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名前のない血に塗れ、生乾きのようなドアのバイト先。としか言い様がない店に勤めて早一週間が経った。とはいえ、やることは開店前の掃除と閉店後の掃除。
ほぼやることはないのに給料がいい。
「楽、ではないけど異様に給料がいいな」
週二日確定休暇があり、昇給もあるらしい。追々開店中の仕事も覚えていくことになるだろう。
「仕事、慣れましたか?」
「マスター!はい、まだ新人なので掃除だけですが、だいぶ慣れてきました」
「そう、それはよかった」
マスターである鹿野は朗らかに笑い、八乙女を労う。
黒のカーテンが閉じているショーウィンドウを拭く八乙女を観察するような視線を度々感じるが新人が珍しいのだろうか、と思う。 突き刺さる視線を無視しきれず世間話をすることにした。
「そういえば、結構大きなショーウィンドウですけど、なにを展示してるんですか? 前にきた時もカーテンが閉じてたんですけど、気になって」
「あぁ、そうですね。〝商品〟です。大きさがまちまちなので大きめのショーウィンドウを使っていますが、最近はあまり大物がないんですよね」
見栄えが落ちるんですが、こればかりはどうにもできないので……。と言う鹿野の話を聴きながら、成人男性の膝あたりから天井近くまであるショーウィンドウになにを入れるのだろうかと思う。
「……マネキンも入れそうなので服とか、酒瓶を並べてるのかと思ってましたけど、なんか違いそうですね」
「まぁ、似たようなモノも飾っていますが、八乙女さんも一ヶ月もすれば常勤になりますのでその時にでも確認してください」
「はぁ……」
鹿野の言葉の意味がわからず生返事をした。
フロアの掃除はできたので、あとはショーウィンドウの前にある個室とトイレの掃除をすれば仕事は終わる。
「っし、気合い入れてがんばろ」
フロア掃除は八乙女のみが担当で、他はキッチンやカウンターを担当している人が何人かいるらしい。
「……フロアの掃除はまぁ間に合ってるか……」
フローリングや窓、扉などを磨き、丁寧に消毒していく。以前も飲食店に勤めたことがあるがここまで丁寧な作業はしなかった気がする。
「にしても、なんとなく鉄臭い気がするんだよな」
スンスンと鼻を鳴らして個室の臭いを嗅ぐと、いつもなら甘いフレグランスと、なにかを消毒したのか、漂白剤のような臭いがするのは珍しいと思った。
八乙女がバイトに入ってから約一ヶ月。
フロア掃除の仕事から接客へと変更になると内示があり、接客についての説明をマスターから受ける。
客のなかには、とある癖を持った方がいます。と鹿野が相変わらず嘘臭い微笑を浮かべて、接客についての説明をするのを聞きながらも、八乙女は件のショーウィンドウの中身がずっと気になっていた。
「ところで、八乙女さんは〝ケーキ〟ですよね」
「……質問の意図がわかりませんが?」
突然スピーシーズを言い当てられたことに驚いたが、表情に出すことはしない。どこで〝フォーク〟が聞いているかわからないからだ。
「あぁ、いえ。お答えいただかなくて結構です。──判っていますから」
鹿野の言葉の意味を理解する前に、痛みと衝撃で意識が混濁した。
「ぇぁ……?」
「さぁ、本日からフロアでのお仕事です。よろしくお願いいたします」
消え行く意識の片隅で、イビツに嗤う鹿野が見えたのが最後の記憶だ。
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