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47.そんなに私のことが好きなんだ
「……気になって追いかけたら神川に見つかっちゃっただけ、で。盗み聞きとかはしていないから」
教室に戻ると、紫苑が補足してくれた。
さっきの”知らせてくれた”というのも影でカンナとメールをしていたわけではなく、覗いてるのがバレて入ってきなよと合図を受けただけだと。
「や、こっちこそ。……ただ、しーちゃんにかっこつけてただけだから」
「どういうこと?」
「中間、あまりにもやばくて……しーちゃんやクラスの子にバレたくなくて、カンナに吐き出してた。それがすべて」
私は正直に言うことにした。
紫苑からすれば、こそこそ他のクラスの子に相談するとかいい気はしないだろうに。
それを咎めることもなく、まず先に隠れていた訳を説明してくれた。
距離が近くなればなるほど、いずれはカッコ悪いとこも露呈してくるんだ。
だったら、変に取り繕わず言ってしまえ。
証拠とばかりに、ちいさく折りたたんでいた成績表を机に置く。
「これは……」
「ひどいもんでしょ」
さすがの紫苑もかける言葉がないのか、絶句したように口を閉ざしている。
難しかったから仕方がない、で済むレベルではないのだ。
なにせ5教科すべてが赤点ギリなのだから。
勉強しなくても一定の点数は取れた現代文ですらこれって、悪夢なら醒めてほしいくらい。
「どうしたの、一体? すごくショックなことでもあったの?」
紫苑は、優しい。普通は遊びまくってたのかと疑うところを、メンタルの不調だと思って心配してくれている。
なにひとつ、外的要因などない。なにもののせいにもできない。
すべては、私が弱かったからだ。
「ううん。ぜんぶ自分のせいだよ」
ごめん、と。謝罪の言葉といっしょに、深々と頭を下げる。
本来であれば、今日からはあのおうちデート以来の甘い日が続く予定だった。
互いに溺れず、学業も今まで通り怠らない。今はぐっと我慢して、試験を乗り越えた後にめいっぱい遊ぶ。
付き合うときにそう決めた、はずだったのに。
「言い訳でしかないけど、すっごい浮かれてた。ぜんぜん、勉強手につかなかった。それでこのザマ」
言葉に出して、かっと情けなさからこみ上げてくる羞恥の熱が広がっていく。
本当、どうしようもない色ボケだ。
頑張った日々の先にあるご褒美を胸に、紫苑は毎日勉強に励んでいた。
見せてもらった紫苑の成績表は、見事に平均80点をキープしている。
それなのに、私は己の煩悩に打ち勝つこともできず散々な結果に終わってしまった。
それは、せっかく頑張ってきた恋人を裏切るに等しい。
「なんて言ったらいいか難しいけど……せっちゃんくらい頭がいい人でもこうなるって、恋の病って恐ろしいね」
紫苑の反応は、落胆のため息でもお叱りの言葉でもなかった。
ただ、いつもの淡々とした調子と、静かで優しい声色で『顔を上げて』と掛けられる。
うなだれていた頭を上げて、見上げる紫苑へと視線を合わせた。
自分だけ落ち込んで、やり遂げた恋人を讃えないでどうする。
しーちゃんはえらいよ、と添えて私は小さな拍手をおくった。
「私のことばかり話してごめんね。しーちゃん、うんと頑張ったからそのぶんいっぱい楽しもう。どこでも連れてってあげるから、どこに行きたい?」
「……ある、けど。でも、それはもう少し先にしましょう」
薄く口角を上げた紫苑が、ふるふると首を振る。
腕を伸ばして、小さな両手で私の右手をつかんだ。
「先って、どうして? どこか体調が悪いの?」
「すこぶる健康」
ますます、先の予定にした意味が分からなくなる。
紫苑はテスト明けをすごく楽しみにしてきたのだから、なにも今日も我慢しなくていいと思うんだけど。
「私だけで、せっちゃんも心から楽しんでくれないと嫌。いまの不完全燃焼の状態でいちゃいちゃしようって言われたって、すぐに切り替えられるものではないでしょう」
可愛く頬を膨らませて、紫苑がぐにぐにと私の指を弄ぶ。くすぐったい。
しかし紫苑の言うことはもっともだ。けっきょく私の成績不振を改善しないことには、ずっと心は不安の沼に沈んだままだ。
紫苑には気を使わせてしまうだろうし、このまま勉強に集中できない日が続いていればどんな未来を招くかは想像に難くない。
「……うん、しーちゃんの言うとおりだ。このまま堕落して、自分だけ浪人生ルートとか想像したくもない」
「でしょ。だからまずは、せっちゃんに合った勉強とプライベートの両立。地頭は私よりずっといいのだから、あきらめなければ絶対にもとの成績に戻れるはずよ」
「可能性を信じます」
恋愛と勉強の両立に必要なものは、お互いの精神的自立。
今の私に、もっとも欠けているもの。
できると思い込まなきゃ、できるものも乗り越えられない。
逃げ道を作らないために固く心と目の前の恋人に宣言し、進むことを決意する。
「……せっちゃんって、そんなに私のことが好きなんだ」
決意表明が終わって、紫苑がはにかみながらぼそりとつぶやく。
ははは、まったくもってその通り。カンナに依存って言われたレベルだしね。
冗談めかしたトーンで笑い飛ばすと、『どうして笑い話に持っていくの?』と服の裾を引っ張られた。
「ひとりの人からそこまで想ってくれるって、相手は幸せ者だと思うのに。私、これでも必死でにやにやを堪えているのよ」
耳打ちで放たれた破壊力の高すぎる言葉に、胸に抱えていた授業ノートと筆箱を落としそうになった。
あー、もー、そういうとこだぞ紫苑。
お返しとばかりにこちらも耳元で『そんな可愛いこと言われたら攫いそう』とマジトーンで伝える。
「……まんざらでもないけどサボる度胸はないから、奪うのはここまでね」
唇を指差し、紫苑がポケットからおもむろに例のリップを取り出す。
譲歩まで凶悪だ。
やっぱり、テスト明けをすごく楽しみにしてたってことだよね。ごめん。
代わりに、許された精一杯の愛をおくろう。
「じゃあ。ご期待に応えてもらいます」
「うん。……やった」
ガッツポーズと堪えられなかった笑みが紫苑からこぼれて、校内だと言うのにもう心拍数がえらいことになっている。
約束に従ってプライベート用のリップを塗って、移動教室から少し離れた空き教室へと紫苑を連れ込んだ。
や、まだ健全の範囲だよ。
いまは、ここまで。
即座に私の胸へと飛び込んできた紫苑をぎゅっと抱き寄せて、衝動のまま唇を落とした。
授業が終わって、私たちはまたあの屋上前階段に来ていた。
校内でふたりきりになれる場所って限られるから、なんかいけないことをしている気分になる。
今日は浮ついた理由じゃなくて、もっと真面目な話題だけどね。
「さて具体的にどうするかだけど……この巨大感情がまず妨げになっているわけだからなあ」
恋は盲目とはよく言ったもので、恋心は常識も理性も客観的な判断も置き去りして感情だけが暴走していく。
理性と理屈の塊である勉学とは真逆だ。
ゆえに好きな人と一緒にお勉強とかいう創作の定番シチュでは、萌えても勉強の意欲を燃やすことはできない。
紫苑に意見を求めてみると、思いも寄らない言葉が返ってきた。
「脱線はしてないことを前提に言っておくね」
「どんなの?」
「いまさら聞くけれど……貴女は私のどこを好きになったの?」
「んえっ」
変な声で答えてしまった。
今までの流れで出る台詞じゃないよね、これ。
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