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俊哉が久しぶりに出社できた日に限って、社長兼所長の久遠勝一と社員の面屋こおり(おもやこおり)は不在だった。
「おはようございます! 葉桐先輩」
「おはよ、朱月(しゅづき)。久しぶりに顔みるわ……」
「ほんとですね。葉桐先輩も落ち着かないですからね」
後輩にあたる朱月穂希(しゅづきほまれ)もまた、色々と事情を抱えている。お互い大変だな、と笑い、デスクトップを起動しながら声をかけた。
「朱月、最近どうよ」
「どれの話ですかぁ」
「色々」
「面白いくらい抽象的ですね。色々、色々ですか。なんにも変わらないですよ。今、請け負ってる案件はまぁ、なんともですけど」
他愛ない会話ができる弟のような後輩が、唇をつき出すのは悩んでいる時の癖だ。
「なに、なんか問題?」
「んー、なんていうか……。俺、詳しくないんですけど、今回の依頼人が有名なアーティスト?絵画とかの有名な人のマネージャーみたいな人らしくて……。先輩、〝スプーン〟て知りません?」
「〝スプーン〟……」
昨日見かけたツイートを、スクリーンショットしていたはずだと思い出してスマホの画像ファイルを開き、画面を朱月に見せる。
「この〝スプーン〟?」
スクリーンショットの画面を見て、それです、と朱月は頷いた。
「そう、その〝スプーン〟です。情報が早いですね。俺もこの間見かけたんですけど」
「いや、自分の捜査の情報を集めてた気になったんだよ。この店、探偵社から近いがするなと思ってさ」
画像は、見覚えのある公園から程近くにある、飲み屋街や喫茶店の通りに似ている。
一度その辺りで聞き込めば、なにかわかるのではないかと思ったのだ。
「あ、こおりさんがそのお店かもしれないところを知ってたんですけど、深夜にしか開いてないんですよ」
「そうなんだ、今度一緒に行く? 夕食にって時間でもないけど」
店が深夜からの開店となると終電に間に合う気がしない。後輩を誘ってコンプライアンス的にいいものか? と考えたが杞憂に終わった。
「俺、お酒飲めないんで出来たら一緒に行って貰えると嬉しいですけど……お家のこと大丈夫ですか?」
まだ落ち着いてませんよね、と気遣う視線に苦笑する。本音を言えば、一夜でもいいからあの環境から逃げたかった。
両親のケアと、義兄ケアと、仕事のルーティンで、パートナーの朋樹と折り合いが悪くなって、仕事に逃げている自覚はある。
一番の問題は義兄への差し入れだと思うが、今ケアを止めると、兄の後を追ってしまう気がするため目を離せないのも事実だ。
「……うーん、どうにもできないから」
俊哉としては、兄を悼む両親の気持ちも解るが共感しきれず、義兄については〝フォーク〟だから疑われるのは致し方ない所はあると思っているが、同時に様々なケアをする都合で“フォーク”に近づくことを厭う朋樹の気持ちも、わからなくはない。
「あの、俺、話聞くだけはできますよ!」
「やさしー、朱月ちゃん。ありがと。でもお前の事情もあるから大丈夫」
朱月が探偵社に入った理由を聞いたことはないが、なんとなく察しはついている。
「んで、いつ行く? 朱月の調査は期限あるだろ」
「あ、はい。そうなんですけど気になるので、次の休暇前にしませんか……」
頭を抱える調査内容も、どうにもならない現実も、全部呑みこんでしまえるようにと願いながら朱月と俊哉は笑った。
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