恋人編

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46.これを恋愛脳と呼ばずになんと言うのか  若者の恋愛離れって言葉も聞くくらい、いまは恋をして当たり前の時代じゃない。  とはいえ。  思春期まっただ中のがきんちょは少なからず、恋人がいる学生生活に憧れは持ってるものだ。  青春コンプって言葉があるくらいだし。  結婚すると精神的に安定する人みたいに、周りより一段階大人になった気分に浸れる。って言えるのは付き合いたての時くらいだけどね。 「ひっでーな、これ」  呆れでも嘲笑でもなく。  驚愕の声色で、向かい合って座るカンナがあんぐり口を開けた。  しばらく無言で私の悲惨な成績表に目を落としているあたり、本気で言葉を失っているようだ。  この結果は試験期間中に察していた。  手応えなんてカスほどもなく、頭に浮かぶは『どうか赤点は免れていますように』といった学級委員が聞いて呆れる願望。 「偏差値それなりの学校だけあって、難しかったわね」  そう苦笑いで席に駆け寄ってきた紫苑に対し、冷や汗をにじませシールみたいに貼り付いた笑顔を維持するので精一杯だった。 「珍しく飯食おうってすずちーが誘ってきたと思ったらこれかい。大方、こんなんクロに見せられないからうちに逃げてきたんでしょ。優等生様のプライドゆえに」 「ぐうの音も出ません……」  カンナのおっしゃる通りだ。  成績表が返ってきてから、紫苑は一度も私にテストの話題は振ってこない。優しい子や。  ガタ落ちの成績を恋人に公表しても不安にさせるだけだから、わざわざ言う必要はない。  黙って勉学に勤しみ、期末で挽回すればいいだけの話。  けど、なんでもない顔で接するのもそろそろ限界だった。  同じクラスの子じゃ、間違いなく中間の話題になる。公開処刑待ったなしだ。  そんなわけで隣のクラスである程度素の私を知る、カンナのもとに逃げ込んだ。  かっこ悪いことこの上ない。 「つか、なんでこうなったの? 当日インフルにでも罹ってた? バイオテロリストだった?」 「だったらうちのクラス、今頃君のとこより出席率低いよ」 「だよね。みんなGWは激混みだからって、テスト後の平日に家族旅行行く人ばっかで」  授業をなんだと思ってるのか……  ざまあと罵る前に体調不良を疑ってくるあたり、なんだかんだでカンナも優しい。 「いやー、理由なんですけどね」  小声で、LINEを送る。  リアクションは最低限でお願いしますと。 『実はちょっと前からしーちゃんと付き合い始めて』 『こんな負の状況での報告ってあるか?』  さすがカンナだ。  わーきゃーと声に出す前に、冷静に文面で返してくれる。 「質問はめっちゃあるけど後回しにして……で、あんたが色ボケてたからここまで成績下がったわけだ。うちに見せてきた理由はたぶん、そのことで喝を入れてほしいからでOK?」 「Yes, that's right」 「無駄に発音良く答えてもだっせえことに変わりはないけど」  中学時代、受験シーズンで別れるカップルをたくさん見てきた。  決まってみんな、勉強よりも恋を優先してしまって成績が下がったことによるすれ違いが原因だった。  自分はぜったいああはならない。  上を目指すために、優等生であり続ける。  将来を見据えた目標は、恋愛感情程度でゆらぐものではない。  そう、信じていた。  でもそれ、本気の恋をしていなかったから言えたんだね。 「しょっちゅう会ってたとか、長電話やLINEばっかで勉強時間が確保できなかった、とかじゃないんでしょ?」 「うん。むしろ、テスト期間は我慢して、明けたら思いっきりいちゃいちゃしようねって……」 「あちゃー」  カンナにぐりぐりと眉間に指を押し付けられる。いてえ。  でも、すべては私の意志が弱かったせいなのだ。  机に向かってワークブックを開いても、さっぱり頭に入ってこない。  脳内メーカーやったら『紫苑』とピンク色の文字列でぎゅうぎゅうに埋め尽くされてるに違いない。  問題文が目と耳をすべって、ついつい読みかけの本やスマホに手が伸びてしまう。  結局深夜までかかってしまい、眠気に負けて明日頑張ろうの負のループにはまっていく。  当然、寝不足の状態で脳に吸収されるはずもなく。  テスト当日までずっとこれの繰り返しだった。 「まさに恋愛脳」 「惚気ではなく本当に悩んでて」 「ああいや、言葉を変えるわ。あんたがしてんの、そもそも恋愛じゃないんだから」 「?」  どういうことだろう。これを恋愛脳と呼ばずになんと言うのか。  さまざまな感情が通り過ぎて焦土と化したような、光の失せた瞳でカンナは私を見つめた。  抑揚のない、乾いた声が決定的な言葉をつむぐ。 「すずちーがしてんの、依存だよ」 「…………」  あまりにも直球な言葉に喉が詰まる。  喝を入れる役割を忠実に果たすカンナは、矢継早に痛い指摘を重ねていく。 「恋のせいで勉強に集中できてないみたいだけど、恋愛そのものが勉強じゃないの? 恋に落ちてるときも人生は続いてんだし、夢中になりすぎれば日常も人間関係も崩壊する。幸せになるどころか恋で身を滅ぼす。そうなんないために、みんなうまく両立してるわけでしょ」 「返す言葉もありません」  恋愛作品を読んでいるときは、お互いに夢中になってる主人公たちかわいいな~って他人事のように眺めてた。  歪みもの、とくにヤンデレメンヘラ共依存ものとか大好物だし。  相手のことが好きすぎて、どんどん溺れていく関係ほどてぇてぇものはないって思ってた。  リアルに置き換えたら、そういう関係性は恋愛と呼ばない。  紫苑と幸せになるどころか、むしろ私が紫苑を堕落に引きずり込んでしまうまである。  当たり前の事実を突きつけられた。 「目、覚めたっすかね」 「メンソールを直接浴びた気分です。滲みてます」 「ま、そうやって痛い目にあうのもひとつの勉強だと思うけど。自覚したならこんなとこで燻ってないで、期末頑張りな」  ちょいちょいと、カンナが親指を立てて後ろを指差す。  ……いた。廊下に、ひゅっと黒い影が引っ込む。  あそこまで長く伸ばしている子となれば、ひとりしか該当しない。 「いつメンなら仕方ないって割り切れても、うちのとこ行くってなったらそりゃ気になるでしょ。わかったら早く、あの子に愛の言葉ひとつ伝えてあげなさい」 「う、うん。話、つきあってくれてありがと」 「いいって。ダチ同士がせっかく実ったんだから、祝福できる仲に熟していきなはれ。また叱ってほしいなら付き合うから」  ひらひらとカンナが手を振る。  同時に、視界の奥に近づいてくる紫苑の姿が見えた。  あの紫苑が堂々と別教室に入ってくるなんて。成長したもんだね。一種の感動を覚える。 「せっちゃん、そろそろ予鈴鳴るよ。次移動教室でしょ」 「そうだった。迎えに来てくれたんだね。どーも」  そう言って立ち上がると、紫苑が私の手を取った。  そのままごく自然に指を絡める動作に、んんっと声が上ずる。  ほー、とカンナが意味深な息を漏らすのが聞こえた。  急かすように腕を引く紫苑の顔に動揺の色は見られなくて、無自覚なのか分かっててやってるのか気になるところだ。 「あ、神川。知らせてくれてありがと」 「んーん。こっちこそ彼女お借りしちゃっててすまんね」  カンナのさりげなく乗せた言葉に、紫苑がくっと咳き込む。  反動でほどけそうになった指をがっちり握りしめて、私たちは教室を後にした。
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