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39.【紫苑視点】破壊力の詰まった言葉
課題を進めていると、携帯電話から通知音が鳴った。
イナバさんと芹香からだ。先に前者のメッセージを開くと、情報共有ツールへの招待メールが届いていた。
メッセージに従ってアプリを登録し、画面を開く。
従業員別にページが割り振られていて、私の名前がタイトルにあるページにはレジ周りの業務や見落としやすい注意点が記載されている。
”特にクレジット決済は注意してください”と、赤文字と太文字で強調された一文に目が行く。
過去に一日のクレジット決済分、すべてのカード会社控えを破棄した人がいたらしい。想像しただけで鳥肌が立った。
ついでなので芹香への返信と一緒に、バイトの話題を振ってみる。
『あるある 会社控えとお客様控えを渡し間違えたり、サインもらい忘れたとかね』
『混雑時だとしてしまいそう……こういうのもペーパーレス化できないの?』
『やっぱクレカだと高い買い物もするからさ 紙の利用控えがないと不安になる声もあるし』
『支払い方法が複雑化してるコンビニバイトとか、もっと時給上げてもいいのにね』
会話のラリーを続けつつ、チェックリストに目を通した。
仕事内容をくまなく叩き込んでいないと書けない、分かりやすく噛み砕かれた文面とレイアウトに感心する。
イナバさん、仕事のあともこうしてみんなのことを考えてくれていたんだ。
ただ『厳しい』というイメージが先行していて、今まで苦手意識を持っていた自分が恥ずかしくなる。
確認とお礼の文を彼女に送信したところで、芹香から新たなメッセージが届いた。
『猫ちゃんのほかになんかリクエストあります?』
友達間では聞いてこない質問に、心拍数が上がっていく。
ワークブックのページを握りしめそうになって、あわてて膝上に手を移動した。
『じゃあ 今夜やるアニメの録画を見ようよ』
『おっけー』
短いメッセージの後に、ハートマークを模したかわいいスタンプがおくられてきた。
大きく変わった私たちの仲を端的にあらわす記号に、むず痒さを覚える。
『(*ノェノ)キャー』
迷って、いつも芹香としているみたいにてきとうな顔文字を打ち込んだ。こういうとき、気の利いたスタンプを買っておけばよかったなと思う。
『私からひとつ、プランを言ってもいい?』
続けて、芹香から思わぬメッセージが返ってきた。なにか大掛かりな計画でも練っているのだろうか。続きを促す言葉を打つと。
『しーちゃんと、いつでもいいからキスしたい』
直球だった。
破壊力の詰まった言葉に、きゅっと喉が絞まる。
それはプランというよりお願い事だと思うが、これがデートであることを改めて実感する。
もちろん、拒否権はない。
今日のカラオケではしたい、と言ってきた彼女の要求を断ってしまったわけだから。それくらい望むのも当然だろう。
震える指で『いいよ』と送ると、『忘れちゃだめよ』と即座に返ってきた。
集中力が続かない。
計算問題は目を滑るばかりで、思考が明日のでぇ……約束に飛んでしまう。
今更、間取りを知り尽くした人の家に行くことくらいなんてことはない。
だけど私たちはもう、友達だけの関係ではない。相手の家に遊びに行くだけではない、明確な目的があるのだから。
みんなは、どう過ごしているのだろう。
充電していた携帯電話を手にとって、『おうちデートでしたいこと』と検索をした。
コンテンツ鑑賞、デリバリーや手料理を駆使したおうちパーティ、ゲーム、ネットショップ巡り。
『スキンシップ』とそれらしい回答はあったものの、マッサージやストレッチ、肩をくっつけて昼寝するといった健全寄りの内容ばかり。
なぜって、上記のリストは友人や家族に置き換えてもできることだ。
女性向けサイトなのもあるだろうが、本当に世のカップルの本音なのかと統計に疑問を抱いてしまう。
ともかく。私は明日、芹香の部屋で必ず……する、ことになる。
行為が確定していても、何回とかいつとかそれだけなのとか、他に敷かれたルールがないから余計なことまで想像してしまう。
「何考えてんだか」
今日の光景がよみがえってきて、わーわーと髪を掻き乱し悶えた。
芹香の感触はまだ残っていて、思い出すたびにあてもなく走り出したい衝動に駆られる。
薄れかける前にまた、明日上書きされるのか。
平常心でGWを乗り切れるのかと、未知の不安とほんの少しの期待が募っていく。
すでに2回、自分からしたはずなのに。おそらく回数が数え切れないほどになっても慣れる気がしないと思う。
……もし、いま、ここに。芹香がいたらどうなっていたのだろうと、思考が暴走を始める。
私と芹香の家は近い。だから、ここからバイト先に行くくらい距離的にはなんの問題もないはずだ。
父も明日の夜までは帰ってこないから、人目を気にする必要もない。
芹香の家と比べれば娯楽が少ないのが欠点だが、見るドラマやアニメは一致しているから今夜それを鑑賞するだけでも十分なはずだ。
だけど、お泊りはデートとは違って準備の必要がある。遠慮なく泊まっていたあの頃とは違うのだから。
いきなり言われても困惑するだろうし、付き合い初日は大胆すぎるだろう。おうちデート、と言葉を変えた選択を後悔はしていない。
携帯電話や読みかけの本に伸びようとする手をこらえて、ひたすら鉛筆を動かす。
ようやく脳が働きかけてきた頃、またLINEの通知音が鳴った。今度は父からだった。
『ひとりぼっちにさせてすまない 明日はいつもの時間に帰れるから、一緒にドラマ観ような』
向こうのほうが泊まり込みで何倍も疲れているだろうに。
遅くなるときは律儀に連絡する父の変化に、気遣われる嬉しさと申し訳無さが胸に押し寄せる。
美味しいごはんを用意して待ってるから、と送信して、私はイヤホンを取り出した。
こうして、1人で夜を過ごすのはいつ以来だろうか。
静かな時間は好きだが、家の中の静寂は得体の知れない不安を呼び覚ます。
急遽作業用BGMとは縁遠い、アップテンポのメドレーを音楽リストから呼び出した。
それから。
眠気を吹き飛ばす音楽を耳に流し込んでいたつもりが、いつの間にか私は寝落ちしていたらしい。
気づけば、私は天井から部屋を見下ろしていた。
そこには布団が敷いてあって、かつての私が眠っていた。
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