしていないと、訳の分からないことを言い始めた。  最大の謎は、王位を息子であるライアーズではなく、私に譲るというものであった。 「陛下、何を?」  駆け寄っていこうとしたとき、ライアーズに止められる。首を横にふる彼にも詰め寄ろうとして失敗する。  ライアーズもあろうことか跪いたのだ。 「二人とも面を上げてください!」 「いえ、リリアーナ姫。この国をあなたが治めるのです」 「私たちはその家臣ですから」  ニコリと笑う父子は同じような表情を浮かべている。ため息をついて、「疲れた」とストンと座った場所は、玉座であった。  ……どれほど、この未来を考えていたのかしら?  策士である父が、きっと、嫁に出す前から考えていたものだろう。 「公爵となり、この領地を治める。リリアーナ姫だ。まだ、みなのものは、戸惑いもあるだろうが、少しずつでいい。この領地のために尽くしてくれ。この領地を離れたいものがいれば、そこは罪にも問わない。新しい新天地で、幸せに暮らしてくれたらいい」  もう一度立ち上がったとき、覚悟を決めた。父が望むなら、今は駒となろう。牙をむくためには、磨き研がないといけないものもあるのだから。  ◆  この国に嫁いできた日に見た月を思い出す。あの日は酷い体調で見上げた満月に近い月も実は滲んで見えていた。  陛下にかけられた言葉は冷たく、王太子ライアーズからは見下げられた。そこに頭の中に浮かぶ鞭打つ私がとても楽しそうだったことを思い出す。 「リリー」  突然呼びかけられ、振り返る。ここは、仮にも王妃の居だ。王太子と言えども通されることは、許されない。ただ、ここへきてからというもの、ずっと通ってきたライアーズは、何のことなく侍女たちが通したのだろう。 「どうかして?」 「相談もなく、事を進めてしまい、悪かった」 「そうね。少しくらい、私に相談くれても……。それにしたって優秀すぎるわ。でも、陛下の毒もたいしたことが無くてよかったわね?」 「そう、ですね?」  嬉しいと表情を緩めるライアーズに小さいころのように抱きつき、背中をポンポンと撫でると、ギュっと抱きしめられた。  今まで、こんなことはなく、少し戸惑って腕の中から抜け出そうとすれば、さらにギュっきつく抱きしめた。 「……ライアーズ? あの、離してくれるかしら?」 「嫌だ。もう、離したくない」  肩にかかる重みにライアーズが持たれていることがわかる。動揺をしている私にさらに続ける。 「リリー、僕と結婚してくれないか? 僕は、リリーを支えたいんだ」 「私と結婚を? でも、私は……」 「父は結婚していないと言っていただろう? 僕は、リリー以外と結婚はしないよ」  少し体を離してくれたので、ライアーズを見上げると、「結婚する以外の言葉は受け付けない」と半ば強引なプロポーズをされる。戸惑う私の頬を優しく撫でた。小さかった手は、剣の修練を欠かさず、ごつごつとした大きな手になっている。その手に頬を寄せると優しい表情を向けてくる 「いいわ。私と結婚してちょう……」  返事をしている途中で、溜まらずと頬を撫でていた手が顎にかかり、私の唇を塞ぐ。ちゅっとしたと思えば、もう一度、今度は啄ばむように……次は深く……と、愛を囁くようにキスをする。 「ん……!」 「――ごめん。嬉しくてつい」  頬を緩ませているライアーズと、真っ赤になっているはずの私。カッと熱くなった頬を押さえるように両手を添えようとして、手を取られ、その手のひらに甲にキスをする。熱っぽく見られることが恥ずかしく、逃げてしまいたくなるが、腰にある逞しくなった腕は、私を逃してくれそうになかった。 「ラ、ライアーズ!」 「怒った顔も可愛いけど、そうやって顔を赤く狼狽えているリリーは本当に可愛い。僕だけのリリアーナ」  呆気にとられ、返す言葉も見つからない私にもう一度キスをして部屋から出ていくライアーズ。  その後ろ姿が消えたときに、側にあったクッションを投げつけた。  ◆  次の週には、私は祖国に戻り、国王の前で跪くことになった。病み上がりの元夫ではなく、その隣には私の婚約者となったライアーズを伴い、公爵として爵位が与えられる。久方ぶりに見る両親は、私を見て「おかえり」と言ったが、欲しい言葉は返さない。私が望むのは、駒になった私ではなく、自身の足で立つこと。隣にいるライアーズを盗み見ると微笑みかけてくるので頷く。  少々、我儘を言おう。私は、この国の王女。いいようにしてくれた父へのせめてもの反撃だ。 「陛下、私は爵位を返上いたしたく存じます!」 「何ゆえだ? そなたには……」 「我儘をいうのなら、私は、この国の王族に戻りたい。将来を見ても、悪い話ではないと思いますが?」  心優しい姉は、あまり良い夫には恵まれなかった。だからこそ、次の国王を決めることにあまり積極的ではないと耳にしていたのだ。驚く臣下どもに、不敵に笑い、両親を睨んだ。 「……わかった。望むのであれば、王女に」  即座に受け入れた父は目を細め、将来のことを考えているのだろう。今のままでは、争いの火種があることは目に見えているがそれさえ押さえつけるのであれば、王位継承権の順位を上げる算段までしてしまったようだった。 「ありがとうございます。では、明日より、私は離宮で住まわせていただきますね? 公爵の爵位の代わりに……私の元夫に爵位を与えていただき、そちらの領地を任せます。補佐として、私の婚約者をと考えていますので、そのようになさってください」  ニッコリ笑えば、さっきまでざわついた場は静まり返る。 「それでは」と礼をとり、私はライアーズにエスコートされ、その場を去った。  何が起こったのか理解するまで、みながぼんやりしていた中、王が1番初めに気が付き、「してやられたな」と大笑いを始める。  数年後、私は王位継承権1位を経て、女王となった。  小国で、王太子をいじめて殺し、嫌われ王妃となって、死んだはずの私は、あの光景を二度と見ることなく、隣で微笑む王配となったライアーズと手を掴んで離さない息子に向かって笑いかける。  たくさんの国民に称えながら、長らく女王として大国に繁栄をもたらすことになった。
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