恋人編

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53.【紫苑視点】意識するなと言われても無理がある  最寄りのネットカフェは隣町の商業地域にあった。  地図にはファッションセンター、業務スーパー、ホームセンター、ドラッグストア、ファミレスといったメジャーなお店が建ち並んでいた。  田んぼの中に建っているためか、近所の専門店街の3倍は面積がありそうに見える。 「初めて来たけど、ここって学割使えるんだね」 「部屋は女性専用フロアってタイプがあるけど、それにする? ペアシートも選べるみたいだし」 「そだねー」  とりあえず3時間パックを選んで、カラオケルームくらいの広さの個室に入った。  内装は至ってシンプルだ。3人ほどが座れそうなソファシート、足置き用のオットマン。  その前にはスライドデスクとデスクトップPCが備え付けてあり、飲食のメニュー表も置いてある。  気温が高いなかを歩いてきたから、服の中は夏並みの熱気がこもっていた。  すぐさまエアコンを入れて、ぬるくなってしまったスポーツドリンクを喉に流し込む。 「汗すごいよ、大丈夫? 気持ち悪いとか、めまいとか起きてない?」 「大丈夫。首にネッククーラー巻いているし、水分はこまめに摂っていたから」  とはいえ、汗の量はごまかしようがない。  とくに今日は、日焼け対策も兼ねて露出は控えめの服装にしたのが裏目に出た。インナーが冷えてベタつき鬱陶しいことこの上ない。  おしゃれするにしても、歩き回るのは分かっていたのだからもう少し動きやすさや通気性を意識した生地にするべきだったかもしれない。  汗で乱れた髪をコームで整えていると、芹香が奥の部屋に続く扉を指差した。 「ここ、シャワーもあるみたいだし。しかも無料でシャンプーもタオルも使い放題だよ」 「あ、あるんだ」 「うん。コインランドリーもさっき見かけたし、せっかくだから利用しちゃおうよ。1回300円だって」 「えっ」  今度こそ声が裏返った。  確かに扉を開けると洗面台があって、さらに奥の扉にはトイレ、スライド開閉ドアで仕切られたシャワールームが確認できた。 「しーちゃん、先入ってきていいよ。洗面台の扉、内側から鍵かけられるから安心して」 「え、ええと」 「気になるなら、その間部屋出てるよ。ソフトクリーム食べ放題みたいだから、行こうかなって思ってたとこだし」  シャワーを浴びることがいつの間にか決定事項になっていた。  汗だくの私を気遣ってくれていることは分かる。せっかく設備が揃っているなら、利用したいと思うのも当然だろう。  1人で来ているならば。  けど。シャワーを浴びて、服が乾くまでの間はバスローブで待つしかない。  恋人の前でそんな格好になるなど、意識するなと言われても無理がある。  なのに、芹香はなんとも思っていないのだろうか。 「ついでだから洗濯物持っていこうか? そこにカゴと洗濯ネットあるはずだから」 「大丈夫です自分でやります」 「入ってからだとそのぶん乾くの遅れちゃうし、バスローブで出るの恥ずかしくない? 私が上がる頃にはしーちゃんのも乾いてるだろうし」 「そ、そうだけど……」 「てか、そんな無防備なしーちゃんを送り出すわけにはいかない」 「…………」  下着も入った服を他人に預けるって、たとえ恋人であっても抵抗しかないのに。  そういう台詞をナチュラルに挟んでくるから、従わないわけにはいかなくなってしまう。  結局。綺麗さっぱりしたい欲にはあらがえず、私は服を脱いだ。  どのみち、汗臭い格好で芹香の隣にいるわけにはいかない。  個室じゃ匂いもこもっちゃうだろうから、シャワーがあったことにはむしろ感謝だ。 「……あがったよ」 「あいよー」  入念に髪の毛の水分を拭き取って、結んで、バスローブをまとい洗面台から出る。  扉を開けると、少し寒いくらいの冷気が流れ込んできた。同時にヘッドホンをつけている芹香が振り返る。  ユー○ューブのサイトを見ていたようで、ドームっぽい場所で名前だけは聞き覚えのある音楽アーティストが熱唱していた。 「さっぱりした?」 「う、うん。リンスインシャンプーがミント系なのか、頭皮がすごくすーすーして気持ちいいよ」 「へー、そりゃ楽しみだ」  いつもと変わらない調子の声が返ってきて、会話が終わる。芹香はふたたびモニターへと視線を向けた。  ……え、それだけ?  素肌にバスローブ一枚の姿でも、とくに動揺の色を見せなかった芹香に呆気にとられる。 「あの、せっちゃん」 「んー?」 「上がったけど、はいら、ないの?」  平常心を保てず、声がつっかえる。  発するたびに見えない壁にぶつかっているようだ。  どもりまくりの私にも芹香は突っ込むことなく、相変わらず平坦な声で答えた。
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