ホリック×ホイップ ──消えないための関係。

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 朱月穂希が住んでいる、古すぎないが新しくもないマンションは木々に囲まれ閑静で、穏やかな空気が流れている。  久遠からマンションのオーナーへ理由を話して鍵を開けてもらい、入室した。 「……なんもない、ですね」  男一人暮らし、といっても几帳面に片付けをしている綺麗さではなく、最低限の物しかない。朱月はミニマリストだったのだろうか。 「風呂、トイレ、キッチン、ダイニング、と個室か?」  ダイニングには机とカウチソファー、テレビ、飾り棚。物が少ないのは掃除がしやすそうだという感想がでてきた。 「俺もミニマリストになろうかな……」 「物を溜め込みやすいお前には難しいんじゃねぇか?」  最後のドアを開けた先の部屋。  寝室として使っていたのだろう。中央にはベッドと小さな机があり、左側には衣装ケースとオープンクローゼットに何着か上着が掛けられている。  本当に、最低限しかない殺風景な部屋だ。 「おいおいおい……こりゃあすげぇな」  入って右側、ドアで隠れていた壁には数多のメモと写真が貼りつけられている。 「ぇ、なんですかこれ」 「……事件資料だ。記事はもちろん、自分で調べたことも全て貼ってあるみたいだが、これは依頼の資料じゃなさそうだな」  複数の写真と共に貼られていた新聞の切り抜きを見た久遠が呟いた。 「お前、朱月と仲良かったよな。アイツがなんでこの会社に入ったか知ってるか」 「え、いえ?」 「……アイツはな、自分の姉がなんで殺されたのかを知りたがっていた。この資料は全て朱月の事件資料だ。思えば、お前のお兄さんの事件ともよく似ている」 「一度も聞いてないですけど、本当ですね」  聞いたことはないが、何となく判っていた。この事件の記事に書かれている被害者女性の名字と一緒だったから。なにより、事件内容に既視感を持っていたから。 「そういや、お前〝スプーン〟って呼ばれる奴ら知ってるか? 〝フォーク〟よりもヤバい奴らだ。できたら知らない方がいいが、今後のために教えておく。奴らは自殺希望者、希死念慮をもった人間を見分け、さらに篩にかける。そんで、本当に死にたい奴だけをこっそりと、希望通りに殺してくれるヤサシー奴らだ」  知っていると応えてはいけない気がした。  久遠の説明の間、朱月は蛇に睨まれた蛙のように呼吸が苦しくなっていくのを感じ、距離を取ろうとするが、狭い部屋では難しい。 「……昨日貰った【肉屋】についての資料読んだ。いい出来だったからアレを依頼主に渡すことにした。よく調べたな」 「……、そうですか、ありがとうございます。まだ、どうやって売買してるかは判らないのでもう少し時間がかかりますが……」  なるべく違和感がないように応えられたと思う。顔はあげられない。  今の久遠の顔を見たらダメな気がした。  普段と変わらない声と雰囲気のなかに隠されたトゲのような害意が肌を撫でるように刺激する。一刻も早くこの場を離れたいと強く願う。 「朱月は間に合わなかったようだが、お前は上手く逃げろよ」 「え?」 「え?じゃねぇよ。お前、〝スプーン〟はいいとしても、【肉屋】に目をつけられてみろ。簡単にバラされてバイバイだわ」  深いため息と共に、後頭部を叩かれた俊哉は衝撃を感じたが、痛みがない事に気がついた。  そういえば、最近気づかない間に怪我をすることが増えた気がする。 「バイバイって……」  先ほどまでの緊迫した空気は霧散したが、どうにも雲行きが怪しい。 「っていうか、社長、【肉屋】について知ってたんですか」 「噂は耳に入ってたさ。これでも探偵だからな」  ニヒルに笑う久遠がグシャグシャと俊哉の頭を撫でる。 「お前、たしか同居人いたよな」 「え、はい」 「家で角砂糖使うか?」 「最近使いますね。同居人が用意してくれるので……」  少し間があり、そうか。と重い声で苦い顔になった久遠を不思議に思う。 「……立ち入った話になるが、〝GZ〟を知っているよな? お前のお兄さんの事件で発覚したドラッグが一番流通している形状は角砂糖だ」 「……え、あの、朋樹が、〝GZ〟を俺に飲ませているとでもいうんですか?ていうか、なんでそんなことを社長が知ってるんですか……」  嘘だ。という感情と、なぜ俊哉が〝ケーキ〟だと知っているのか。という疑問が沸き上がり、ひとつの仮説を導きだした。  ──久遠社長も〝フォーク〟だとしたら。 冗談だと笑い飛ばせない。  それに、なぜ〝GZ〟の流通形状を知っているのか。という疑念が、恐怖を助長する。 「可能性があると思った。なんで断言できるかと言うと、今まで言っていなかったが。俺は〝フォーク〟だ。パートナーがいて、パートナー以外から食事をしようとは思っていない。気休めだとしても安心してくれ」  昨日から色々と情報が多くて熱を出しそうだし、久遠が俊哉の首筋に顔を寄せて匂いを嗅ぐ仕草が、男同士でも嫌悪感を持たせないことに少し腹をたてながらも、特に〝フォーク〟が自分の急所に口が近づくことは何よりも恐ろしい。 「〝GZ〟を服用している〝ケーキ〟の香りは、通常の〝ケーキ〟よりも濃厚で芳しくなるんだ。お前の香りが変化し始めた時に気づけたらよかったんだがな……。気づいたのは住居変更をした頃から少づつ香り変化していた時だ」  曰く、〝ケーキ〟の俊哉と〝一般人〟の蒜山朋樹と同居を始めるため転居して少しした頃から、〝ケーキ〟の香りが変化していたという。  最初は〝フォーク〟のパートナーができたのかと気にしてはいなかったが、今回の実兄の事件から注意深く香りを確認したところ違和感に気がついた。ということだった。 「医者に行ってみないとわからないが、恐らくは……。一応俺だって部下を見殺しにしたくはないんだ」  苦虫をみ潰した顔をした久遠がどこかに連絡を入れはじめた。  一連の話を聞いた限り、引っ越しは勿論、パートナーとして同居している蒜山朋樹とも別れて姿を消すことが重要になるということだろう。  何よりも、可及的速やかにこの部屋から出て久遠と二人きりの状況から離れたい。 「うそだろ……」  ここへきて情報が多すぎる。  出来の悪い頭はオーバーヒートしそうだ。  特定の〝フォーク〟と親密にした記憶はないのに匂いが変わるということは〝GZ〟を服用している可能性が高い。 「なんか、なさけねぇな」  自分のことも、朱月のことも、気づかなかった。部屋の前で通話をする久遠から気づかれず、なおかつ自然に外に出る方法を考えるがそう簡単に打開策は思い付かない。 「郵便受けを見た感じだと、一週間は帰ってなさそうだったから、朱月の件は警察にも協力を仰いだ。これで見つからなかったら失踪になる。それから、お前の件も色々調べることになったから家で使ってるものを警察に提出することになった」  久遠の言葉に頷き、なるべく違和感のないように努める。  スマホに届いた通知バイブに驚き、一言詫びて確認したメッセージ──朱月穂希:社長に、気をつけて──という一文に、俊哉の一瞬で心臓と血が凍りついた。 「うん? どうした」  呼吸が浅くなり、指先から冷たくなって感覚が遠くなっていく。視界がどんどん狭くなり恐怖が身体の動きを鈍くする。  ゴゴンッと何かが倒れる音が反響した。 「……あの、社長。音、風呂場、ですかね」 「あぁ、なんだろうな」  音を気にすることもなく、久遠は俊哉に詰め寄ってくる。 「……っ、パートナーからの私用メッセージだったので、あとで返信します」 「そうか。朱月からのメッセージかと思ったんだが、違ったか」   ゆるりと嗤う久遠にゾッとした。 「俺、風呂場、見てきます」  一刻も早く久遠と二人きりの個室から逃れたい。と思い風呂場へと向かうふりをした瞬間、久遠がニタリと嗤った。 「あぁ、その必要はない」 「え?」  バチンッと音がして、衝撃が身体を駆け巡り熱さと痛みを感じ、俊哉の意識は闇へと呑まれた。
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