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41.【芹香・紫苑視点】私を見てほしい
・芹香Side
「今日、3時くらいに”彼女”来るから。漫画とかゲーム借りる場合、なるべくその時間までに持っていって。あと、ちゃんと着替えてね」
バイトに行く前に、私は姉にLINE電話をかけた。
『あえー……』
聞いているのか不安になってくる声が返ってくる。
出てくれただけ、機嫌はマシになっていると思いたい。
一昨日から姉はずっとこうだった。部屋に引きこもって、布団から出てこない。
親が毛布をひっぺがそうが、目をつぶって嵐が過ぎ去るのを耐え忍んでいる。何度か見慣れている姿だ。
『え、待って待って芹香の女? ついに売約したの? いま私の所有物って言ったよね?』
「そこまで言ってねーよ」
寝起きで頭は冴えてないと思ったのに、池の鯉みたいにすごい勢いで食いついてきた。
姉は私の性的嗜好を知っているし、友達って伏せるのも紫苑に失礼だしね。
『じゃあ、その時間はハロワ行くわ』
「そう? 次はいいとこ見つかるといいね」
『どーも。あんたも次はうまくいくといいね』
無難な会話を終えて、通話を切った。
姉貴、これで3社目か。すべて職場の人間関係が原因と聞く。口数が極端に減ったり休みがちになってたから、なんとなく察していた。
母親は姉が次々と職を変えていることに難色を示していたけど、しがみついて壊れてしまうよりは逃げたほうがいい。
歳を重ねるとどんどん働き口は狭くなっていくから、打たれ弱い姉を心配する気持ちも分かるんだけどね。
出発前に、身だしなみと化粧が乗っているかを鏡で最終チェックする。
世間ではGWだけど、毎日バイトが入っていると感覚は平日と変わらない。
けど、今日は違う。急遽、GWらしく人と遊ぶ予定が入った。紫苑と。
想像するだけで、その場で踊りだしてしまいそうなほどには浮かれている。
早く、したいな。
昨日、待ちきれず電話を掛けてきたというかわいいことをされてから、頭の中はそればっかりだ。下心むんむんの彼女でごめん。
「今日はきみに紹介したい人を連れて帰るからね~」
待ち遠しい想いを胸にしまいこんで、玄関まで見送りに来た飼い猫の頭を撫でて靴を履いた。
・紫苑Side
「なずなちゃん、久しぶり」
猫なで声を押さえて、芹香の飼い猫であるシャム猫に携帯電話を構える。
家に上がっていきなり廊下で写真を撮り出すのもどうなのかと思ったが、猫の魅力にはあらがえなかった。
「しーちゃんほんと、猫好きだね」
「うん。世界一可愛い生き物だと思ってる。わりと本気で」
しっぽを立てて、足にぴったりくっついてくる猫を見下ろしながら答える。
リビングに入ると、先に猫がソファーに飛び乗ってこっちを見つめてきた。
隣に腰を下ろすと、すぐさま膝へとのそのそ乗ってくる。飼い主に似て、サービス精神旺盛なお方だ。
ふわふわの体毛にくるまれた足も、膨れた頬も、目の動きに合わせて動く耳も、もふっと広がる後頭部と背中とお尻の肉付きも、仏頂面の鋭く細い目つきも。
すばらしい眺めだ。どこを取っても猫は可愛いしかない。
「私の世界一はしーちゃんだけど」
あらかじめお湯を沸かしていたのか、湯呑と急須をおぼんに乗せた芹香がすぐに戻ってきた。
わざわざ声に出してくるあたり、対抗しているのが見え見えで面白い。
「そういうの、さらっと言ってくれるのが好き」
声に出すと、芹香の持った湯呑ががくっと震えた。
こぼれてないか心配になるけど、熱いと聞こえてこないから大丈夫だとは思う。
「あ、じゃあアニメ見る?」
「うん……ん?」
「どうかしました?」
首を振って、なんでもないと取り繕う。
こっちで観るんだ、と言わなくてよかった。TVは芹香の部屋にもあるから。
でも、膝の上には猫が依然としてくつろいでいる。
私が芹香の家で遊ぶことを選んだ理由は、猫に会いたいから。
それを第一の目的だと思って、優先してくれている。
言ってたら、そういう空気に早くなりたかったのかと思われるところだった。
約束はもちろん、守る。だけど来たばかりでは、その準備が心に整っていない。
関係が変わっても段取りは大事なのだ。
それから、ふたりと一匹による録画鑑賞が始まった。
アニメの内容は、普通にゴールデンでも放送できそうな児童書っぽい絵柄の冒険物語。
でも、これけっこう残酷描写があるから深夜に回されたのか。
内容も後半に入っているから暗い展開が続いていて、緊迫感が高まってくる。
観終わって、芹香が新たに注いでくれたお茶を飲み干したところで、『あ、じゃあ』と芹香が口を開いた。
無意識に肩が上がってしまう。
「漫画、読みたかったら好きなの選んでよ。持ってくるから」
携帯電話のメモ帳には、リストアップされた漫画のタイトルがずらりと並んでいる。
そんなの、見せずとも部屋に行けば済む話では?
そう言いそうになって、未だ私の膝から動こうとしない猫に合点が行った。
そんな手間かけなくていいよ、猫と一緒に部屋に行くから。
声は喉に貼り付いて、出すことが出来ない。どんどん心臓の音が速くなっていく。
白状する。
今か今かと、私の視線は芹香の唇にばかり目が行っていた。
アニメは、正直クライマックスの部分しか頭に入っていない。
視聴途中で芹香がリップを引いていたものだから、意識しないというのが無理な話だ。
なのに芹香は、どこまでも普段どおりで。
猫が膝の上から立ち去っても、芹香との距離は変わらない。
隣の芹香は相変わらず、持ってきた小説に没頭しているようでページをめくるスピードは穏やかなペースだ。
部屋に行こう、とは言いそうで言ってくれない。
「…………」
横目で、芹香を見つめる。じわじわと、焦燥感を覚え始める。
本当に忘れているのか焦らしているのだけなのか、まだおうちデートとは呼べないことしか私たちはしていない。
する、とは言われてもいつ、とは言われていないから。
でも、こういうのはなんとなくムードが高まったときにするものであって。いきなり奪うものではない。
だから、落ち着きだけが薄れていく。
まだ、芹香が読んでいる小説のページは半分以上残っている。
手元の漫画は、コマを追っているはずなのに頭に物語が入ってこない。芹香との約束ばかりで埋め尽くされて、一向にページが進まない。
しおりをはさんで、私は漫画本を置いた。
「せっちゃん」
「んー?」
芹香の袖口をくいと引いて呼びかける。催促するように。
「膝の上、また、乗っていい?」
「いいよー」
芹香は特に突っ込むこともなく、本を置いて膝をぽんぽんと叩いた。
そのまま腰を下ろして、もっとムードが高まってくるまで密着していることもできたけど。
でも、限界だ。
本じゃなくて、そろそろ私を見てほしい。
私は芹香に背ではなく、向かい合ったまま彼女の膝にまたがった。
両腕を伸ばして、手を彼女の肩へと置く。
「あはは、そっちか。なずなずっと乗っけてたし、乗りたくなっちゃった?」
「うん。……でも、それだけじゃない」
構ってよ。恥ずかしさをこらえて声に出す。
頷いた芹香の腕が背中に伸びてきて、添えられたかと思うと。
「待ってた」
後頭部がぐっと押さえられて、芹香へとより近く引き寄せられる。
そのまま止まらず、瑞々しい感触に唇が受け止められた。
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